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過労死問題の発見

0.はじめに

 過労死は今や海外でもそのまま通じる言葉となっている(karoushi)。平成26年には「過労死等防止対策推進基本法」が施行され、これに則って政府は過労死などの防止を推進していくこととしている。過労死の定義は「過労死等防止対策推進基本法」によれば以下の3つである。

①業務における過重な負荷による脳血管疾患・心臓疾患を原因とする死亡
②業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする自殺による死亡
③死亡には至らないが、これらの脳血管疾患・心臓疾患、精神障害

 ただし過労死なる概念は決して新しい概念ではない。本稿では「過労死の発見」をテーマとする。

1.過労死の労災認定基準の変遷

 最初に「過労死」という概念を作ったのは、上畑銕之丞先生である。先生は産業医であった。

過労死は、脳血管疾患や心疾患など循環器疾患の業務上認定運動の中で使用されるようになった用語である。(…)著者はこうした循環器疾患の労災申請事例を、当初は急性死や急性循環器疾患、あるいは突然死などと呼んでいたが、1978年の日本産業衛生学会総会で17例の循環器疾患の発症例を初めて「過労死」として報告した。
上畑銕之丞『過労死の研究』日本プランニングセンター 1993 pp17~18より引用

忘れがちではあるが、過労死は労災である。補償を受けるには労災認定されなければならななかった。上畑先生が言っているように「過労死を労働災害として認めさせよう」という社会運動があったわけである。運動は遺族によって行われた。過労死という言葉は認定運動の成果とも言える。
 遺族による認定運動に対して、最初に動いたのは大阪であった。1981年には有志の弁護士を中心として「急性死当労災認定連絡会」が結成される。翌年には「大阪過労死問題連絡会」となり、現在でも活動を続けている。

 1980年代だと過労死するのは30代から50代の男性が中心であった。いわゆる働き盛りである。決して少なくない方が既婚者であり、子どももいた。

不幸にして夫が過労死したとき、妻は悲しんでばかりはいられない。明日からの生活をどうするか。現実はきびしい。(…)過労死した遺族を救うのが、労災補償制度である。生前の月給が30万の場合で試算すると、厚生年金だけでは一か月約12万円だが、労災年金も受けられると合わせて27万円になる。夫や父を失った遺族の悲しみを考えるとまだまだ不十分な金額ではあるが、労災年金がでるかどうかで遺族の生活はかなり違ってくる。子供も大学進学の夢を捨てずにすむかもしれない。
「過労死弁護団全国連絡会議」編 『過労死-その実態、予防と労災補償の手引き』双葉社 1989 p14より引用

 では1985年前後での認定基準はどのようなものだったか。これは1961年2月に発せられた「中枢神経及び循環器系疾患(脳卒中・急性心臓死等)の業務上外認定基準について」(基発116号)に基づいていた。この基準だと発病の直前または当日に、普段と比べて明らかに業務が過激であることが条件であった。重要なのは「発病の直前または少なくとも発病当日」という点である。当日または直前以外の期間は考慮しない。よって前日に休みを取っていた場合、それ以前の業務が過激なものであっても考慮されないということになる。
 言ってしまえば、単なる疲労の蓄積だけでは業務上の発症とは認められなかったのである。なぜなら災害や事故が起こったわけではないからだ。しかし当時の労働省もさすがにまずいと考えたのか、1982年に見直しを行った。ただこの基準でも裁判で国が負ける事例が出たため、1995年に見直している。具体的に言うと、考慮する期間が1か月に伸びたのである。
 そして認定基準が2001年に改正され、現在の基準となった。

現在の基準によると
(1)発症直後から前日までの間に異常な出来事に遭遇したこと
(2)発症に近接した期間(おおむね一週間)においてとくに過重な業務に従事したこと
(3)発症前の長期間(おおむね六カ月間)にわたって著しい疲労の蓄積をもたらすとくに過重な業務に就労したこと、のいずれかの「過重業務」を受けたことにより発症した脳・心臓疾患は、業務上の疾患として扱われる。
濱口桂一朗編著『福祉と労働・雇用』ミネルヴァ書房 2013 p124より引用

疲労の蓄積が疾患のリスクを増大させるとはっきり明記しているのは大きい。過労死の労災認定における考慮期間は以下のとおり

1987年以前:発症したの前日および当日のみ
1987年改正:発症の一週間前まで
1992年改正:発症の1か月前まで
2001年改正:発症の最大半年前まで

2.過労自殺の認定

 また過労自殺についてものちに認定基準が設けられることになる。過労自殺に関しては労働行政に強い影響を与えたとされる判例がある。いわゆる「電通事件」と呼ばれるものである。
 事の始まりは平成2年4月に入社した男性の新入社員がラジオ推進部に配属されたものの、翌年の8月末に自殺してしまったというものである。新入社員の両親が賠償を求めて訴訟、最後は最高裁までもつれ込んだが、電通側が和解金1億2000万を支払うことで解決を見た。最高裁の判決はこう述べている。

