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それでもこの心を失いたくはないの

「死ぬまで物書きでいたい」
私の些細な願い。
作家になりたいとか、本を出したいとか、そんな壮大な夢ではなくて、ただ、日記を書き続けたい。

この世から、遠くの星に行ってしまいたい、なんて気持ちを綴るとき、その気持ちの色や温度に寄り添って、それを見逃さず書き記したい。

 「書く」という行為は、幼い頃からいつも身近にあった。幼稚園の頃も、小学校中学年の頃も、日記を書いていた。でもいつも、長くは続かなかった。体調の異常に気づき始めた小学校6年のとき、私は、スマホであらゆる情報を集めて、自分がうつ状態であることを自覚していた。周りの人にはもちろん、親にも言わなかった。だから、こっそり日記に遺した。親との喧嘩、夫婦喧嘩の様子、家庭の荒れ具合、自分の体調の変化。。。あらゆることを、記録として遺した。今まで続いたことのなかった日記が、始めて継続できた。
なぜあのとき、日記をつけ始めたのか、なぜ続けられたのか。
今思うと、いつか忘れてしまうのが怖かったから、だと思う。どんな日常も、非日常も、時間とともに色褪せて美化されて、忘れていく。私は、美化したくなかった。辛く苦しかった時間をそのままの形で、なんとかして遺したかった。

小学校6年でつけ始めた日記は今も続いていて、今でたぶん7冊目くらいだと思う。
1年前とか2年前の日付を探して読み返すのが好きで、ちょうど2年前は、全日制高校の宿泊行事だった。私が全日制高校で唯一参加できた学校行事。
あれから2年、色んなことがあったなぁと思う。
特に、ここ半年で私の精神状態も身体の調子も、格段に悪くなってしまった。
でも、悪い事だとはあまり思ってない。
ただ、遺すだけ。ありのままを書き記しておくだけ。

私の日記は遺書でもある。
家族への思い、友達への感謝、私の願い、すべてを書いてきた。
摂食障害になって、何度か「このままじゃ死ぬかも」と思う瞬間があった。でも、そんなとき、今まで必死に遺してきたものがあると思うと、私の代わりに真実を伝えてくれるものがあると思うと、心から安心できた。

最近は食と体重のことで頭がいっぱいでnoteも更新できていなかったけど、日記だけは、命を削る思いでなんとか続けている。

今の私は、たくさんの病気を抱えていて、精神的にも身体的にも弱っていて、些細なことで揺さぶられて命を絶つことを考えてしまうような私だけれど、それでも、この心は失いたくないと思っている。

最後に日記の一部を抜粋して遺しておきます



街を歩けば 出会う人波に 息が詰まって

幾度となく目にする 悲しいニュースに
苦しくなって

奥底に塞いでいた 本音を明かすと
涙が溢れてしまう

こんな柔な私では
上手く生きていけないかと憂えながら

それでも この心を失いたくはないの


最後まで読んでくださりありがとうございます🙇🏻‍♀️ ̖́-
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不定期投稿ではありますが、ぼちぼち更新していく予定です。
読んでくれた方が、穏やかな日々を送れますように。


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