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大好きなふとんと嫌いなタオルケット

一段と寒くなってきた。

あったかくてキマる飲み物

今日なんて日は自動販売機で買うあったかいマックスコーヒーが恋しくなるし、コンビニで肉まんとあったかい缶コーヒーを買って物思いに耽りながら外で食べるのが良い。

なんてったってアイロニー

この時期になると待ち焦がれていたやつがやってくる。ハロウィンでもクリスマスでもお正月でもない。

寝る時の掛け布団を増やすことだ。

もうたまらなく好き。

いつも部屋は常夜灯にして寝るのだが、時々その明るさすら煩わしい。だから、ふとんの中に潜り込んで、暗闇を感じる。

暗闇は恐怖ともあるが、安全が確保された場所では暗闇こそ恋しいものである。

まるで自分が溶けているかのように、世界と自分が一つになる。感じるのはふとん越しに反射して感じる自分の熱だけである。

毎日世界に溶け込んで、自分という個人の振り返りをするのだ。秋刀魚という人間のとしての個を。

そうして思い出してしまった今日の失敗、トラウマ、日々の後悔の積み重ねを、曖昧になった自分と世界の境界を取っ払い、それらの「悪いこと」をミクロとして捉える。そうすると自分ごととして考えていたことも、世界から見たらちっぽけな物だったなと笑えてくるのである。

あっはっはっは。

そうして優しく暖かく包み込まれて眠りにつくのである。
朝起きて個としての自分を確立するために。


反対にタオルケットは嫌いだ。
カタカナの時点で腹立たしい。

熱帯夜の寝苦しい夜にはやつがいる。でもタオルケットは布団と違って、自分を包み込まない。
常夜灯の光さえ感じる、煩わしい。

熱を出すように、されど寝冷えしないようにと最低限のことしかしないのである。

タオルケットに潜り込んでも、暗闇に溶け込めない。個としての自分を保ったまま眠りにつくのだ、それ故にトラウマも後悔も失敗も全部笑えない。

リセットできないまま明日を迎えて昨日より調子が下がる。

タオルケットはいわば「そういうやつ」なのである。

もし掛けふとんに包まって寝たことがないなら試してみてほしい。

眠る瞬間、世界が曖昧になって、全てがどうでも良くなってくるその感覚を。非常に心地よくそこに考えなんていらない。
だから惰眠を欲するんだよなぁ

自分に人にコミュニティに社会に世界に疲れたらふとんへお帰り。

個人の杞憂は世界の些事。

ふとんは知っている。タオルケットは知らない。

疲れちゃうな、もう今日は書くのをやめて、インターネットからログアウトして眠ろう。


読めばもっと楽しめる。

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