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挨拶をしない娘に思うこと

以前の記事でも書いたが、年中さんの娘は新年度の雰囲気にのまれてしまい、ちょっとナーバスになってしまった。

娘は人見知りで警戒心が強いため、新しい担任の先生に緊張してしまい挨拶すらまともにできなくなった。「おはよう」や「さようなら、また明日ね」など、先生は娘の目線までしゃがんで丁寧に挨拶してしてくださっているのに、娘はしかめっ面で顔を背けてガン無視。

そもそも、新年度とか関係なく以前から娘は挨拶が苦手だった。

慣れ親しんだ担任の先生ならOKだが、担任ではない先生と廊下で会ったときなどに挨拶できないのだ。ありがたいことに、先生方は立ち止まって娘の名前を呼んでにこやかに挨拶をしてくださる。しかし、娘はニコリとすることもなく、無表情でスルーしてしまうのだ。

そんな娘を見て、私の中でモヤモヤとイライラが蓄積していた。挨拶をするようにやんわりと注意してきたが、全く効果なし。新年度で更に状況が悪化して、私の溜まった感情がついにあふれ出してしまった。

いくら慣れない先生だからって、その態度は良くない。失礼だ。4歳だから仕方ない、人見知りだから仕方ない…では済まないのでは?

もうこれは娘にしっかりと言うしかない…!


保育園からの帰り道、私は思わず娘に言った。

私「先生がご挨拶してくれてるんやから、娘ちゃんもご挨拶しようよ。」

娘「…やだ。恥ずかしい。」

私「でもさ、娘ちゃんがご挨拶したら、先生はすっごい嬉しいと思うで。ご挨拶できると、娘ちゃんもきっと嬉しい気持ちになると思うけどな…」

娘「…でも、恥ずかしいもん。」

私「娘ちゃんはさ、先生にご挨拶したい?」

娘「…したい。」

私「ご挨拶したいけど、恥ずかしくてできないの?」

娘「…うん。」

私「恥ずかしいからって、しなくていいわけちゃうよ。頑張ろうよ。」

娘「…」

私「ママがいっしょに言ったらできる?」

娘「…」

私「…ママがいっしょに言うから、やって!
わかったね!?」

娘「…はい。」

私はイラついてしまい、こんな感じで半ば強引に話を終わらせてしまった。少し時間が経って、このときのやりとりを振り返って、言い方がまずかったな…と反省した。

私は一体何にイラついたのだろう?この負の感情を言葉にしてみると、こんな感じになった。

  • 挨拶をしないことに対する嫌悪感

  • 先生に対しての申し訳なさ

  • 私の躾がなってないと思われるのでは…?という恐れ

  • 私の躾が悪いのかも…という自責の念

  • 娘が大きくなってもこのままなのでは…?という不安

私は娘の言動を自分のもののように感じているのかもしれない。娘の不始末=自分の不始末 このような思考回路になっている。だから、まるで自分が挨拶をしていないかのような気分になっていた。

いくら娘といえども他人。他人は自分ではないので、コントロールできない。ならば、他人の好ましくない言動を全て自分のせいだと考えるのは道理に合わない。

自分と娘を切り離して考えることができていたら、こんなにイライラしなかったのかもしれない。


あとは、自分の躾についての考え方が未熟だと思い知った。


もし他所の子どもが挨拶をしてなくても、なんにも気にならない。「まだ小さいんだし、仕方ないよね」くらいにしか思わない。それは、私にとって他所の子どもには責任がないし、その子の将来を心配する必要もないからだろう。

私は挨拶を重要視している。だから、娘には挨拶をきちんとできる子であってほしい。でも、私にとっての「こうあるべき」に娘を当てはめることは、親としての責任を果たすことはではない。

娘には娘の葛藤があるはずだ。挨拶はした方がいいと分かっているし、したいという気持ちもあるけどできないのだ。親として私がすべきことは「挨拶をする」という結果を出させることではなく、娘の気持ちに寄り添い背中を押すことのはずだ。

翌日、私はもう一度娘と挨拶についての話をした。

私「娘ちゃん、今日は先生にご挨拶できそう?」

娘「はずかしいから、できない…」

私「でも、やりたい気持ちはあるんよね?」

娘「…うん。だって、あいさつしたら、うれしいんやろ?」

私「そう!ちゃんと覚えててくれたね。ありがとう。その気持ちがあれば、いつかできるよ。大丈夫。ママに手伝ってほしいことがあったら、いつでも言ってね。」

娘「…うん」

私「昨日は怒っちゃってごめんね。」

娘「…うん」

娘はまだ挨拶ができない。今日も先生の挨拶をスルーしていた。今はそれでいい。ゆっくりでいい。いつかできる日が来る。

その日はピザでもとって、パーっとやろうや。

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