男性を男性が虐げる?

1.虐げられる男性?

男性差別、女性差別が現存するのか?という問いには今回答えることができないが、「女性が男性を虐げているのだ(兵頭しんじ先輩で検索だ!)」という議論について若干の検討を加える。

「男性は一貫して女性に虐げられてきた」という議論は可能か?投稿者としてはやろうと思えばできなくないと思う。これはよく指摘されることだが、徴兵制は男性のみが対象である場合がほとんどであったし、現代だと肉体的に危険度の高い仕事は男性に集中しているし、過労死者は男性のが明らかに多い(なお男性のほうが過労死認定される労働者の割合は女性よりも多くなってはいるが)。

上のような現象が発生しているのはなぜか?「男性差別」を訴える方々は「女性が男性を虐げているからだ」という説明をする。

まず男性にとって「女性と結婚できるか否か」は死活的に重要である。そして結婚するかどうか?を決定するのは男性ではなく、女性である。しかし、徴兵や(過労死するほどの)長時間労働を拒む男性は女性と結婚できないなぜなら、彼は「男であること」に失敗したからである。

「男であることを証明するのに失敗した」が本当のところ何を意味するのか?それは彼が自身の弱点を守ることを心配しすぎるので、女性や子どもを保護することができないことを意味する。それを感じた女性は彼と結婚しない。
ワレン・ファウル 久米泰介『男性権力の神話』作品社 p168

つまり男性は「結婚」を人質に取られているということになる。「結婚が男性にとって重要である」社会においては、女性から選ばれないというのは致命的である。ファウル先生はこう説明する。だから「男性は自分から使い捨てにされる道を選ばなければならないのだ」と。ファウル先生はこう畳み掛ける。

全ての男性に共通してある傷は、彼らの使い捨てという心理的傷だ。兵士として、働くものとして、父親としての使い捨て。彼らが他の誰かを助けて生かすために殺して死ぬことで、愛されると信じているという心の傷だ。(中略)
女性を生物としての宿命から解放することは、男性を生物として雄の宿命から解放しなかった。私たちは両性が危険な仕事や死のリスクを平等に分け合うことを求めてこなかった。私たちはまだ男性を私たちのために殺人者になるように社会化し、だからこそ彼らは愛されず……だからこそ使い捨てにされる
ワレン・ファウル 久米泰介『男性権力の神話』作品社 p381

「父親としての使い捨て」というのは具体例がパッと思いつかないのだが、「兵士としての使い捨て」は徴兵制のことを指しているのだろうし、「働く者としての使い捨て」は日本の状況を反映させれば過労死者のことを指していると言ってよいだろう。過労死者は男性のが多いし、既婚者も少なくない。

なぜ男性は使い捨てにされることを選ぶのか。ファウル先生の回答は「そうしないと女性から愛されないようなシステムになってしまっているから(要約)」というものである。

2.虐げているのは誰か?-単純な疑問としてー

話の内容としては分からなくもないのだが、ここで投稿者は非常に単純な疑問が浮かんだ。「徴兵制は男性のみを対象とする、と決めたのは誰なのか?」「男性労働者が過労死するほどの業務を命じたのは誰なのか?」というものである。

残念なことに「徴兵制を男性だけを対象とする」ことを決めたのは男性であるし、「男性労働者が過労死してしまうほどの仕事を命じた」のも男性である、という議論ができてしまう。

徴兵も労働もどこかで法的な強制力が伴う。徴兵も労働も誰かが命令しなければ強制力が発生しない。では実際に「男性」に徴兵や長時間労働を命じたのは誰なのだろうか?

