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少女デブゴンへの路〈2席目〉

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(リンク先では、章ごとにアップされているので、1、2席目が続けて出て来ます。ご了承ください。)

  2席目 キン子・ミーツ・パン太

  ――パパン
 皆様、お待ちかね。『少女ドラゴンへの路』二席目でございます。
 前回の一席目では、何不自由なくのんべんだらりと暮らしていたキン子が、領民に逃げられて、一家で夜逃げならぬ昼逃げしたが、山中で山賊に襲われ、茶屋で無銭飲食をし、担保代わりに両親からその茶屋に置いて行かれてしまったというところまでを読みました。二席目は、その続きから始まります。 
  パン
 
キン子が売られた……もとい、一人残された茶屋の名前は「かふぇ多抜(たぬき)」。名は体を表すといいますが、客から多く金を抜く、ぼったくり茶屋であります。
 このぼったくり茶屋、先日、店番娘に逃げられてしまって困っていた。店番にエスケープされたのは、これで三度目だ。
 どうしたものかと思案していたら、店に無銭飲食親子が現れた。うまいこと一芝居打って、言葉巧みに誘導し、親に借金のカタに子供を置いていかせるようにした。その子供を店番として使おう。子供は、親がいずれ迎えに来ると思えば、逃げ出さないだろう。そう踏んだのである。
「こんな呑気な顔をした肥満児が店番なら、客は安心するだろ。小ずるい奴なら、商品かっぱらっても追いかけてもこれやしないとか、気が付きもしないとか、高をくくって油断する」
 そういう悪い奴らは、痛い目を見ると良いのさ、と自分たちのことを棚に上げて悪い笑いをする一同。
 この茶屋は、実は夜間営業もしていた。夜になると「くらぶ多抜」となるのだ。
 しかし、くらぶと言っても、しっとりとした艶っぽい女性が話術とお色気で接待してくれるわけでも、つけまつげバッチバチで肌露出の高いギャルがはべってくれるわけでもない。
 昼間の健全で長閑(のどか)なイメージの看板や暖簾を外し、赤や黄色やピンクなど色取り取りの提灯をぶら下げて、昼間の店番娘に「特別サービス料金」だの「より抜きキャスト」「ぽっきり」なんて言葉が書かれた店の看板を持たせて戸口に立たせる。
 人使いが荒い。ブラック茶屋ですな。だから逃げられるんだ。
 余談はさておき、農家から奉公に出て来ました的な初心な朴訥とした娘がそんな看板を掲げていると、安心明瞭適正価格で、きれいどころ――たぶん――が接待してくれるイメージを人は持つ。それで気安くふらふらぁっと店に入る。入ってくれば、こっちのもんである。
 が。看板に書かれた文言の本当のところの意味っていうのが、客のイメージと違う。
 特別に料金を安くしてサービスするのではなく、特別に料金を高くしてサービスするのである。キャストって、ホステスさんのことじゃないのよ。より抜きの強面キャストが揃っているよ。ネズミーランドだって、そこで働くスタッフはキャストっていうでしょ。そういうキャスト。下手に抵抗すれば、指の骨の一本二本がポッキリといくよ。そういう意味。 パン。

こざっぱりしたところで、さっそく店番をさせられるキン子であるが、働いたことどころかお手伝いなんてことも、当然したことがない金満お嬢育ちである。居眠りこいて万引きされたり、腹が減って勝手に売り物をむしゃむしゃ食べちゃったり、使えないこと甚だしい。
 夜は夜で、子豚な子供が呼び込み看板持って立ってたら――やっぱりすぐ居眠りしちゃってましたけれどね――逆に警戒される。
 デブばっかりじゃないかとか。まあ、デブ専の人ならいいんでしょうけど。化粧した子供たちがジュースで接待してくるんじゃないかとか。これまたロリコンなら喜びそうですけれど。あるいは、こんな年端もいかない子供に深夜営業って、何か曰く付きの店じゃないかとか。例えば家族経営で、キャストはこの子供の姉さん、母さん、婆さんで、酒は薄めてるし、つまみは使い回しでちょっと臭ってるし、キャストの衣装は染みが付いて黄ばんでるし、所帯じみてうらぶれたサービスをされるんじゃないか。いろいろと勘ぐられて、客が寄りつかない。
 そもそも、こんな山中で夜に客があるのかと、皆さんはお思いでしょう。それが、そこそこあるんですな。なぜか。
 山越えの途中で日が暮れてしまった旅人がちらほら。あとは、こんなところを夜に好んで出歩く輩である。前者は大体が堅気だが、後者は大体どころか、ほぼ100パーセント堅気じゃない。
「ぼったくってやっても、良心なんて痛まない連中さ」
 とは姐さんの言である。 パン。

 さて、キン子の夜勤初日の結果は、といいますと――客入りゼロ。
   パン!

 人生初労働が終わったその深夜、キン子は、与えられた三畳板の間に敷かれたせんべい布団に身を横たえた。つい先日まで、きれいにベッドメイクされたベッドで、ふかふかの布団に包まれて寝ていたというのに、雲泥の差である。それでも、ここ三日は野宿だったから、それを思えば有り難や。
 布団にくるまった瞬間、疲れ切っていたキン子は、すぐに眠りに落ちた。一家で昼間版の夜逃げをしてきたことも、山賊に遭って全財産失ったことも、両親において行かれてしまったことも、嘆く間もなく、瞬間超爆睡だ。  パン。

 真夜中の昏い山中にある茶屋は、内も外もしんと静まりかえっている。
 茶屋の裏手では、ゴミを狙って忍んできた夜行性の狸とイタチがうっかりびっくり鉢合わせ。凶暴なイタチに「キッキー、キャッキャ」とテンパったチンピラみたいな声で威嚇された臆病な狸は、ひゅっと息を呑んで気絶。イタチは、ドヤとばかりに「ふんっ」と勝利の鼻息を吐いた。が。その瞬間、みちっと何かに踏みつけられて気絶した。
「何か踏んだぞ」
 夜闇に押し殺した声がした。
「んん? イタチじゃねぇか。袋に詰めこんどけ。最近、商家の女たちの間でイタチの肩掛けが流行ってんだとよ」
 同じく押し殺した声が答える。
「そこそこ良い値段で売れるらしいぜ、うっしっしっしー」
 捕らぬ狸ならぬ思いがけず捕ったイタチの皮算用をする別の声が密やかに笑った。
 それは、夜闇に溶け込んだ黒ずくめの三つの影。夜盗であった。
 補足しておきますと、この三人組は、キン子一家の全財産強奪没収した山賊とは別グループです。そんなものがそこここにいるなんて、この辺りは、随分と物騒なようでございます。 パン……。

