何故私はWNOを見るのか?

1 アメリカのプロ・グラップリングにおいて、今最も人気を集めているのがWNOWho's Number One)だろう。
 WNOは2019年に始まったので、イベントとしての歴史は浅いが、コロナ禍で飛躍的に成長し、今では(ADCCを別格とすれば)プロ・グラップリングにおける世界最高峰の大会になっている。

 私がWNOを見るようになったのは、ちょうどこのイベントが耳目を集め始めた頃だったが、他のプロ・グラップリングや柔術イベントとは比べモノにならないくらいよく出来ていると思う。
 その理由をいくつか挙げてみよう。

 まず、試合時間が長い。

 WNOの試合は20~30分に設定されているので、競技柔術のように最初から全力でリミッターを振り切って「オールアウト」しようとする選手はいない。
 長い試合時間の中で、攻守がしばしば入れ替わるので、試合に勝つためには、「ディフェンス」に始まり「サブミッション」で終わる柔術の全ての側面についての高いスキルと、相手をサブミットするまでの明確な「ゲームプラン」が求められる。
 そういう「ゲームプラン」の組み立て方ひとつを取っても、ポイントやアドバンに縛られた競技柔術の試合と違って、各選手の個性がハッキリと出る。
 
 ちなみに、一度だけであるが「時間無制限」の試合が組まれたこともある。
 その試合は、LIVEの際は画面上に小さく表示されていただけだったが、最近試合動画が公開されたので、ここで紹介しておこう。

 短時間で相手を瞬殺出来れば、時間無制限である事は特に問題にならないが、もし相手を瞬殺するゲームプランが失敗すれば、そこから先はガス欠したまま、タップ以外誰も助けてくれる人がいない地獄のような状況に陥ってしまう。

 したがって、試合時間が長くなればなるほど、勝つためには何よりもまず「疲れない」事、そして、対戦相手だけでなく試合からも「サバイブ」する技術が不可欠になる。
 そのためには、身体能力の高さよりも、いつまで続くか分からない試合への恐怖に対処する自制心や、「サバイブ」するために必要な高い「ディフェンス」力。そして、相手の体力を削り、正確に「詰めて」タップを取る技術が必要になってくる。
 
 こうした時間無制限の試合が今後も頻繁に組まれるとは考えにくい(試合時間が30分を超えると視聴者がどうしても飽きてしまうだろう)が、「柔術の本質とは何か?」を考える上でも興味深いマッチメイクだった。 

2 コロナ禍の最中は、WNOだけでなくPolarisを始めとする他のプロ・グラップリングの試合も見ていたが、私にとってWNOがやはり一番のイベントだと思ったのは、次の試合を見たからである。

 この試合で、マテウス・デニス(注1)がゴードン・ライアンに6分間も「マウントポジション」で攻め立てられながら、そこから「エスケープ」した際に会場が興奮の渦に包まれていた(この動画では、観客の声がミュートになっているのが残念だ)。
 WNOは、観客の見る目が本当に肥えていると感じた象徴的な出来事だった。

注1)マルセロ・ガルシア門下のスター選手で、ADCC2019の-88kg級王者である。


 この試合の解説は、私の好きなシャンジ・ヒベイロ(注2)である。

注2)


 「マウントポジション」を巡る攻防の中、「マテウスはどうすべきか?」という実況の問いに対して、シャンジは「背中をフラットにしないで、マテウスは角度を付けるべきだ。だが、ゴードンが両足をマテウスのお尻の下に入れてそれをさせてない。ゴードンのマウントキープの技術がいかに高いかがよく分かる」と答えている。
 「背中をフラットにしないで、角度を付けるべき」というのは、「マウントポジション」における「フレームディフェンス」の話(注3)なのだが、「フレームディフェンス」の話だけでなく、マウントキープの仕方についても詳細な「解説」をしている。

注3)

 これが日本の解説者になると、マウントを取られた選手の側に立って、「ブリッジした方がいい」とか、「脇を上げるな」と叫ぶ人を見掛ける事が(たまに)ある。
 そうした発言は、試合場で「とりあえず動け!」と絶叫するセコンドの指示と本質的に変わらない。

 「なぜそこでブリッジをしなければならないのか?」
 「脇を上げるのがどうしてマズイのか?」
 という点について、きちんと言葉で説明できなければ、それは個人的感想に過ぎず、視聴者に対して何も「解説」した事にならないだろう。

 極論すれば、・・・今も彼らがいるのかは分からないが・・・週末になると場外馬券場の周辺にたむろしていた競馬の予想屋と何も変わらない。
 
 試合の実況席に芸能人を入れるようなイベントに至っては、「視聴者に見る目がない」と馬鹿にしているようにしか私には見えない(だから、私は大相撲中継の方に好感を覚える)。

3 ゴードンとマテウスの試合に話を戻すと、最後ゴードンがマテウスに「ヒールフック」の形に入った所で「寸止め」し、マテウスもそれで「タップ」しているシーンも素晴らしいと思う。
 
 プロ・グラップリングの選手も、身体が資本で一度怪我をしてしまえば、それが収入減に直結する。
 しかも、この試合が行われた頃は、アメリカのプロ・グラップリングの試合に出た翌週にヨーロッパの試合に出る、というような選手が大勢いた。

 そういう背景事情も影響しているだろうから、この「寸止め」のやり取りを「ゴードンとマテウスはお互いをリスペクトし合って素晴らしい」と単純化して絶賛すべきではないのかもしれないが、少なくとも、「相手を折って勝つ」「相手に折られても負けを認めない」という一般人には理解不能な「バイオレンス」のやり取りからWNOが非常に遠い場所にある事は明らかだろう。

 日本では競技柔術だけが柔術と見做す傾向があまりに強いせいか、WNOのような長時間の試合を生理的に受け付けない人が大勢いるが、とりあえず、そうした「見ずして語る」態度を一旦脇に置いて、今度の休日にビールを片手に(別に、ワインでもコーラでも構わない)WNOを見てみる事を勧める。

(以下に掲載したのは、2月9日に開催されたWNO22のオフィシャル・フルサイズ動画である。WNOというイベントを体感したい人はこの動画を見て欲しい)



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