これ男性じゃないの?というのが投稿者の意見である。日本に徴兵制が敷かれた明治時代となれば政府の要職は男性しかいなかったし、現代でも管理職、役員クラスとなれば女性よりも男性のほうが多い。官僚や国会議員も同様である。となれば徴兵も男性が決めたことだし、男性に長時間労働を直接的に強制しているのも男性ということになる。なぜなら社員に業務を命じている会社役員は男性の方が多いはずなのだから。

ファウル先生は「私たちはまだ男性を私たちのために殺人者になるように社会化」しているという。だがこれでは言葉足らずなのではないか。こう付け加えたほうがいいだろう

「男性を殺人者になるように社会化しているのは、主に男性である」

もちろん「共犯者」となる女性もいるだろうが、「主犯」は男性じゃない?と言いたくなってしまうのである。実際に命令しているのは男性と考えられるのだから。男性を使い捨てにしていたのは男性であった、ということである。投稿者がファウル先生の著書に不満を感じるのはこの点である。「男性による男性の使い捨て」をすっ飛ばしているのである。ていうか沈黙してない?

「男性が女性に威圧的に振る舞うとパワハラ、セクハラになるが、男性が男性に威圧的に振る舞うとそれは『しごき』になってしまうのはおかしい」というもの分かるが、じゃあ「しごき」をやってる男性を止めればええやん、と思うのは投稿者だけではないと思うのだが。

ということなのでファウル先生の言っていることに対し検討を加えると、「男性が男性を虐げる社会」という地獄絵図ができあがってしまう。なんだこれはたまげたなぁ。誰も救われないじゃないか。

私たちがユダヤ人差別に立ち向かうように、男性に対する性差別に立ち向かわない限り、これらのどれも変わらないだろう。私たちはユダヤ人の虐殺を「ホロコースト」と呼ぶが男性の虐殺は「戦争」と呼ぶ。ユダヤ人が虐殺されたとき私たちは恐怖を感じるが、男性が虐殺されたとき、その戦いは賞賛される。(中略)
男性だけの徴兵登録を支持し「男性権力」という説明に納得した有権者は男性だけを登録する法律を作った者として有罪になるだろうか?ええ、有権者が法律を作る政治家を選ぶ。
ワレン・ファウル 久米泰介『男性権力の神話』作品社 p178

兵士に男性の虐殺を命じたのは男性(軍幹部)であるし、男性の虐殺を称賛するのは男性(政府要職)であるし、「徴兵制は男性のみが対象」とする法律を作ったのも男性(政治家)である。非常に残念なことだが、「男性差別」に男性が思いっ切り加担していることになる。「男性差別」をなくそうとするのであれば、「お前は男性差別を肯定しているんだ!」と詰め寄る必要がある。「男性差別」を公然と行う男性軍人、男性官僚、男性政治家に対して…なぜこんな重要なことをファウル先生は明記しないのだろうか?

もちろん「官僚などの政策の意思決定を行う男性も女性に操られているのだ。だから女性優遇の政策を打つのだ」と反論できなくもないが、「それあなたの感想ですよね?」と返されるとどうしようもない。

3.近代国家は男性を抑圧する?

以上の話をさらに拡張すると「近代国家はというシステムそのものが、男性を虐げているのだ」という議論ができてしまう。キャサリン・マッキノンの「父権制国家論」の逆バージョンである。マッキノンによれば近代国家はリベラルを装ってはいるが、実際は男性支配を維持する巨大な装置である。

「母権制国家論」は、これの逆をやればよい。
「近代国家は男性のみに徴兵と労働を強制する。男性が被害者となっても放置し保護しようともしない。近代国家は女性支配を正当化するシステムなのだ」と。

ただし繰り返しになるが、近代国家の要職に就いているのは男性が多いのである。となると「男性によって女性支配が維持されている」という何かよく分からない状況に陥る。「男性による男性支配が維持されている」ならまだしも、「男性によって女性支配が維持されている」というのは話がおかしくなる。なぜなら「男性は自分から女性に支配されにいっている」ということになってしまうからだ。自分から支配に入っていくのか(困惑)。ドMな男性が多いなぁ(すっとぼけ)。

4.おわりー

ジェンダーの話になると突然陰謀論みたいなこと言い出す人も少ないないので、自分も気を付けようとおもった。

参考文献
ワレン・ファウル 久米泰介『男性権力の神話』作品社 2014
佐藤成基『国家の社会学』青弓社 2014






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?