 さて。この三人組の夜盗は、なにゆえに茶屋の裏手に忍んできたのか。夜盗の目的は、なんと! キン子であった。
 こやつらは、昼間、キン子が茶屋の饅頭にウルトラダイブしてかぶりつくさまを見ていたのである。
「肥満児だが、すごい身体能力だ。こいつは高く売れるぜ」
 キン子をさらって芸小屋に売り飛ばそうと考えたのだった。ついでに金目のものがあったら頂いていくことも、オプションとして計画にちゃんと刷り込んである。
 抜き足差し足、茶屋に忍び込む夜盗ども。一人はイタチを包んだ風呂敷包みを背負っている。風呂敷包みの色も衣装と同じくセンス良く黒で統一。意外にオシャレだ。
 さて、忍び込んだはいいものの、存外に多い部屋数に夜盗どもは戸惑った。
「おい、ガキの部屋はどこだ」
「知るかよ」
「片っ端に覗くしかないんじゃねぇか」
 仕方なく、まずは廊下の突き当たりの戸をそっと開けて見る。臭い。
「くっ。便所じゃねぇか」
 初っぱなから痛い……じゃなくて臭いフライング。
 回れ右をしたところで、何かにぶつかった。
「あれぇ? トイレ混んでんの? ひい、ふう、み。三人も並んでる。漏れちゃうじゃねぇか」
 寝ぼけ眼の若い男だ。鶏のトサカみたいな頭をしている。トサカ頭は、睡魔で朦朧とした目を閉じたり開いたりしながら「早くしてよ」と促す。
「ちっ。おめえも便所かよ」
 トサカ頭の後から、低いドスの効いた声がした。
「アニキ……三人も並んでますぜ。ちびっちまう」
 足を内股にしてもじもじしているトサカ頭の先を見やったアニキは「ん?」と首を傾げた。頭の被り物から足の先まで全身黒ずくめが三人。なんだこりゃ……
「てめえら、誰だ!」
 アニキの声に、何だ何だとあちこちの戸が開いて、強面の男たちがぞろぞろと出て来た。
「やべぇ、ずらかるぞ!」
 夜盗たちは、トサカ頭とアニキの二人に体当りして廊下の両脇に蹴散らすと、スタコラサッサと逃げていく。
「待て! こらぁ!」
 慌てて追いかけてくるトサカ頭とアニキ。前方には、四つの強面が立ち塞がってきた。五人だ。ん? 違う。変だ。ひい、ふう、み……五人? あっ、同じ顔が二つあるのか。ということで五人だ。
 進退窮まった夜盗たちは、懐に忍ばせた匕首を一斉に抜いた。パン!
 
「ちょ、怖っ。刃物じゃん」
 強面たちがビビった。慌てて後退る。夜盗たちは、匕首をぴたっと斜に構える。完全に戦闘態勢だ。
 夜盗の一人が一歩前に出た。強面軍団が一歩退く。もう一歩夜盗が踏み込む。強面軍団、また一歩退く。
 イケる! と踏んだ夜盗どもが匕首の刃を閃かせながら一気に強面軍団に向かって突進した。
「ぎょわわわわー!」
 蜂の子を散らすように逃げ出す強面軍団。そう。彼らは強面――こわいのは面《ツラ》だけ軍団であった。トサカ頭なぞは、便所に逃げ込む始末だ。いや、どさくさに紛れて用を足すつもりだ。トサカ頭、膀胱が限界であった。
「何だ、こいつら見かけ倒しかよ。はっはー」
「これならガキ見つけたら、余裕でかっさらっていけそうじゃん」
「金目の物もお土産に頂きだ」
 調子づいた夜盗どもは、手当たり次第に部屋の戸を開けてのぞき込む。
「ぎょえっ!」
 突然、夜盗の一人が顔を押えて仰け反った。
「随分と好き勝手やってくれてんじゃねーか」
 夜盗の前に鎖の縄――車のタイヤチェーンようなものを手にした姐さんが立ちはだかった。そのいでたちは、昼間と違ってゆったりしたイチゴ柄の上衣とズボンだ。つまりイチゴ柄のパジャマ。
「何だぁ、この女。すっこんでろ」
 夜盗が匕首を振りかざして凄むと、姐さんがチェーンをひゅんと一振り。匕首の一つが軽々と吹っ飛ぶ。続けざまに一振り、二振り。次々とたたき落とされる匕首。
「この……」
 カッとなって殴りかかった夜盗の首に姐さんのチェーンが絡みつく。そのまま夜盗をたぐり寄せ、背中をとって両手でギリギリと首のチェーンを絞める。
「てめぇ!」
 お約束とばかりに姐さんに襲いかかる仲間の夜盗二人。姐さんは、たぐり寄せた夜盗の首に絡みつかせていたチェーンをジャッと素早く外すと、襲ってきた二人の顔面をピシピシと打つ。続いて、首からチェーンが外れたことで息を吐いた奴が「このやろう」とばかりに姐さんに掴みかかろうとするのを蹴り飛ばし、更に顎へ痛烈な飛び膝蹴りを食らわせた。夜盗一名様、完全にダウン。おお! 姐さん無双。
「飛んで火に入る夏の虫。まだ春だけど。今日は店の入りがなかったから、ちょうどいいねぇ。狩り返しだ」
 姐さんが舌なめずりした。
  パン!

