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あなたは天才肌?秀才肌?そんな事、考えたことありませんか?天才を育てる?そんな事できるわけがない。普通はそう考えますよね。
それが育てられるとしたら、気になりませんか?
いろいろな知見をもとに、書き連ねてみました。お役に立てば幸いです。

●まずは天才を定義しましょう二通りの定義ができます。
①生まれつき備わった優れた才能、人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指す。
②極めて独自性の高い業績を示した人物を評価したり、若いのにあまりにも高い才能を示した人への賛辞的形容(Wikipediaより)

①は本当の意味で天才。育てることなんて無理です。しかし②なら育てられる可能性があります。
②の典型的な例は、子供の頃から「そのスポーツ」などにどハマりした天才キッズとかですかね。たまにテレビ番組でやってますよね。

『好きこそ物の上手なれ』

しかも、神経系が盛んに伸び盛りの子供の頃にハマればなおさらです。
問題は第二次成長期。技術が思うようにいかなくなるタイミング。身体が大人の身体に変化していき、体も大きくなり、筋力などついてくる時に、子どもの時のスキルを大人の身体に上手に乗せ替えられるかどうか。身体が変わることを車に例えるなら…子どもの身体が軽自動車だとすれば、普通の大人は普通車。それだけでもエンジン含め性能の大きく変わりますし、小回りが利きづらくなるなどデメリットも出てきます。もし子どもの身体が軽自動車のスポーツカータイプだったとしたら単なる普通車では、なお使い勝手悪いことでしょう。そうなれば、天才の技術はスポーツカーいやF1カーの身体を求める事になっていくと思われます。それがどれだけ大変なことか想像つきますか?うまく乗せ替えできなければ、技術に身体がついてこない状況になり、ミスが増え、ケガが増え、心身共に追い込まれていくでしょう。それと、心も成長していきます。ハマったまま本当に大人になっていけるかどうか?「楽しい」だけで突き進めた世界から純粋な「楽しい」だけでは遊びだけすまなくなることがある大人の世界。大人でも天才であり続けることが、どれだけ大変なことだろうと想像させられます。
この問題を乗り越えることで大事なこと。
•スキルに求められる体力は何かを分析できること
•その体力を優先順位を考え、成長のタイミングに合わせながら、適切にトレーニングを実施して、大人としてのスキルと体力を再構築していくこと
•「楽しい」気持ちを移行すること
計画を立てて、慌てず、本人が納得しながら、対応する必要があります。

もし大人のあなたが、この手の天才になりたければ答えは非常にシンプルです。なによりも『そのスポーツ』に『心底夢中』になって、『なによりも最優先』にして、寝ても覚めてもとなれば可能性が見えてきます。ただし、現実的に生活を継続する難しさと、練習量をどれだけこなせるか、体力がどれだけついてくるかなどが鍵になります。先日ブログにあげたように落ちた体力(筋力、持久力、瞬発力など8要素からなる総称)をあげることが大変だということ。疲労を高くなるため練習量が減るという現実が待ち構えています。

子どもが天才になりやすい理由はこれらが簡単にクリアできるからです。通常であれば、保護者生活が守られ、仕事などを考えず、無我夢中にスポーツとだけ向き合えるプラットフォームが出来上がっています。成長期であるため、疲労回復が非常に早い。一般的な子どものなら、疲れたら、ご飯を食べて寝る。強いて言えば、勉強する。それに輪をかけて、現代のインターネット社会で情報溢れんばかりに手に入る。環境は完璧です。

②の子どもを天才に育てるのであれば、保護者の援助と能力しだいとなります。
•子どもが好きなスポーツに出会う機会、子どもにあったチームや指導者にで会える機会を作ること
•子どもが生活や家族内などに不安を持たせない環境であること
•そのスポーツにおける良き先輩であり、感動を分かち合える良き仲間であること
•正しい情報の提供者であること
※決してコーチになろうとしなくていい。子どもの発想力の方が勝ります。子どもは遊びの天才ですから(^^)
•試合設定や練習場所の確保、学校や教育との連携やバランス、リスク管理やスケジュール管理などマネージャーとしての資質を持っていること
•決して資金力が全てではありません。情報は溢れれますし、競技団体との距離もひと昔前よりだいぶ近くなりましたし。保護者のマネジメント力にかかってきます。