このことからすれば、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過渡に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないように注意する義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の右注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきである。


3.遺族の認定運動について

 先に挙げた電通事件もそうだが、過労死問題は労災認定されなかったことを不服とし裁判をおこすという例が非常に多い。しかし裁判であるから、期間が10年を超えることも珍しくない。電通事件も最高裁の判決が平成12年であるから、新入社員の自殺からは10年近い年月が流れている。訴訟する目的としては、もちろん労災補償制度による保険金を受け取るためというのもある。認定があるとないとでは、金額が違ってくる。また電通事件で言えば、自殺した新入社員の両親は1億2000万円の和解金を受け取っている。心無い言い方すれば、1億円受け取れてよかったね、と言うこともできる。

 しかし本当に金が目当てなのだろうか?金が動機で10年も裁判やれるかという疑問は湧く。では遺族を駆り立てたものは何かというと、これは怒りであろう。大事な人を奪われたという怒りである。過労死遺族の手記集にはこんな一節がある。この方は過労自殺で夫を亡くした。長野県在住の方である。

幾多のできごとをのり越え、県南の飯田から大町まで片道二時間半の通うこと50回以上、吹雪で先の見えない冬の道を、真夏の炎天下をいくらかでもよい結果を求めて(労基署)に通いとおした7年間でした。労働省へもお願いに行きました。14回、労働省前でもビラまきをしました。まさに、私にとって激闘でした。気がつくと体重が15キロ落ちていました。ましてや結論の通知はハガキ1枚ですまされ、理由について聞きたければ、労基署まで来いというものでした。出向くと理由を書いた文章は渡せない、コピーのさせない、読み上げるので聞き取って書き写せとの高姿勢で、屈従せざるをえませんでした。(中略)あれでは、夫は使い捨てられた雑巾のようで哀れでなりません。
全国過労死を考える家族の会編『死ぬほど大切な仕事ってなんですか』教育史料出版会 1997

事情を説明すると1985年に夫が過労からの自殺でこの世を去る。周囲の勧めもあり1989年に労災申請を行うが、労基署は5年回答を保留にした挙句、1995年に「夫の自殺は業務外」とした。これを不服とした妻は1997年に地方裁判所に労基署の「業務外認定」の取り消し処分を求めて提訴した、というものである。夫は自殺した当時、30歳であった。

二度にわたって行政手続において願いを聞いてもらえなかったことから、母子三人冷たくどん底に落とされて救いあげてもらえないと、裁判しても同じではないかと感じた時期が長く続きました。しかし、夫の死を業務上認定していただくことが、夫を会社から家族のもとに取り戻すことだと信じ、それが遺された私の使命だと考えます。いまのままでは、夫はいまだに会社に捕らわれてしまっているようでなりません。い日でも早く夫を家族のもとに返してください。そして、お父さんの残業がなくなって早く家に帰ってきますようにと祈ったかつての我が家のような家庭があってはならないと、血の通った社会通念に反することのない温かな判断をいただけますよう心からお願い申し上げます。
全国過労死を考える家族の会だ編『死ぬほど大切な仕事ってなんですか』教育史料出版会 1997

こうした運動の積み重ねで過労死は社会問題となったのである。

4.私見:過労死問題は男女問題か?

 私見を先に言うと「過労死問題を男女問題として考えることもできるが、それは誰も幸せになれない」というものである。過労死者は男性のが圧倒的に多い。請求件数で言えば運送業が一番多く、次いでサービス業が続く。
 身体的な危険度が高い職業について、男性に偏って分配されている。よって女性も消防士や運送業に携わるべきだ、という主張も成り立つ。確かに危険度の高い職業に女性がもっと就業するようになれば、結果的に男性の過労死者は減ることになるだろう。
 しかし男性が減った分だけ、女性が過労死者となってしまっては意味がないし、問題は一向に解決されないことになる。「死の専門職」の危険度を下げるほうが先決ではないのでしょうか。
 というか過労死問題を男女問題として扱おうとする人ほど、「過労死問題は遺族の認定運動によって社会問題となった」ということを知らない人が多くないっすか?

参考文献
上畑銕之丞『過労死の研究』日本プランニングセンター 1993
濱口桂一朗『労働法政策』ミネルヴァ書房 2004
濱口桂一朗編著『福祉と労働・雇用』
全国過労死を考える家族の会編『死ぬほど大切な仕事ってなんですか』教育史料出版会


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