 先にもちょっと申しましたが、ちらほら客はあるとはいうものの、こんな山中で網張って、絶対来店数の少ない客を目当てにしたぼったくり商売なんて、従業員も数人抱えて、採算とれるのかって思いますよね。実は、彼らは、ぼったくり水商売の他に犯罪者狩りもやっておりました。バウンティーハンターってやつですな。むしろこっちの方が本職ってな感じ。
 これまた先にちょっと触れましたように、どういうわけか、人が好んでやって来ないようなこの山中の茶屋兼キャバクラもどきに入ってくる輩は、かなりの高確率でヤバいご職業の方々でありました。お役所から仕入れてきた盗賊やゴロツキなどの情報を元にして、ぼったくるために取り囲んだ客がデータに引っかかった場合は、ふん縛ってお役人に引き渡し、報奨金を得る。そうじゃない場合は、そのまま普通にぼったくる。 パン。

 姐さんの放ったチェーンの軌跡をかろうじて除けた夜盗がその弾みで雨戸にぶち当たった。ガタリと外れる雨戸。
「ち、ちくしょう。ずらかるぞ」
 気絶した仲間を引きずって、夜盗どもが外へ逃れる。そのとき、黒い風呂敷包みの端が雨戸のささくれに引っかかって解けた。
「お待ち!」
 追いかけた姐さんが風呂敷包みの中身をうっかり踏んづけた。
「キキャ!」
 目を覚ましたイタチが動転して飛び上がり、訳もわからないまま姐さんの顔面に貼り付いた。
「うわっ」
 姐さんは、慌ててイタチを引っ剥がし、床にたたきつけるが、パニックを起こしているイタチはギャーギャーわめきながら、そこら中を走り回る。
 姐さんは夜盗どもの後を追おうと、邪魔くさいイタチを飛び越えて庭に下りたが、賊どもの姿はとうに夜闇に紛れて消えていた。
「ちっ。逃げ足の速い奴らめ」
 イタチの方は、舎弟たちがどたばたと大騒ぎしながら、何とかとっ捕まえた。今度は、茶屋の強面軍団がイタチをぶら下げてにやにやと皮算用だ。
  パン。パン!
 
 ところで、この騒動の最中、キン子はどうしていたのだろうか。
 キン子は……寝ていた。何事もなかったかのように、ぐっすりと、一寸も眠りを途切れさせることなく爆睡していた。
 恐るべしキン子。神経が超合金ワイヤーでできているのか、はたまた特異体質的に寝汚いのか。その両方か。
  パパン! 

 返り討ちにあった夜盗どもは、それからどうしたか。
 奴らはリベンジを企んだ。イタチも落っことしてしまって、逆に取られちゃった。悔しい。リベンジしてやると闘志を燃やした。
 さて、どうするか。
 ――力業ちからわざでダメなら、頭を使おう。
 キン子の食意地の汚さを知っている夜盗どもは、餌撒き作戦に出た。
 翌日、姐さんとツラだけこわい舎弟たちは、朝から夜盗どもに土足で踏み荒らされた屋内の後片付けをしていた。寝不足でちょっと朦朧としていたけれども、吹っ飛んだ雨戸を直し、せっせと掃除する。キン子は、また店番である。そしてまたまた、こっくりこっくりと居眠りしていた。
 と。どこからか、饅頭とは別の香ばしい匂いが店先に漂ってきた。「ふんふん……」匂いに鼻をひくつかせながら、キン子は目を開けた。
 すると、目の前に煎り豆が落ちているではないか。条件反射的にひょいと拾って食べるキン子。ポリポリポリ……煎ったばかりなのか、ほんのり暖かい。おいしい。もっと食べたい。周囲を見渡せば、一歩先にまた煎り豆が落ちていた。当然拾って食べる。すると、そのまた一歩先にまた煎り豆が……。キン子は夢中で煎り豆を拾っては口に放り込んでいく。
 煎り豆を追い、キン子が茂みの中に入ったところで、頭上からばさりと何かが覆い被さってきた。目の前が真っ暗になる。
「わっ! 何これ」
 すると、夜盗三人組が茂みから現れて、麻袋を頭から被ったキン子を素早く転がして口を縛る。三人組は必死で藻掻く重たい子供が入った麻袋をえんやこらせっと荷車に載せ、積み荷の重さによたつきながら、できうる限りの全速力でずらかった。
 ガラガラガ~ラ、ガァラ~♪
 キン子を載せて~
 ガラガラガ~ラ、ガァラ~♪
 さらわれてくよぉ♬
  パン! パパン! パン‼ 

 えっさほい、えっさほい、ガラガラガラ……キン子入り麻袋を載せた荷車は、あれよあれよと山道を下っていく。
 時折、小石に乗り上げて、荷車がガタンと大きく傾いて揺れる。その度に、キン子の身体が荷台の床や角にぶつかる。痛い。ガタガタと不規則な揺れに、頭がシェイクされて気持ちが悪い。
 一体何が起こったのか。起こっているのか。これからどうなるのか。さっぱり訳がわからない。暗く息苦しい。動揺し、動転し、不安で、心も苦しい。その苦しさから逃れようと、身動きもままならない麻袋の中で藻掻いてみるが、丈夫な麻袋はちょっとやそっとじゃ破れない。
 お腹も空いてきた。
(キン子、飢えて死んじゃう)
 どうでもいいから、この揺れと息苦しさと空腹を何とかして欲しい。
 なんて思っているうちに、今までで一番大きな揺れがドンときた。荷台の上でボンと跳ねるキン子入り麻袋。着地すると荷台の隅までゴロゴロと転がって、中身のキン子は荷台の縁に派手に頭をぶつけた。目に火花が散った。あ。この目のバチバチって、昔、落としたハムを拾おうとしてテーブルの下に潜ってテーブルの足に頭をぶつけたときに出たやつだと思ったのと同時に、キン子は気絶した。
 静かになったキン子入り麻袋を載せた荷車は、野越え山越え、どんどん進んでいく。
  パン!
 
 「キャハハ!」という金属製の笑い声にキン子は目を覚ました。周囲からは、多数の人の声やら複数の車輪の音やら、食べ物の匂いやら鍋釜のぶつかる音やら、いろんな音が入り交じった賑々しい気配がする。
 荷車は、いつの間にやら市場町に辿り着いていた。 パン。
 
