【Aくんとの誓い】
月1〜2回前橋の病院に通院してるので、通院ついでに前橋に住む友人Aくんと桜を見たり酒を飲んだりしてきた。
彼は大学に入ってすぐからの付き合いで、とても気の合う面白い人だ。
なんせ僕がどれだけバカなことをしても、世間から逸脱したことをしても腹を抱えてそれを笑ってくれるものだから非常に一緒にいて心地が良い。
僕がが過去に友人の連帯保証人になって100万以上の借金を作った時も、訳あってアンダーグラウンドな社会に身を置いていた時期も、適応障害になって無職の日々を過ごしていた時も、心配はしっかりしてくれながらもその様子を見て笑い転げてくれていた。
まぁ実際、今でも僕は借金がありギリギリの生活をしている。
電気代に関してはすっかり払い忘れていた上に、ポストを2週間以上確認していなかったから支払い催促の通知を完全に見逃してしまっていた。
どうやら明日から電気が止まってしまうらしい。さて、どうしようか。
と、こんな話をするとやはり今回も笑ってくれていた。
僕も彼も徹底的に人の痛みや弱さを知っている人間である。
彼は現在かつての僕と同じように適応障害となってしまったため休職をしている。
休職をするというのは最初の頃だけは一切のしがらみから解放された快感に満ち溢れるものの、世間が言う「毎日が夏休み」などというお気楽なものではない。
適応障害や鬱などは他者から見た時に深刻さが伝わりづらいため、往々にして「働くのが嫌だから行動せずにサボっているだけ」と見られがちである。
故に不安定な精神状態の中で毎日親や周りの人から労働を促されるというのはよくある話であり、その焦燥感はそれを経験した人にしかわかり得ないものと思う。
「毎日が夏休み」ではなく「毎日がたくさんの課題が残ったままの夏休み最終日のお昼頃」とでも言った方が的確だろう。
そういうわけで彼もまさに今その真っ只中であり、やはり現在ナイーブな状態となっていた。
彼は世間が顔を顰めるような非倫理的なものに対しても笑えるパワフルさを有する一方で、非常に繊細で純粋な心を持っている。
それゆえに僕は彼が好きなのだ。
河津桜を楽しみながら酒を2人で飲んでいる時に、少しセンチメンタルな話になった。
僕はもう自らの子を授かることは半ば諦めている。
僕自身発達障害で散々苦労をしてきた上に、母が統合失調症のため、僕もいずれ同じように統合失調症になる可能性は大いにある。
例えば芥川龍之介が抱えていた「漠然とした不安」の中には、彼の母が精神疾患の人であったためいずれ自分もそうなってしまうだろうという恐れも含まれていたらしい。
この気持ちは僕も良くわかる。
僕の母は良いところのお嬢様の人であり、容姿も美しかったらしいためなんとかなった。
自分で言うのもおかしいが、僕もこの容姿に助けられてきた。
僕は幼い頃から比較的可愛らしい容姿と無邪気さを持っていたため、人に助けてもらえることが多かったし、いわゆる中流階級の家庭であったため、お金に困ることはあまりなかった。
そしてなんだかんだ言って天衣無縫のアクティブさに加え、特化していると評されるいくつかの特技があったため今まで生きてくることができた。物を書くことや言語化もその特技の一つだ。
世間では落伍者として見られるような僕ですら、はっきり言って現代の発達障害者の現実を見た時にかなり恵まれた立場にあることは認めざるを得ない。
とはいえそんな僕ですら現在金銭面では窮地の状態であり、この状態を抜けだせないまま子を授かった時に金銭面で不自由なく我が子にのびのびとした環境を提供してあげられる自信は今のところこれっぽっちもなく、芥川龍之介で例えるなら芥川也寸志のような子を育てられるとは到底思えないのだ。
そして仮に金銭面の問題が解決したとしても、この感傷的になりやすい精神を引き継いで生まれてしまうことを考えると、子を残したい気持ちよりもこんな苦しみを味わせたくないという気持ちの方が勝ってしまう。
ゆえに僕は子を授かることを諦めているものの、やはり「何かを残したい」「生きた証を残したいって」という想いは捨てきれずにいる。
そんな話を彼としていると、彼もまたそれに概ね同意して、こんなことを言ってくれた。
「自分は確かにここにいたんだ。
ここで必死に生きてきたんだ。
そういう証を残したいって思う。
がんばって生きたのに何も残らないのは悲しすぎる。」
「でも、どうやってそれを残せばいいのかわからない。俺には何もないから。」
「お前は言葉にする力がすごいし、いいよなぁ。なんだかんだ昔から人が途切れることもなくて、いつも周りに人がいたもんな。お前は人を惹きつける魅力があるけど、俺にはなんにもないからなぁ。」
たしかに僕は周りにいつも人がいてくれた。
しかし僕がこころを通じ合える人はほんの僅かであり、実際のところはあまり彼も僕も変わらないと僕は思う。
表面的な交流が多いことは却って孤独をより強調させるだけであって、だからこそ僕は最早かつてのようにいつも周りに人がいる状態ではなくなっている。
それはなぜか……結局多くの人が見誤っていた僕の異常性をこの年齢になるにあたって正しく捉え直したからであり、すなわち僕は元々大して人と交流などしていなかったのだということだ。
そんなことを僅かの間に考えつつも、僕は彼のやるせない想いに僕なりの回答を添えた。
「よし、じゃあ俺が死ぬまでに君のことを綴って残そう!君は俺の人生を語る上では欠かせない人だからね!」
僕が出せる精一杯の回答は、これに尽きた。
彼は満足気に笑ってくれて、僕たちはまた河津桜を眺めた。
僕たちの人生はやはり桜なのだ。
一瞬の間を必死にもがいて生きて、その物語を結晶化する。
運命に対する反逆だ。
自分たちが生きた証は、その魂は自分の芸術で歴史に必ず刻みたい。
自分自身も、そして自分の誇りである宝玉たる人達を必ず世の人達に刻み込む。
僕は青春を感じられた。
まだ「必ずこれを成し遂げる!」と思えるほど若いのだと気づいた。
文学と芸術は僕の最後の決戦だ。
僕の人生を彫刻できる最後のチャンスだ。
これに気づかせてくれたAくんに心からの感謝を示したい。
ありがとう。
R6年 3月19日(火)
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