ちなみに②は天才は後天的に獲得した能力からの天才である事。これは環境が整い『ハマる』ものがあれば誰にでも天才なれるチャンスがあるという事はお忘れなく。

●次に『天才』はよく『秀才』と比較されるます。皆さんはどう考えますか?一般論でわかりやすい説明を見つけました(雑誌:Oggiサイトより)

【「秀才」は倫理的・「天才」は感覚的】
「天才」は、感覚的な発想や感覚的な表現力などが秀でている才能になります。対して「秀才」は、努力して学習し、周囲の人間より突出する能力なので、感覚ではなく論理的な能力を持っていることになります。例えば、「天才」は絵を学習せずに感覚ですばらしいものを描くのに対し、「秀才」は絵画の基礎から徹底的に学び、緻密な構成で描きます。(https://oggi.jp/6470639)

スポーツにおいて『天才』と『秀才』どうなんでしょうか。
『天才は感覚的』:いわゆる『直感』でプレーをしているわけです。これは何にも変えられない最大の強味になります。「考えるな感じろ!」のプレースタイルです
『秀才は論理的』:天才が直感というならば、秀才はスーパーコンピューターというところでしょう。昨今のAIを例にできるように、多くの情報を学んで最良の答えを導く。正しい情報を基礎からしっかり体得し、学んでいき、それを元に多くの経験を踏むことで、緻密な計算するプレースタイルです

⚫︎天才は『考えない』ことを大事にしなければいけません。それは最初にして最大の武器であるから。
私事ですが、アンガーマネジメントなるセミナーを受講した際に出てきて話。『6秒待てば怒りが抑えられる』と。よく耳にしていましたが理由を知ってますか?『理性』が働くまでに6秒かかるからだそうです…となるとです。直感から思考を挟むと6秒かかることになるのでは?秒数は別として、直感は理性的に「考える」よりも速いということに間違いないわけです。ということは、秀才は天才には勝てないということになります。なぜなら、スポーツは0.1秒を争う世界。一瞬で勝負が決まる世界。万が一、考えて判断するのに6秒かかるとしたら…遅すぎます。
しかし、天才の最大の弱点も「考えない」という事です。多くの経験から最適なプレーを考えて選択することができません。もとより、自分のプレーに綻びが出た時に修正ができない。考えてプレしてないとどこのエラーなのか判断できず、どこを修正すればいいかを検討すらできない。さらに、応用力には限界があります。天才肌の選手が勝てるかどうかは、コーチの指導レベルが全てになってきます。天才的選手が伸びるかどうかは、戦術やスキルが正しいかどうかではなく、コーチという人柄をを100%信用できるかどうかが全てになります。

⚫︎秀才は自ら考える力があるので、修正や方向性に間違えることはないが、情報過多になった時に正しい情報の基準を作れないとフリーズしてしまう可能性を秘めています。情報を効率的に整理できることが非常に大事になります。情報を効率よく組み立てられる思考回路であれば、スポーツ現場での臨機応変さ、修正能力、プレーの確実性は、天才のある意味博打のようなプレースタイルより戦術的に優位に立てます。そして、天才がプレーの選択を間違えれば、秀才が勝つわけです。
ただし、上記の通り一瞬のプレーに関しては天才には勝てません。

⚫︎そこでです。もし秀才だけは天才を超える「超天才」になれるチャンスを持っているとしたら?興味が湧きませんか?
①『学ぶ事』ができる人間性があれば、誰にでも「秀才」になれるチャンスがあります。ここで学ぶという努力がファーストステージになります。ここには根気強さと学ぶ姿勢を身につける能力が試されます。そして必要なのは、多くの正しい情報とスキル、それを基礎から組み立てていける思考力です。
②学んだスキルと知識という能力をスポーツ現場にぶつけて、その能力を使いこなす経験と戦術がセカンドステージになります。いわゆる応用力。「スキル」という武器を使いこなす方法を考え、そのスキル最適な判断で戦術に反映できる適応力です。秀才のなせる技です。
③ファイナルステージです。ここが肝です。天才は『考えない』のです。そう、秀才が超えるべき壁は「考えない」プレーができるようになることです。
そのために大事なことが3つ