 三人の男が一人の男を前に、口角飛ばして何やら熱心に説いている。
「とにかく身体能力がすごいんだ。曲芸団に売りゃあ、花形になること間違いなしだぜ」
「いやでも、顔だけで立派な肥満体だってわかるよ。芸なんてできるのかね。曲芸のボール代わりにしかならないんじゃないの」
 麻袋から顔だけ出して首から下を袋の中に詰め込まれたままの達磨さん状態で、キン子は、人身仲買人、つまり人買いに値踏みされていた。メダカみたいな小さな目にちょび髭の、なまっ白い顔をした小柄な中年男だ。
 人さらい夜盗は、いやいやいや、饅頭にダイブして一回転してきれいに着地したんだ、すごいんだと、必死で力説、めげずに猛アピール。
「なら、やってみせてくれ。できんのか? お前」
 ちょび髭に問われて、ブンブンと首を横に振るキン子。
 何それ? あたしにそんなことできるわけがないじゃないの。例の饅頭ダイブの件は、全く記憶にないキン子。それは、空腹と類い希なる食意地の汚さがなさせた無意識の超技であった。
 何言ってんだ、できるだろう、やっただとろうと、人さらい夜盗どもは口々にキン子を責める。
「むしろ、デブ専の女郎屋に見習い奉公させた方がいいんじゃないの。器量自体は……」
 ふん、とちょび髭が小さく嗤った。
「ま。たで食う虫もなんとやらだけど」
 よくわからないが、自分が馬鹿にされているらしいことは、さすがのキン子でもわかった。ムカつく。これからどうなるのか不安で怖いけど、やっぱりムカつく。
 ちょび髭は、うーんと唸りながら、そろばんをはじく。人さらいどもがそろばんをのぞき込む。
「こんなもんだね」
「えーっ。少なすぎねぇか。苦労したんだぜ。これを収穫するのに」
 あたしは野菜かと、キン子は更にムカつく。
「育ちすぎた大根は、値が下がるのよ。鬆(す)が入ってるかもしれないから」
「大根っていうより、よく肥えた鴨だぜ。捕獲するの命がけだったんだ」
 何が命がけだ。煎り豆撒いただけじゃないか。いよいよ憤るキン子。でも、その煎り豆撒いただけの簡素な罠にあっさりはまったのは誰だ。
「絞め殺されるところだったんだぞ」
 確かに対姐さん戦は、命がけでした。でも、キン子はそんなことを知らない。ぐっすり寝ていたのだから。あたしはコイツの首なんて絞めてない、嘘つくなと心の中で罵倒する。口には出せない。いや言葉が出てこない。あまりの想定外展開の果ての想定外状況に、思考がついていけてないのだ。怖いんだか、不安なんだか、ムカつくんだか、その全部なんだか、もう訳がわからない。ただ、腹が減っているのは確かである。思わず見上げた空に雲のような綿飴が浮かんでいる。そこを目ん玉のようなドロップが二つ、横切って行った……。空腹による幻覚か?
「お腹空いた……」
「そんだけ脂肪があれば、簡単には飢えて死なないよ」
 どっかで聞いたような台詞をちょび髭が吐いた。
  パン。

 店頭の陳列棚に、キン子は一人ぽつねんと座っていた。
 安い高いのすったもんだのあげく、ちょび髭と人さらい夜盗は、中間値で手を打った。そうして仕入れたキン子をちょび髭は、系列の小売店に納品した。このちょび髭人身仲買人は、様々な商品を扱う総合小売店――デパートとか総合スーパーのようなお店――から商品種類を特化した専門店まで多くの店舗を全国展開するグループ企業の仕入れ担当であった。
 キン子がその系列の人身販売専門店の店頭に並べられたとき、そこにはほかにも子供が数人並べられていた。
 いろんな子がいた。魂が抜けたような顔をして、ぼーっと大人しく座っているだけの子もいれば、羽振りのよさそうで優しそうな客が来ると、愛想良く笑顔を振りまく子もいた。どうせ売られていくなら、怖いところには行きたくない。少しでも安心できるところに行きたいと思うのは人情である。子供だって、世間擦れした子や賢い子は、そのくらいの計算はする。
 結局、きれいな子、丈夫そうな子、身が軽そうな子などが早々にお買い上げされていった。
 愛想の良い子は、アピールの仕方が購入者の目的に合っているかいないかが、お買い上げポイントであった。飲食店の接客商売に向いてそうとか、営業トークが上手そうとか、喋り芸人の素質がありそうとか。子供の手を見て買っていく客もいた。手先が器用か、扱わせたい道具を持つのに向いた手をしているか、そういうところを見ていたのだろう。
 何やかやで、子供たちは、みんな次々とさばけていった。そして、キン子だけが売れ残ったのである。
 キン子の胸中を表すかのように、がらんとした店頭に寒々とした風が吹き込んできた。売られたいわけではないが、いや、正直、売られたくはないが、人として価値なしと見做されたようで、心が砕かれる。悲しい。寂しい。そして怖い。まさか、人としては売れないから、焼き豚にされたりしないだろうか。寒いを通り越して、キン子は凍えた。身体はお肉たっぷりだが、心が凍えた。ひょぉぉぉぉ~っと氷のように尖って冷たい風が吹きすさぶ音が己の身の内から聞こえてきそうだった。 パン……。

 日が傾いてきた頃、売れ残りのキン子は、店の裏通りから更に奥に入った掘っ立て小屋に放り込まれた。
 小屋には先客がいた。キン子よりずっと小さな男の子だ。キン子の頭半分ぐらいの背丈で、痩せていて顔もちんまりしている。そのちんまりした顔に大きな眼鏡を掛けていた。歳もキン子より幾つか下だろう。その子は「パン太」と名乗った。
 パン太は、その小さな手でキン子が小屋に放り込まれた際に頭にくっ付けた蜘蛛の巣を取ってくれた。久しぶりに人の優しさというものに触れたキン子は――いや、もしかしたら掛け値なしの純粋な善意なんて、生まれて初めてだろうか――凍えていた心が仄かに温かくなった。
「ありがと」
 自然にキン子の口から感謝の言葉が出た。その途端、キン子の腹が「ぐう」と鳴った。それに応えるように、パン太の腹も「きゅう」と鳴った。
 ちょび髭仲買人に引き取られたときに、数個の小さな乾パンと水を与えられただけだったので、キン子は死にそうなくらい腹ぺこだった。パン太もきっと禄に食べていないのだろう。
 急にバンと乱暴に戸が開き、女中風の無愛想な女が入ってきた。女は何も言わずに、埃を被ったボロ樽の上にパンが入った袋と汚い水差しを無造作に置いて出て行った。
 パンの袋には、値引きシールが幾重にも重なって貼ってあった。売れ残ったので値引きしたが、また売れ残って更に値引きして、それでも売れ残って、とうとう元本割れの値引きをしたが、それでも売れ残ったものである。中を覗くと、パサついて不味そうなコッペパンが三つ入っている。
 二人は、すぐさま一つずつパンを取り出した。賞味期限どころか、とっくに消費期限が切れたミイラのようなパンをキン子は貪り食った。パン太も小さいお口で、はぐはぐと一生懸命食べる。あっという間にパンを食べきった二人の視線は、自然と袋に一つ残ったパンに注がれる。言わずもなが、キン子は全然食い足りない。
 するとパン太が黙って、キン子の方にパンの袋を押しやった。キン子は、それを掴むと本能のままに貪る。半分ほど貪ったところで、キン子は、はっとした。
「ごめん。つい」
 自分よりずっと小さくて年下だろうパン太をよそに、パンを貪り食ってる自分に気が付いて、恥ずかしくなった。
「いいよ。キン子ちゃんの方が大きいから、いっぱい食べないと」
 パン太の言葉に、キン子はほろりとした。数日前まで何不自由ない金満お嬢をしていたのに、一気に天変地異かと思うほどの想定外だらけの出来事に呑み込まれ、世間の荒波なんて知らなかったのに、鳴門の渦潮もかくや、ナイアガラの滝壺もかくやというほどの荒波に揉まれ、落ちるところまで落ちたキン子の心に、パン太の優しさが染みる。
「パン太こそ、小さいんだからいっぱい食べないと大きくなれないよ」
 半分になった食べかけのパンをそのままパン太に差し出した。「大丈夫、大丈夫」と小さいお手々を振ってパン太は辞したが、キン子はパン太の手を取って、パンを握らせた。パン太は、それを更に半分にして、片方をキン子に渡す。
「ボクはこれで十分だよ」
 身体が小さいから胃袋も小さいんだと。 パン……。

