すれ違い

1 MMAクラスに通っているR君が、G君に投げられて受身が取れず、肘を傷めてしまった。R君は、G君が怪我させておきながら一言も謝らない、と言って怒っているらしい。

 一般社会では、故意・過失を問わず、他人に怪我をさせれば傷害・過失傷害罪になる。格闘技の場合、刑法35条があるのでルールを守っている限り、スポーツ中の事故は傷害や過失傷害にならない。こうしたルールを知ってか知らずか、かつてのウチの道場では、「格闘技には怪我が付き物」とか「怪我をするのはお前が弱いからだ」という連中が大半で、怪我をさせても謝るという世間の常識がウチの非常識になっていた。
 確かに、強度の高いスパーリングや危険度の高いサブミッションを使えば怪我をする確率は飛躍的に高まるだろう。だから、スパーリング、しかもガチスパーがメインの道場ではどうしても、怪我の確率は跳ね上がるので、「格闘技には怪我は付き物」という結果になってしまっているのだろうと思う。
 私は「自分がされて嫌な事は他人にしない」という格律に基づいて行動しているが、誰だって怪我をさせられれば嫌な思いをするのだから、少しばかり頭を働かせて立場を変えて考えれば、相手に自分の行動に起因する怪我をさせてしまったのなら、謝るのが当然だと思う。
 実際、私も白帯の頃は何度も怪我をさせられて来たが、そこで謝れる人と謝れない人とでは、その後の付き合いが全く変わってくる。謝る人は誠心誠意謝ってくれる。以前私がスパー中に小指を脱臼した時、相手の方がパニックに陥って、水で絞った雑巾を持って「これで冷やして下さい」と言われ、何度も頭を下げてくださった。近くにコンビニがあるのだから、氷を買って「それで冷やして下さい」と言う方が、よほど合理的かつ衛生的だと思うのだが、咄嗟に出て来た雑巾の方が相手の真摯な謝罪の意思が伝わって来たのを覚えている。
 また、「怪我をさせたら謝る」のが社会の常識だとすれば、道場では「格闘技には怪我が付き物」という理由で謝らないのは、道場経営上も好ましくない。
 全日本を目指すとかムンジアルを獲りたいと考えているプロ格闘家の集団であればともかく、ウチの道場も一介の町道場に過ぎない。そうした道場を経営していこうと思うならば、まっとうに社会生活を送っている普通の人が継続して通える道場でなければならない。そうした(格闘技経験のない、あるいは、身体能力の高くない)普通の人がコンスタントに稽古が続けられるためには、道場の常識が社会の常識と合致している必要があるはずだ。

2 G君は、子供の頃から柔道をやっていて、高校からレスリングに転向し、一年生でインターハイに出ている。私は彼とスパーリングをしてタップを取られた事はないが、彼からタップを取るのに5分では到底時間が足りない。特にブリッジ系の動きが強いので、マウントを取ってもポジションキープするだけで精一杯である。
 G君は私に対しては礼儀正しい。もしかすると、彼の私を始めとする目上の者に対する態度とR君を始めとする同世代の子に対する接し方に違いがあるのかもしれないが、私の見た彼が嘘偽りのないモノだと仮定しても、今回の件についてG君が謝らない理由は分からなくもない。

 実はG君は2月ほども前にもMMAクラスで他の子を投げて、同じくその子が受身を失敗して足の骨を折っている。話を聞いてみると、どうやらMMAクラスでは受身の練習を全くしていないらしい。
 あえてG君の肩を持つとすれば、子供の頃から柔道をやっていたG君にとって受身が出来る事は当たり前で、受身が出来ないのに格闘技をするという状況は想像できないのかもしれない。だから、G君が相手を頭から地面に叩きつけるような投げ方をしたのであれば論外だが、彼が普通に投げて相手が受身をミスして怪我をしたのであれば、その怪我は受身が出来ない相手の自己責任と考えたとしても不思議ではない。「受身が取れない相手を投げてはいけない」というルールでは、そもそもMMAの練習にならないだろう。

 怪我をさせられたR君が怒る気持ちはよく分かるが、今回の一件における問題の本質はG君とR君のどちらが悪いか?ではなく、受身の練習をクラス内で全くやっていなかったMMAクラスのインストラクターの先生にあると私は考えている。

3 私も以前執筆した記事の中で、BJJの道場で「受身」が軽視されている現状に対して警鐘を鳴らしたことがある。

 ウチの道場も御多分に漏れず、前回り受身しか「ウォームアップ」で行っていないが、ハッキリ言って前回り受身は「頭を守る」という受身の目的に照らして考えると、ほぼ全く役に立たない(後ろ回り受身も、相手から強く突き飛ばされたら、首を抜く動作が間に合わず、後頭部から地面に激突してしまう)。
 「頭を守る」ためであれば、「前受身」と「横受身」の二つを毎回徹底してやらせるべきだろう。

 「競技柔術」であれば、テクニックの練習をする際に、パートナーが満足に受身が取れなければ、十分な打ち込みが出来ない。テイクダウンだけではなく、各種スイープだって「前受身」や「横受身」が全く出来ないと打ち込み中に怪我をしてしまうだろう。
 まして、「セルフディフェンス柔術」を謳うのであれば、腕十字が出来る事より、転んでもきちんと受身を取って、頭を守る事の方が比べ物にならないくらい重要なはずである。

 だから、私は自分が担当する初心者クラスや自主練クラスでは、参加者に毎回必ず「前受身」と「横受身」をさせている。彼らが将来もしBJJの稽古を辞めてしまう事があったとしても、受身だけは必ず彼らに残るはずだからである。
 限られた練習時間の中で、練習メニューの取捨選択に迷っている方は多いかと思うが、「軸を作る」事と並んで、「ソロドリル」と「受身」は大切にして欲しい。


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