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里帰りインド旅行記2023           25年ぶりのインドがくれたもの1       

こちらの記事を読む前に、
よかったら先に下記をお読みください。


私はなぜ、もう一度ムンバイに来たいと思ったのであろう・・

大きく変わってしまったムンバイの街中に
昔の面影を探しながら、
私はずっとそのことを考えていました。

あんなに嫌で、日本に帰りたい!と毎日思っていた場所。
なのに、どうしてわざわざ来ようと思ったんだろう?
この費用と時間があれば、ハワイにだって行かれたかもしれないのに。

そもそも、私はインドの何が一番いやだった?

日々の食べ物に苦労が多かったこと?
衛生状態が悪かったこと?
何事もいい加減で信用できなかったこと?
自由に外出できなかったこと?
狭い日本人社会が息苦しかったこと?

確かにどれもストレスの種でした。

生野菜が食べられないとか、
歯磨きの水もミネラルウォーターでないと心配だとか、
インド人との約束は守られないことが日常茶飯とか、
運転手付きの車がない日は、買い物にも行けなかったとか、
マダムたちのお付き合いはとても神経を使うとか・・・

そうそう、どれも本当に嫌だった。

でも、本当に、私を苦しめていたのはこれじゃない

じゃあ、一体?

私が毎日気にしていたこと・・・
そう、幼い長男を伸び伸びと過ごさせてやれない、
それが一番気がかりだった。

息子に申し訳ない、と感じていた。

それがふっと私の中から湧いて出てきました。
そう、ムンバイの街中を巡っているときに。

日本だったら、幼稚園に通い、
毎日楽しく歌を歌ったり、たくさんのお友達と遊べたのに。

日本だったら、
公園に行って、心ゆくまで大好きな砂遊びができたのに。

日本だったら、
家族で買い物に行って、好きなお菓子選びができたのに。

日本だったら、
祖父母たちとかけがえのない時間が過ごせたのに。

日本だったら・・・・日本だったら・・・。

この子は、インドで暮らしているがために、
本来なら与えられるはずのものも、環境も得られない。

「この子の大切な幼少期を犠牲にしてしまっている・・・。」

この言葉が出てきたとき、何とも言えない胸の痛みが走りました。

息子に、子どもらしく
伸び伸びとできる場所を見つけてあげられないことが、
母親として、とても辛く悔しく、
息子に申し訳ない、と確かに私は感じていたのです。

そして、その痛い思いを毎日私に突き付けてくるから、
当時の私はどうしても
インドでの暮らしが好きになれなかったんだ・・・。


その時、大きなため息が出て、肩の力が抜けた感がありました。

そういうこと?

確かに、そうかもしれない。
これが私が抱え続けてきたものに違いない。

25年ぶりにインドに行きたい、
私がそう思った理由は
この答えを得るためだった、と確信しました。

*次の記事に続きます。
併せて目を通していただけたら嬉しいです。

ムンバイの中心 CST 旧ビクトリアターミナス駅


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