 すっかり日が落ちると、微かに聞こえていた街のざわめきも少しずつ減っていき、やがて聞こえなくなった。小屋の中には灯りがない。近隣から漏れてきていた灯が壁板の隙間から僅かに差し込んでいたが、人のざわめきが小さくなるにつれ、それも細り、やがてなくなった。小屋の中は真っ暗になった。
 ささくれたむしろの上に寝っ転がったキン子とパン太は、互いの顔も見えない暗がりの中で境遇を語り合った。
 パン太は、系列の別の店舗で売られていたが、やっぱり売れ残ったのであった。キン子は肥満体が原因で売れ残ったが、パン太は貧相体で売れ残った。
 パン太は、この売残り小屋にキン子が辿り着くまでの経緯を聞いて
「ひどい目にあったんだね」
 心から同情した。優しい声であった。
 そういうパン太も、随分とひどい目にあっていた。
 パン太は、物心つく前に両親を亡くし、お祖母さんに育てられた。貧乏だったが、優しいお祖母さんとの暮しは穏やかであった。パン太には両親の記憶が何もないが、お父さんは、読み書きを教える小さな手習塾の先生をしていたという。
「だから貧しくて手習塾にも行けなかったけど、教本が家に残っていて、それで読み書きを勉強したんだ」
 パン太が掛けている大きな眼鏡は、お父さんのものだ。貧乏暮らしではランプの油にも事欠き、薄暗い部屋で勉強していたパン太は目を悪くした。でも、眼鏡を買うお金もままならない。そこで、お父さんの形見の眼鏡を掛けてみたところ、具合がちょうど良かった。
「ちょっと大きいけどね」
 貧乏だが、お祖母さんとの穏やかな日々は、突然終わった。半年ほど前、風邪を引いて数日寝込んだだけで、あっけなくお祖母さんが逝った。
 身寄りのなくなったパン太を気の毒に思い、近所の人たちが書籍屋の住込み奉公の口を探してきてくれた。小柄で痩せっぽちのパン太は、力仕事は向かないが、簡単な読み書きができる。書籍屋の小僧の仕事は、うってつけだ。
 パン太が奉公した書籍屋は、教本や学問本、教養本を取り扱う店で、書籍の企画と販売を行っていた。企画をして学者や教育者、執筆屋フリーライターなどに執筆を依頼する。版を作って印刷するのは版刷屋に委託し、刷り上がった本は、自店舗で販売するのである。いわば、出版業と書店小売り業を兼ねた企業といったところか。
 小僧の仕事は、店の内外の掃除、書籍の埃払い、細々としたお使いなどの雑用だ。ときには、書籍の整理や分類の手伝いをすることもあった。様々な本を目にできたから、パン太にとってこれは楽しい仕事だった。
 お店は繁盛しており、小僧のパン太も忙しかった。朝から晩まで身を粉にして働いた。そうすると、夜は疲れて何も考えずにぐっすり眠ってしまう。
「だから良かったんだ」
 忙しさで、お祖母さんを失った悲しみを紛らわすことができた。夜もすぐに眠ってしまえば、その悲しみを思い出すこともない。
 パン太は、真面目に一生懸命働いた。そんなパン太をお店のご主人も、先輩奉公人たちもかわいがってくれた。
「本当にみんな親切で、仕事も好きだったんだよ」
 そんなパン太の日々が一夜にして一変した。
 十日あまり前のことである。風の強い夜だった。パン太の店からほど近い裏通りの、ある秘密の風俗店から火の手が上がった。
 この風俗店は会員制で、特殊な趣味のある人たちが利用していた。縄で縛られたり縛ったり、鞭で打ったり打たれたり、ろうそくの火を肌に垂らしたり垂らされたりするのを楽しむ。つまりSMプレイの風俗店だった。火事の原因は、プレイに使用していたろうそくの火の不始末であった。
 怖いですねぇ~。SMプレイの火の不始末、気を付けましょうねぇ~。 パン……。
 風俗店のこの失火は、強風に煽られ、あれよあれよという間に近隣に燃え広がった。ここしばらく晴天が続き、空気が乾いていたのもいけなかった。
 パン太の奉公する店にも火の粉が降り注いだ。火の大好物である紙商品がわんさかある書籍屋は、あっという間に炎に貪り食われた。
 奉公人たちはみな、着の身着のままで命辛々逃げ出した。幸い軽い火傷を負った者はいたが、亡くなった者はいなかった。
「みんな無事か、良かった」
 番頭が奉公人たち全員の顔を確認し、無事にほっと一息ついたとき、台所女中頭が「あれ。ご主人はどこ」と主人の姿がないことに気が付いた。
 それから一晩中、店のみんなでご主人を探したが、見つからない。それもそのはず。その夜、ご主人は、出火元の会員制秘密風俗店にいたのだ。ご主人は火に追われて二階の窓から飛び出したはいいが、そこは裏通りの密集地である。隣家の石垣に頭をぶつけて亡くなっていた。
 翌日の朝になって、火事現場を検めていたお役人が出火元隣家の石垣の下に遺体を発見した。パンツ一丁に、首に荒縄を巻き付けた見るに堪えられない姿であった。たまたま、そのお役人が書籍屋のなじみ客であったために、すぐに身元が判明したのは幸いだったのか不幸だったのか。 
 誰にでも、秘密の一つや二つ、黒歴史の一行や二行はあるものです。絶対信号無視なんてしないと宣言している人が、早朝の車も人も誰も通らない一メートル足らずの横断歩道で、信号が赤なのについ渡っちゃった。宣言している手前、誰にも言わずに秘密にしているなんてことだってあるでしょう。
 みなに慕われていたご主人にも、秘密があっても不思議はない。たくさんの社員を率いる社長であるがゆえに、余計言えない。ちょっとかわいそうな気もしますね。ご主人は、自身の持つ特殊嗜好によって、これまで誰にも迷惑をかけてはいない。きっと、迷惑をかけないように、専用の場所で発散していたんでしょう。ああ。不憫なり。南無阿弥陀仏。彼の魂が救われますように。
  パン。パン。
 
