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コロナ禍が私にもたらした厄災①

2020年 コロナ元年の日本


2020年コロナ禍が始まった年。
緊急事態宣言で人や物の往来に異様な制限が課された。
未知のウイルスという不安と恐怖を煽る情報によって
国民が戸惑いを見せる中、
政府の対応は矛盾だらけで『茶番劇』と呼ぶにふさわしいくらい
滅茶苦茶だった。

代表的な例をいくつか挙げると

  • 『飲食店のお酒の提供は夜8時まで』という謎の時間制限。         →ウイルスが感染する時間を選んでくれるわけでもないのに…。

  • 緊急事態宣言を出したかと思えは、GO TO トラベルなどのキャンペーンに公金を投入する。                            →往来を制限するのか推奨するのか、ダブルスタンダードすぎる…。

  • まさかのアベノマスク不衛生で小さい布マスク2枚)配布

  • マスク着用を推奨といいつつ義務化する企業強要する施設               →不織布マスクでもウイルスの侵入や拡散は防げない。          マスク着用で酸欠 熱中症、免疫低下のリスク。

上記はほんの一部だが、どれをとっても
政権与党議員等のお友達企業に金が流れ、議員自身もキックバックを得るための政策であり、
国民大半の利益になることはなかった。

政策のすべてが頓珍漢で明らかにおかしいのだが、
政府の方針に異を唱えるものを『デマ』だと自称感染症専門家や
与党議員がレッテルを張り、情報統制が本格化していた。
マスコミはもはや政府のプロパガンダと化していた。

まるで戦時中の大本営発表だ。

その結果、不安や恐怖を煽る情報や偽りの情報が溢れ、
多くの国民は政府に不都合な真実の情報から遠ざけられ、
思考停止状態に陥り、
コロナ対策と称した茶番劇に自発的に参加・協力することになった。

2020年 私に起きたこと

派遣切り

私は技術派遣として大手メーカーで働いていた。
コロナ禍での人・物の往来の制限は、飲食店や観光業のみならず、
メーカーなど多くの企業に不況をもたらした。

その結果、人員整理と称した派遣切りが起き、私もその対象となった。

人材派遣会社の正社員とは

派遣先企業との契約は切られたものの、一般派遣とは異なり
派遣会社の正社員だったので次の派遣先を探す間は待機指示となる。

待機指示とは

仕事がない状態なので、自宅で会社のシステムにアクセスして
日報のようなレポートを書くだけで、あとは自由だ。
自由といってもタスクが無いだけで、自宅にいて定時内は出社要請があればすぐに出られる状態でなくてはならない。

一見楽そうに聞こえるかもしれないが、時間的余裕があるだけで
金銭面では思いのほか苦しい生活を強いられる。

待機期間の給与は基本給のみで、一人暮らしの生活はギリギリだったが、
今回に限って会社からさらに追い打ちをかけられることとなった。

待機状態の派遣社員が全国で500名を超え、会社の経営が傾き、
給与も通常待機時の6割程度の支給と決まった。
その代わり、『待機指示はなし』ということだった。

待機指示はなし』ということは、日報も提出不要、出社要請は必ずしも応じなくてもよい。すなわち、社則で副業を禁じているため会社の立場で表立っては言えないが、給料が保証できない代わりに副業することも咎めない
とのことだった。

何という開き直りか。

そのため、短期のバイトや派遣で働いて食いつながないといけなくなった。コロナ禍で求人自体少なく、ハードな仕事ばかりだったが、
背に腹は代えられない。

私が行ったバイトの求人に集まった人達は、
コロナ禍で職を失った人達ばかりだった。
中には自営業の人もいて「経営が続けられないから」と話していた。

私一人だけが苦境に立ってるわけじゃない

そう思いながら、この状況を乗り越ようと何とか自分を奮い立たせていた。

4か月後

4か月が経ったころ、担当営業との面談するよう会社から連絡がきた。

会社に出社して面談をすると、担当営業の男性(以下、営業くん)が切り出した最初の話は全国転勤の打診だった。
九州などに転勤してはどうか と言うのだ。

全くもって腑に落ちない話だ。

全国で待機状態の派遣社員が500名いるというのに、
転勤したところで派遣先が見つかるはずもない。

そのことを営業くんに話すと、本題を話し始めた。

本題はそう、『解雇』である。クビだ。

まあ大方そうだろう と想定していたので驚きはしなかったが
少し寂しいような悲しいような、何とも言えない気持ちになった。

営業くんに「”会社都合”での退職になるよね?」と確認すると
営業くんの顔がほっとした面持ちに変わった。
もっとこじれると思っていたのだろうか。

人員整理はする側もされる側も過酷だ

双方納得できないことも多々あるし、キツイことを正直に告げた上で話し合わないといけない。
私としては、転職先が見つかる保証もないし、これから先が不安なのは事実だ。
しかし、派遣という働き方も見直したかったし、何よりこれ以上発展しない状況にいつまでもしがみつきたいとは思えなかった。

『立つ鳥跡を濁さず』。ここでスッキリ終わらせたかった。

私はその場で退職手続きの書類にサインし、
『今までお世話になりました』と営業くんに挨拶して
会社をあとにした。

社会と繋がりが消えた後

思い返すと今まで会社を辞める時は自主退職ばかりだった。
解雇』=『必要ない人間』と言われてるような気がして、
考えないようにしても心の奥でネガティブな感情が渦巻いて、
苦しかった。

失業保険を受けながらの生活になるため、バイトも辞めた。

会社という組織から抜けて、社会とつながりが消えた途端、
生活のメリハリは消え、無気力で抜け殻のようになり
何もする気が起きなかった。

ワーカーホリックだったわけではないが、
ずっとネガティブな感情に引きずられて、
好きなこともやりたくなくなり、楽しめなくなった。

コロナ禍が終わる気配もなく、
何をすれば自分の状況が改善するかもわからず、
ただただ途方に暮れていた。
どうすることもできない、どうしたらいいかわからない、
何も行動できない、そんな自分の状況がより一層自己肯定感を下げた。

コロナ禍が私にもたらした厄災② に続く