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渡らない渡り鳥のラグーン

こちらに来て息の合うお友達が出来て、お家にご招待されるようになった。

私は良くも悪くも好みがはっきりしているのか、きゅっと惹かれる人とは距離感のバグが起こりポンと懐に入り込む。その他の人に対してはなかなか記憶に残らず、学生時代に、これは人を覚えられない病気なのかな?と思ったほどだ。

人に対して、〝好き”か〝その他”で、〝苦手”と感じる人は極端な例を除いてあまりいない。
私が人に対して期待をしていないからなんだろうなと思う。

期待をしていないというのは、決して後ろ向きな意味では無くて、期待の重さの天秤が常にどちらかに傾いているとか、逆に常に均衡を保った状態じゃなくても、自分が出来る事は自分に対しても人に対してもやるし、出来ない事は頭を下げてやってもらうし、相手が自分と異なる考え方だったとしても何のつかえも無くそうかと飲み込める、そんな感じ。(そうもいかないケースもあるけど)

相手も自分も不完全で変化していくのを、風が吹いて葉が揺れるような感覚で捉えていたのはたぶん思春期の頃から。


話がすんごく逸れた。

冒頭の友人、彼女とは図書館の狭い日本語書籍のコーナーで出会った。アジア人しかも日本人と、このように出会う確立はとても低い地域で、彼女にもまたきゅっと惹かれるものがあった。

カルフォルニアの海沿いには、陸に入り組んだラグーンがあり、ラグーンに沿うように家が並んでいる。多くの家はカヌーを持っていて、移動は車またはカヌーとなんともアメリカっぽい。川では無いので氾濫の恐れもなく、庭先から朝陽が反射するラグーンを眺めながら食事をとったり、運動がてらカヌーを浮かばせたりするらしい。

私が住んでいる丘の上と違い、天候が安定しているからか、居心地が良いと気づいた渡り鳥がいつの間にか渡らず居座りだし、その糞などがちょっとした問題になっているそうだ。

渡らない渡り鳥ってどうなっちゃうんだろ。磁石も地図もなくちゃんと目的地へ渡るって信じられない能力なのに、その力も消えていくのかな…なんて話を大人同士でしていたら、傍にいた8歳の彼女の子が「人間も同じだね。」と言い出した。

手にかけていたコーヒーが完全に冷めるまでその理由を一通り聞いた。
NASAと書かれたトレーナーがお気に入りのその子に、私は今興味津々だ。

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