 火事で焼け出された人たちは、町役場が用意した避難所に身を寄せた。パン太たち書籍屋の奉公人たちも、その汚れて疲れた身体をひとまず、そこに横たえた。
 奉公人一同、みな途方に暮れていた。ご主人が亡くなり、お店は丸焼け。配給の饅頭や握り飯をかじりながら、今後のことを話し合うも、どうにも知恵も気力も湧いてこない。何しろ、ご主人がショッキングな亡くなり方をしている。しっかり者の番頭でさえ、ショックで気落ちしている。
 焼け出されてから三日後、パン太は避難所の外便所で用を足して戻ろうとしたところで、見知らぬ女から声を掛けられた。化粧をしていない顔は青白く張りがないが、太っている。太っているが、頬やお腹の肉は締まりなく垂れ下がっている。着ている袖なしの割烹着には、ちょうど腹のところに大きなポケットが一つ付いていて、それが女の太った腹をより強調していた。
「ちょっと助けて欲しいんだけど」
「どうしたんですか」
 具合でも悪いのだろうか。顔色が悪いし。
 パン太が近寄ると、女はむんずとパン太の腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張っていく。具合が悪い人の力ではない。
(何か、ヤバイ)
 パン太は女の手を振りほどこうと藻掻いたが、一向に女の手は緩まない。
「誰か……」
 パン太が助けを呼ぶ声を上げようとすると、女は慌ててパン太の口を分厚い手で塞いだ。そして、あれよあれよという間に、パン太は避難所の敷地の外に引きずられていった。
 避難所敷地の向いにある一杯飲み屋の前まで、パン太は連れて行かれた。そこに男が一人、立っていた。キンキラした細身のズボンを履いた遊び人風の目付きの悪い男だ。
「この子だよ」
 女は、男の前にパン太を突き出すようにして放った。
「見なよ。こんなに痩せて。あんたが養育費を出さないから。かわいそうだと思わないの。親なら養育費ぐらい出しなよ」
 えっ? 何言ってるの、この人。パン太、びっくりだ。
「ちょ……もがっ」
 ちょっと待って、と言いかけたパン太の口を再び女が塞いだ。
「けっ。お前がこいつの食う分も食っちまってんじゃないか。説得力がねぇんだよ。お前の贅肉満載ボディじゃな」
「あたしのは、体質なの」
「じゃあ、こいつも体質で痩せてるだけじゃねえの」
「病気なの、あたしの場合は。生まれつきの病気で、そういう体質になってるの」
 男があきれ果てたように嗤って、地面に唾を吐いた。
「あんた、身に覚えがないとは言わせないよ」
「正直ねぇよ。お前の店で飲んでて、気が付いたら朝で、お前がで俺の隣にトドみてぇに寝っ転がっていただけじゃねぇか。俺は覚えが何もねぇよ」
 男は畳みかけるように言った。
「しかも、それ二年前だろ」
 いくらパン太が小柄といっても乳幼児には見えない。女の目が泳ぐ。
「お前の店でたいして飲んでねえのに意識がなくなって、目が覚めたら、一文無しでどぶ板の上で寝ていたって話を聞いたことがあるぜ」
 気が付いたら見知らぬ爺と寝てたって、女の話も聞いた。一服盛ったんだろ。
「タレ込んでやってもいいんだぜ」
 お役人の所とか、それとは真逆の恐い所とか。自分たちのシマで勝手にいざこざの元になるようなことされたら、面子メンツが立たない方々がいらっしゃるだろ?
 女は黙って唇を噛んでいる。顔が引きつっている。
 女の様子に男は、「ざまあみろ」と高笑いしながら去って行った。
「ちくしょう」
 男の姿が見えなくなると、女は悪態を吐いて、パン太を店の中に突き飛ばした。パン太は慌てて起き上がり、逃げようとしたが、女のでかい体が店の入り口をすっかり塞いでしまっている。虫一匹通れやしない。
 女は、割烹着のポケットから粘着テープを取り出すと、パン太の口を塞ぎ、手足を縛る。たぶん最初からパン太が抵抗したら縛って連れてくるつもりだったのだろう。
「仕方ない。こんなガリガリのガキでも、酒代ぐらいにはなるか」
 女はパン太を担ぎ上げた。
 そうしてパン太は、売られてしまったのだった。
  パン!

 「パン太もひどい目にあったんだ」
 しんみりとキン子が呟いた。どこからか、犬のワオーンと悲しげな遠吠えが聞こえた。
「これから、どうなっちゃうんだろ」
 パン太がため息を吐いた。キン子も不安である。
「焼き豚にされるのかも」
「いくらなんでもそんなこと、あるわけないよ」
 考えすぎ。キン子ちゃんは想像力豊かだなぁ。面白いなぁ。パン太の声がちょっとだけ楽しげになる。
「そ、そうだよね」
「そうそう」
 パン太の明るい声に、キン子もちょっと元気が出て来た。
「あるわけないか」
 あははは……うふふふふ……二人とも声を出して笑い出した。
 が。あるわけがあったんだなこれが。
  パパン!

