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地震・・・判断の境目

※ これをアップするのは、とても考える。下書き状態から悩んでいる。
しかし、この園長先生の姿勢が背中を押す。

今を大切に生きなさいよ!
平和な時間を無駄にしないでと。

※ 地震当時、判断に悩まれた園長先生。
しかし、多くの園児を津波で失い落ち込んだ。
自分に問いかける日々。
用意された避難状況通りに行うと命取りになること、誰が何といおうと、「※短時間で」その時の状況判断がをすることが「要」であり、
状況にあった!(ここ大事!!)指示することが必要になることを思い知ることとなる。

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日曜日 午前中。のんびり新聞片手に朝食。
東の方角から大型トラックが近づく・・・次の瞬間、我が家は縦だか 横だかわからないくらいに、大きなシェイカーに入れられたように揺れた。
作り付けの戸棚が大きく揺れる音。
自分に何が起きているかわからず、年甲斐もなく半べそ状態・・・「まさか・・・地震?まさかよね・・・」。
気がつけば、両手に祖父母の位牌を握っていた。
両隣の家族は大丈夫か?両隣は、高齢者。
急いで確認に行く。
二家庭とも、こたつに入った姿で青ざめた顔で座っていた。
お互い無事である事を確認し、安堵する。

母は出先で携帯が通じず、私や自宅が大丈夫か心配で これまた半べそ状態。
出先のショッピングモール内はパニック状態だったらしい。
公衆電話前は、長蛇の列。
のちに、自社の扱うものの被害も知らされた。

これが私の大きな地震の初体験・・・福岡西方沖地震。

津波の恐ろしさを知ったのは、奥尻島での地震・津波。
日本で起きたこととは思えなかった。
夜が明けたら、生活資材が流されている光景を彼らの姿からでも「思い知った」。

地震の恐ろしさは阪神淡路大震災からもだったが・・・

「私は、大丈夫だから。」
「あまり(携帯に)かけてこないで!何かあれば、こちらから連絡するから。家族と連絡がとれてないの!(泣)」

仕事中で何が何やら・・・「何?どうした?」「今、大きな地震があったと!」。
福岡での地震後の余震を伝えた時に、「そのくらいは、東京は日常茶飯事・・・」と笑い飛ばしていた妹が泣きの状態って。

東日本大震災時の東京の実態が、妹のLINEメッセージで報道より先に知らされる。
「揺れた時間は短かったらしいけど、うちのビルは1時間近く揺れた感じだった。死ぬかと思った。」
「東京では日常茶飯事」と言って、いたっておおらかだった人物が豹変した瞬間だった。

また、建設中だったスカイツリーの最上部のアンテナ設置のために作業していた人々に起きた東日本大震災時の様子が、NHKで報道があった際は、我が目を疑った。
大きく揺さぶられ、立派な男性が絶叫している姿である。
彼らの恐ろしさが、福岡での地震を思い出させた。

自然災害のことって、平和になったら(もとの生活になったら)話すことを許ささない・伝えてはいけない雰囲気になることがある。
本当の実態に目を伏せることが、どんなに将来 危機的な状態になっても「守らなければならない今」があるって何なのだろうって。
この保育園の現在の行動は、素晴らしいと思う。
自然災害って我が儘。専門家だろうが何だろうが、予測不可能な動きをする。
専門家は、神様仏様ではない。私達と同じ、人間である。

私の家族も親族に伝えている。確認している。「必ず 避難場所には行けないことがある・連絡が出来ないときがあるから、その時は○○の場所に、地震発生後の一週間以内に集まって(迎えに来て)。来ないときは地震から一ヶ月後。・・・諦めないからね。」

※ 「出来ることが少ない」と思って、様々に準備が必要だと思います。この保育園の考え方や取り組みは学ぶべきだと思います。自分が云々でなく、私は独学で地震の事を勉強している。資料を集めている。専門家の意見だけでなく、個人レベルで知ることは これからの日本は必要だと思います。東日本大震災から8年。どの地震も忘れない。あの福岡での地震は忘れさせてくれない。