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水を叩いて、世界を変えるのは難しい

世界や社会や組織を変えようとして、頑張っているけど変わらないときのお話。

どうも世界は、「水」や「海」と性質が似ているように思える。

そう考えると、世界を変える難しさが理解しやすい。水にエネルギーを加えて、変形させようとしても、らちがあかないのだ。

たしかに、水を叩いて変形させることは可能だ。手応えもあるし、派手に水飛沫も上がる。でもその変化は一瞬で、すぐに元に戻ってしまう」

そのことに気付けないまま、世界を変えようとすると、永遠に水と格闘することになる。タチの悪いことに、殴った瞬間には手応えがある。だから徒労に気づくのが難しい。水を叩き続けた先には、一瞬の達成感しかなくて…… 頑張った人は結局、疲労の果てに絶望してしまう。

世界や社会や組織を変えようと頑張って、たしかに短期的に成果がでている。でも不思議と長期的に何も変わらない。世界が変わらない絶望の多くが、そのようなケースではないかと観測される。


世界のあり方が水のようなものであるならば… 直接に力を加えて世界を変えることはとても難しい。

水の形を永続的に変えるには、むしろ「地形」や「器」の形を変える必要がある。

「地形」や「器」こそが、水の形を定義する根元なのだ。地形を変えれば、水はその形状にあわせて、最も自然な経路で流れる。器の形を変えれば、水はその形状にあわせて、最も自然な形に収まる。


だから、なにか大きくて抽象的なものを、永続的に変化させたいならば「何が水で、何が地形か」を見極める必要がありそうだ。

そうして、水を叩く労力を減らして、その労力を地形を変えることに振り向けなければならない。人間はすぐに、流れや飛沫や波、水温、せせらぎの音…そういったわかりやすい表層に気を取られて、水面の下にある地形への意識が消えてしまう。

浸水する船は、船底の穴を埋めなければならない。大雨への対処も、土嚢を積んだり、川の形を変えることが大事だ。そういった対処のできないまま、頑張ってバケツで水を組み上げても、人は潰れてしまう。


世界や社会や組織を変えようとして、頑張っているのに、手応えがあるのに何も変わらないならば、立ち止まって考えたほうがいいのかもしれない。

「いま、自分が形を変えようとしているのは、水なのか、それとも地形なのか」

そうやって一歩下がって見極めるだけで、世界との対峙がとても楽になり、実効性がでてくる。そして、ずいぶんと生きやすくなる気がしている。

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