 翌朝、夕べの女がまた無言で入ってきた。水と「割れビスケット」とシールの貼られた欠けビスケットの入った袋を投げるようにボロ樽の上に置いていく。
 キン子とパン太がそれを食べ終わった頃、ジャラジャラと安いアクセサリーを身に着けたケバい男と、クチャクチャとガムを噛んでるチャラい女がやって来た。そして、キン子とパン太は、大きな市場いちばに連れて行かれた。
 市場では、様々なものが売買されていた。野菜や肉、魚、生きた鶏や豚、布地や衣服、ランプやランプの油、すきくわなどの農耕具からのこぎり、かんな、釘などの大工用具まで、生活や仕事に必要なありとあらゆる物があった。
 キン子とパン太は、その一角に置かれた古い木箱の上に座らせられた。首には「特売品」と大きく朱書きされたボール紙をぶら下げている。
 市場は大勢の人で賑わっており、たくさんの人がキン子たちの前を通っていったが、誰一人として二人に見向きもしなかった。
 正午が近づいた頃、ケバ男とチャラ女が、キン子たちが首からぶら下げているボール紙の「特売品」の文字の前に「大」を書き加えた。それから「鯉の餌」と書かれたパンくずの入った袋と汚い欠け茶碗に入った水を二人に与えた。
 午後になっても、キン子たちに関心を示す人はなかった。二人の子供は、居疲れしてコックリコックリと船を漕ぎ出した。
 はっと気が付くと、首に提げたボール紙の文字が「処分品」と書き換えられていた。少し離れたところで、ケバチャラ男女が老婆と筋骨隆々とした顔立ちのよく似た二人の男たちと、何やら話している。
 老婆たちが去った後、まだ市場が閉まる時間には随分と早いのに、キン子たちは昨夜の小屋に戻された。
 早い時間に戻されたことで、逆に不安になる二人。
「これから、どうなっちゃうんだろ」
 震える声でキン子が呟いた。
「やっぱり、焼き豚チャーシューかなぁ」
「ないよ。ないない」
 否定するパン太の声は、昨夜と違って力ない。二人揃ってため息を吐いた。
「どうしよう……」
 パン太の声が湿りを帯びている。キン子も泣きたくなってきた。
 二人して、しばらく膝を抱えて俯いていたが
「もう嫌だ。こんなとこ、いたくないっ!
 突然、キン子がキレて立ち上がった。我慢を知らない金満お嬢育ちキン子が、ひたひたと忍び寄ってくる絶望に耐えられなくなったのだ。
「もう、出してよ!」
 板戸をガンと蹴飛ばす。すると、バリンとキン子の足が板戸を破った。同時に
「……えっ。開いた?」
 戸がキィと開いた。鍵、掛かってなかったんかいっ!
  パンッ‼

 驚きである。鍵を忘れただけなのか、逃げないと高をくくっているのか、それとも単にバカなのか。
「に、逃げる?」
 キン子が板戸から足を引き抜きながら、恐る恐るといった態で振り向く。
「……に、げ、よっか」
 パン太も、ぎこちなく応える。そして、目が合うと「うん」と二人揃って力強く頷いた。
「鍵が掛かってないってことは、いなくなられてもいいやってことだよね」
 自分たちは、いらないってことだよね。逃げたって何の支障もないんだよね。
「どうせ売れ残りだもん。誰も追ってこないよ」
「だよねー」
 二人は顔を見合わせて小首を傾げる。
 そして、手に手を取って、売残り小屋から豚走……いや遁走した。
  パパン‼

 ……まあ、鍵が掛っていても、キン子の蹴り破った穴から、きっと、逃げられたでしょうけれどもね。 パン。

 小屋を出て、廃材やらガラクタやらが雑然と積み重なった敷地を抜け、二人の子供は、狭い路地を大通りがあると思しき方に向かって、ちょっとスキップ気味で駆けていく。進むごとに、段々と賑やかな街のざわめきが近づいてくる。
「待ちやがれ、クソガキども!」
 突然、怒声が背後から響いた。驚いて振り返ると、市場で見かけた老婆と男たちが追いかけて来るではないか。
出汁だし焼き豚チャーシューの分際で勝手は許さないよ!」
 皺くちゃな紙くずみたいなものが土煙巻き上げて走ってくる。老婆だ。すごい健脚だ。
 この婆さんは、通称「怪食堂」と呼ばれている怪しげなものを食べさせる激安食堂を営んでいた。婆さんの後に続く二人の男は、彼女の息子たちである。
 怪食堂の婆さんたちは、パン太を鶏ガラ代わりにスープの出汁に、キン子を豚肉代わりに焼き豚にしようと、人売りの男女に手付金を払っていた。キン子とパン太が脱走した直後、彼らが食材ふたりを引き取りに来たところ、食材のいるはずの小屋の戸が破れ、開け放たれている。中はもぬけの殻。手付けを払っているのに、逃げられたら堪らん。かなり買い叩いて、鯉の餌パン屑二袋ぐらいの金額だったといえども、強欲としても世間の評判をとっている婆さんである。一円だって一銭だって損したくない。
 きっと、食材たちが逃げるとすれば、大通りのある方向だろうと当たりを付けて探したら、ビンゴだった。
 自分たちに追いかけてこられるほどの価値はないと思っていたキン子とパン太は、凄まじい形相で迫ってくる三人を見て、呑気な気分が完全にすっ飛んだ。
「「ぎえぇぇぇ!」」
 全速力で走り出すが、腹ぺこの贅肉重し金満お嬢育ちガールと痩せっぽちチビで足も短いボーイである。あっという間に追いつかれた。
「手こずらせやがって!」
 二人が息子たちの太い腕に襟首を正に捕まれようとしたその時だ。
  パンッ‼

