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お試しだけで終わってほしくないので、父にエールを送った!!

今日は、延命治療中の父の面会予約の為に、病院に電話を入れた。
ついでに、先週の金曜日に、入院以来、3ヶ月半ぶりに食べたという刻み野菜食の経過を聞いてみた。

そしたら、ちょっと残念な答えが返ってきた。
あの日、食べたのは、嚥下訓練の一環として、お試し的に食べさせる形を取っただけのようだった。
父は「味がなくて美味しくない」と言っていたので、あまりたくさんは食べられなかったようだ。

それにより、食べる意欲が少ないと判断されて、どうもその後、刻み野菜食による訓練をしていないような感じだった。
はあ、ぬか喜びに近かったようです。
一緒に喜んで下さった皆さん、ごめんなさい_(._.)_

しかしながら、せっかく訓練にチャレンジしてくれたのに、早々と諦めてしまうなんて、こんなもったいないことはないと思い、私は看護師さんに頼み込み、父に電話を持っていってもらった。
そして、言った。

「お父さん、刻み野菜を食べる機会を与えてくれたのは、お父さんの体を良くする為なんだからね。味がないから美味しくないとか言ってたらダメだよ。もし、次に食べさせてもらえる機会があったら、体を良くする為だと思って、食べる気持ちを上げて頑張ってね!」と。

まあ、無理を言っているのはわかっている。
しかし、口から食べることができることが、やはり生きる力にも欲にもなることを思うと、簡単に諦めたくはなかったのだ。
もちろん、常に誤嚥性肺炎のリスクと背中合わせなので、私だって正直言って怖いのだが。

今日の看護師さんは、決して悪い人ではなかったが、またも父の食事に対して、「限界」という言葉が出た。
要は、現状は、鼻から栄養と高カロリーゼリーによる栄養摂取方法が限界だということだ。
これまでの記事で、心無い、担当ソーシャルワーカーさんが、不躾な発言として、父の食事状態に対して「これが限界」発言を行ったことを記事に書いたが、またも別のスタッフ(看護師さん)から「限界」発言を受けた。

患者の家族としては、簡単に「これが限界」発言なんてしてほしくない。
しかし、スタッフ側の感覚は違うのだろうか?
下手に期待されないように、「これが限界」発言をすることで、病院と患者側のトラブルを減らす為の慣習になってしまっているのだろうか?

実際、父は、車椅子の訓練も前よりもしてもらえてない印象だ。
鼻から栄養を摂る行為はとてもデリケートなようで、車椅子の訓練をすることによって、栄養の流れを悪くしてしまうこともあるらしい。
父の体の安定を優先にすると、車椅子の訓練も、嚥下の訓練も、簡単に、やればいいという問題でもないのかもしれない。



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