「直感」を意識して使うこと。使い慣れること。
「直感」を育てること。
「直感」を信用し自信をつけること。

まず、直感とは何か、ということになります。
私が思うに、「無意識下にて多くの知識や経験から引き出される最良の答え」だと定義できるのでじゃと。考えることができる選手は、考えられるがゆえに、うまくいかない時ほど「迷い」ます。考えられる選手は考えられるだけの選択肢をもっているから。「迷い」はタイムをロスさせ、動きを鈍らせます。だから、迷わせない練習を繰り返さなければなりません。これは勇気がいる練習です。最大の武器である「考える」ことを棄てるように見えるわけですから。でも、実は違います。しっかり考え、学び、より多くの情報や経験から作り出せる直感ほど正確なものはありなせん。
ただ考えずにプレーした経験がないから、「直感」の使い方がわからないだけなのです。だから、まずは直感を使う練習です。
「直感」の使い方は、エクセルの計算式みたいのに近いのでしょう。必要な条件を入力すると一瞬で答えが出るような思考回路が秀才における「直感」となりえます。「①と②と⑥がこうなったら、【A】だよね」的な感じです。これを頭で映像化にできると思いますより早い答え=直感ができるようになります。言葉より映像のほうが一瞬で多くの情報を扱えますから。できるなら、イメージ力は欲しい能力です。
直感を出したら、迷わず行動に移す事までが練習の一環になります。
例えば、【A】と答えを出したら、すぐにAを実施してみる。その結果がどう出るか。この繰り返しです。結果が良ければ条件と答えがマッチした事になる。結果が悪ければ、条件が足りなかったか、条件の組み合わせ方が悪かったために答えが違ったか、自分の持っている情報が足りなかったか。そこを突き詰めて修正していく作業です。
この繰り返しで「直感」を使い慣れていくのが練習の一つになります。

次に「直感」を育てなければいけません。直感を育てる⁉️となりますよね。
上記の直感を使う練習の延長線になりますが、使うことを繰り返す事で、直感のエラーや自分の癖に気づき修正をかけることが一つ。もう一つは条件と判別できる情報や経験を増やす事。より深く競技と向き合い、考え、学び、失敗も成功も経験することで情報をブラッシュアップし、誰よりも自分と競技に向き合う努力ができる選手にしか直感を育てられません。
ちなみに似たものに、
1)条件反射がありますが、こちらは個性と癖が強い影響を持つため天才に近いものと考えています。
2)パターン練習も直感の練習に近いと思いますが、条件を複雑にする事が難しい状況がありますので、どうしてもシンプルになりがちになってしまいます。

最後に直感を信用できる自分づくりです。
それはなにより「自分を信じる」いわゆる「自信」が背景にないと直感が崩壊します。
巷で言われる「根拠なき自信」ではありません。実績を根拠に置き換えて確固たる自信に繋げ、一瞬の迷いなく直感でプレーする。
そのため練習はまさに『トライ&エラー』を繰り返し、つどつど評価とエラーチェックをして、より精度の高い判断と最小のエラーすらなくす努力。その精密さが秀才のなせるところになります。
決して、「天才」のように感じるわけではなく。
スーパーコンピューターのように素早い計算をするわけでなく。秀才は天才を超える選手になりうる可能性に満ちています。

⚫︎天才には天才にあった練習方法と指導方法、秀才には秀才にあった練習方法と指導方法が、それぞれに必要になります。
あなたは、あなたが指導している選手たちは、天才派?秀才派?
自らのトレーニングやトレーニング指導にお困りな方は、トレーニングガレージにぜひご相談くださいね
【トレーニングガレージ】
https://fitcure.wixsite.com/traininggarage

※ 佐野接骨院、筋トレクラブ、トレーニングガレージ(会員制)は予約制です。

メインサイト 
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佐野接骨院
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