 突然、婆さんと息子たちがあさっての方にぶっ飛んで行った。
 ――キキキィ! ブッシュゥゥ……。
 さっきまで婆さんと息子たちがいたところに、見たことのない変な物体が鎮座している。真ん中が大きく盛り上がって、登頂が平らかな山みたいな形をしているが、全体の印象は四角っぽくて箱みたいである。乗合馬車ぐらいの大きさで、銀色の光沢があり、鉄ではないだろうが、何か鋼の類いでできているようだ。
「あっちゃぁー。人身事故っちゃったかな」
 ガチャッと音を立てて変な物体の一部が開いた。そこから首に丸い石のついた紐をぶら下げた、見たことのない服の、怪食堂婆さんよりは若いが、キン子の両親よりは年取った、ぶっちゃけ爺さんの部類の人が出て来た。
 想定外の出来事に呆然としている二人の子供に気が付いた爺さんの部類の人は
「びっくりさせてごめんヨ。怪我はない?」
 申し訳なさそうに声を掛けてきた。二人はぶんぶんと首を横に振る。
「良かった……って、あちゃぁー、PTA見られちゃったヨ。マズいヨ」
 爺さんの部類の人は、額に手を当てて、天を仰いだ。
 ぴーてーえーって何だ? 一体、何が起きて、この箱は何で、この人は誰なんだ? キン子もパン太も、頭の中が「はてな」だらけである。
「こらぁー! 何すんじゃ、わりゃあ!」
 突如、あさっての方向から罵声が鳴り響いた。見ると、怪食堂婆と息子たちが雄叫びを上げながら爆走してくるではないか。なんと、三人とも全くダメージなし。奇跡の頑丈さ。
「あらら」
 爺さんの部類の人も吃驚びっくりである。キン子とパン太は、動転してオロオロする。どうしよう。どうしよう。逃げよう。でも、すぐ追いつかれる。どうしよう……。
 ――隠れよう。
 どちらともなく、そういう結論に達すると、爺さんの部類の人が出て来た箱みたいな物体の中に飛び込んだ。
 すると、何やら弾力のあるものにぶつかった。顔を上げると、額のやけに広いというか、U字ヘアーのでっかいおっさんが座っていた。三人の顔が「あっ」という形でフリーズした。
「あれれ、あれ、あれ……」
 爺さんの部類の人がアワアワとして頭を抱える。
「と、とにかく、一端、ずらかりましょう、タマサカ先生。見られちゃったわけですし」
 我に返ったU字ヘアーのおっさんが、爺さんの部類の人に慌てて声を掛けた。
「そだね。見られちゃ仕方がないねぇ」
 ヤバい人が吐く黒い台詞がタマサカ先生と呼ばれた爺さんの部類の人の口から出た。
 あれ? この人、善人そうに見えるけど、もしかして違うの? 子供たちは狼狽えた。
 タマサカ先生と呼ばれた爺さんの部類の人は、子供たちをチラリと見る。それから鬼のような形相で、狂気と凶暴のオーラを待ち散らしながら、こちらへ爆走している三人を見る。はねちゃったらしい人たちは、全然大丈夫みたいだし……。
無問題モウマンタイ
 タマサカ先生は、そう呟くと、ささっと箱に入って、扉と思しき羽みたいな板をバンと閉じた。
「とりあえず、逃げようか」
  パン! パパン! パン! パン!

 さあ、大変。変な箱に入っちゃったキン子とパン太。一体、どうなる。最後に突然、出て来たタマサカ先生とは一体何者ぞ。 実は、このタマサカ先生という人物が、この先のキン子とパン太の人生を大変換させるキーパーソンであります。 そして、キン子とパン太が飛び込んだ箱――PTAとは何ぞや。少なくとも Parent Teacher Association の略ではないことは確かでございます。 さて、次回、2・5席目から物語のカラーが一転、ガラリと変わります。もう、詐欺ってぐらい変わります。
  パン!

 続きの気になる方は、チャンネル登録よろしく。

     🥔 🥔 🥔 🥔 🥔
 
 〈パン!〉と張り扇が鳴り、〈続きの気になる方は、チャンネル登録よろしく〉と高団子が深々と頭を下げた。
 同時に画面下には《チャンネル登録よろしくでございます👉》とテロップが流れる。指さし文字が登録ボタンを示して、せっつくようにピコピコと動いているのが、何とも鬱陶しい。

「うわぁ。パン太に続いて、タマサカ先生も出て来た」
 思わず呻いたキン子口から、食べかけのポテチがボロボロっと落ちて、キン子は慌てて口を押える。
「ねえ、どうして知ってんの? 売残り小屋の中のことまで」
 キン子の声がちょっと裏返っている。
「このキン子はキン子ちゃんで、パン太はボクで、タマサカ先生はこのタマサカ先生で間違いないよね」
 パン太がキン子、自分、タマサカ先生と確認するように指さした。
「まさか、まさかのタマサカだヨ」
 タマサカ先生の言葉に子供たちがしばし考え込む。
「……あっ、ダジャレってやつか」
 パン太がポンと掌を打った。
 子供たちの反応の薄さに、一瞬、無表情になったタマサカ先生だが、すぐに気を取り直して
「そう言えば、君たちのいた所にも粘着(ガム)テープってあったんだねぇ」
「うん。それがどうしたの」
 キン子が不思議そうな顔をする。
「君たちのいた所の科学技術の進歩度から、ガムテープがあるってのは意外だった。電気だってまだないんだから」
 タマサカ先生が説明する。タマサカ先生出身の所では、ガムテープは、電球を発明したエジソンという発明家が電球を普及させようとして間接的に生み出したものだという。
「当時は、一般家庭に電気が通じていなかったから、たくさん電力を作り出して、普通の家に電気を送ろうと考えたんだヨ。そのために水力発電所を造ろうとしたんだけど、それにはたくさんの人夫さんが必要で、その人たちの寝泊まりする簡易施設を早く簡単に作ろうと、ベニヤ板とそれをくっ付けるガムテープを発明したってわけだヨ」
 パン太が「へえぇ」と感心する。
「ボクらの所とは違うんだね。でも、ちょっと似てるかな。本で読んだことがあるよ。粘着テープは、板壁の隙間風や雨の吹き込みを簡単に防ぐために、ヒダリマキン蔵って天才大工が発明したんだって」
 今度は、タマサカ先生が「ほう」と感嘆する。
「一見すると文明度が遅れている、あるいは進んでいる所でも、前者にはないだろうと思うものが開発されていたり、後者にはなかったり、前者にも後者にもあったりなかったり。化学は進んでいるけれど、機械科学は遅れていたり。他の所より科学や文明が遅れていたのが急に発達したり……。逆に進んでいたところが遅れ出したり……。科学や文明の進み方って、子供の成長みたいところがあるよネ」
「どういうこと?」
 キン子が首を傾げた。
「ある日、パン太の背がぐんぐん伸びて、キン子より大きくなったり、キン子が突然、勉強に目覚めて、パン太よりも勉強が好きになったり、あるいはキン子の体重がそのままで背だけ伸びて、スリムなモデルさんみたいになったり、とかね」
「ええーっ、まさかー」キン子が笑う。
「あり得なくはないけど。理論的には」パン太も笑う。
「あったら、面白いよネ」タマサカ先生も笑う。
 ひとしきり笑ったところで三人は、じゃ、続きを見ようと、次の動画を再生した。
「ところで、この『少女デブゴン』って、やっぱり、あたしなのかな」
「間違いないと思うよ」
「そりゃ、そうだろ」
 とパン太とタマサカ先生が何を当たり前のことを今更とキン子に返す。「複雑」
 キン子が呟いたところで、画面の中の高団子がぺこりとお辞儀をして、3席目――ではなくて、2・5席目が始まった。

 〈続く〉


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