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#flierbooklabo フロムの「愛するということ」で読書会を実施しました!

こんにちは。
flier book laboメンバーのりんです。今日は、12月18日に実施した自主読書会のレポートをお届けします。
本日のテーマは「愛」。
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」で読書会を実施しました。

みんなでディスカッションする前に「愛するということ」での「愛」の定義、そしてディスカッションの論点について発表がありました。

そもそも愛とは何か?
⇒愛の基本的要素:「配慮」「尊敬」「責任」「理解(知)」
⇒自分の生命(喜び・興味・理解・知識・ユーモア・悲しみ)を与えること
「愛の技術」を習得するために具体的にどうするべきか?
⇒前提条件:「規律」「集中」「忍耐」
【論点】愛を個人的な現象ではなく社会的な現象にするには?
⇒愛を達成するための個人的な4つの基本条件:ナルシズムの克服、信念、勇気、能動性

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ここから提示された論点について4つのグループ分かれてディスカッションし、それぞれのグループの代表者が話し合った内容を発表していきました。

今回はテーマがテーマだけに1つの正解を導き出す、というよりは思考の過程のバリエーションの豊かさを楽しむ、というスタンスでお読みいただけると良いかもしれません(^^)

最初のグループの発表とディスカッション

発表要旨:愛すると愛せるは違うのではないか?という話が出た。なぜなら「愛せる状態」であるためには自立をしていないといけないから。そのためには禅・瞑想を通じて自己を確立することが重要なのではないかという結論になった。それが「愛の技術」に結び付くのではないかと思う。

メンバーやファシリテーター荒木さんからの感想・意見

自分のことだけ理解してもだめで他人のことも理解しないといけないのではないかと思う。自分のことを愛することが出来ないとほかの人を愛することができないから。
前提として自分がないといけない。自立していないと依存になってしまう。
8歳までに両親の愛を受けられないと自分を愛せない、自立出来ないような社会であってほしくない。大人になってからの第三者からの愛でも自立出来るから。
愛の対極である無差別殺人テロの事件とか見ていると愛を受けられるような社会的仕組みが重要だなと感じる。
愛を受けるためにそのコミュニティに一歩踏み出す勇気が必要なのではないか?
過去に原因を求めて過去の出来事を自分は愛されないと思い込む人が多い。でも本当は自分が動き出せないことへの言い訳なのではないか?今この瞬間にスタートし動けば良い、というのがフロムの考えである。(基本的にアドラーと同じ論調)
自分をまず好きになるために必要なことは何か?⇒未来を見て自ら生み出す努力が必要
自己肯定感を高めるには他人からの意見・アドバイスがきっかけになって、自己受容する場合がある。そういう自分以外の外からの視点も重要なのではないか?
何か出来事が起こった後どうするか、自分がどう行動するか、選択権は自分にあるし選べる、それがフロムやアドラーの基本的な考え方。

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愛するためにはまず自立してないとダメで自立するには自分を愛することが必要で、そのためには何が必要か?ということが議論の中心でした。また、自立出来ない、自分を愛せない人のために社会的に何が出来るのか?という観点でも話が広がりました。

2番目のグループの発表とディスカッション


発表要旨:愛をする時に見返りを求めるかどうか、というのが論点になった。愛することのできる生産性の高い人は与えるだけでHAPPYなはずである。そして、自己満足・ナルシズムとの違いは何か、ということも話し合った。その違いは客観性にある。客観性を持てるようになると自己満足・ナルシズムが愛になる。ただし、マザーテレサのような博愛の境地に行くのはまだまだ自分たちには難しいと感じた。

自立している状態=「二人でも一人の状態」になるとお互い与えあうことができるので、自立していることが重要。愛の技術を得とくはピアノの練習に例えることができる。より上のレベルに行くには訓練が必要。愛も上のステージに行くためには「規律・集中・忍耐」が必要になる。

「客観性」を身に着けるにはどうすればよいか、は自分たちでは結論が出なかった。

メンバーやファシリテーター荒木さんからの感想・意見

社会的な愛とは宗教、人類愛、神への愛(=感謝に近い祈り)の側面があるのでは?
そもそも愛は自覚・知覚できるものなのか?日常生活での実感が今までない。
自分の信仰している仏教では挨拶が「ありがとう」愛するとはそんなに大袈裟なものではなく、お互いの存在を認めあうくらいのものなのでは?
例えば自分の両親が無差別テロで殺されたりした場合、愛しか乗り越えるすべはない。その場合の愛は許しを意味する。
神を信じるということは、存在しないもの・得体のしれないものに対して自分わやゆだねること。自立の放棄につながるリスクがある。頼りすぎたり盲目的になると問題が起こる。
愛があるから戦争も起こるのでは?
⇨愛があるから裏返しで憎悪・復讐も起こる、結果的に戦争にもつながる。
愛にはバランスが必要。重すぎると逆効果になる。

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話題が宗教的な「愛」の話に。そこから愛も盲信的になると自分を見失ってしまうからバランスが重要だという流れに。(これも肉野菜問題?)また、愛することの実感値についての話も出ましたが、「愛」という概念自体、輸入されてきた概念であり言葉なので、日本人にはなかなか実感値として感じにくい側面はあるのではないかと個人的には共感しました。どちらかというと「情」の国なんじゃないかなと。

3番目のグループの発表とディスカッション

発表要旨:アイドルへの一方的な愛はなぜ違和感があるのか、から愛する技術について考えた。その原因の一つとして、内向き(独りよがり)だから、というなことがあると思う。なぜならその愛をシェアし外向きになると違和感が解消されるから。内側と外側でコミュニケーションの不和があると愛ではないのではないか?

メンバーやファシリテーター荒木さんからの感想・意見

例えば、スクールウォーズを例に挙げると、最初コーチは弱いチームに対して「俺がこんなに教えているのに自分のメンツに泥を塗って」と思っていた。でも「あいつらは何を考えてるのか?」と180度視点を転換して「お前らつらかったな」と声を掛けたところから選手との信頼関係が生まれ、チームが強くなっていった。視点を転換するということで最も身近な例は人の話を聞く時間を確保するということ。それが相手のフィルターで見ようとすることにつながる。ただ、ダイバーシティの社会だとそれがより難しくなる。
客観性とは相手の立場に立つことであり、自分にとらわれすぎないこと。そして出来るだけ自分の主観から離れることではないか。
できるだけ客観的になることが重要。人間はどこまでいってめ主観的存在だから客観的になれないことを前提に客観的になる。「自分は客観的になれてる」と思い込んだらおしまい。

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荒木さんのスクールウォーズの例え話がわかりやす過ぎたのと、メンバーのたんたんさんの100%客観的になれないことを念頭において、出来るだけ客観的に慣れるように努力するのが大事、という指摘は本当に深い洞察でうなってしまいました。確かに自分は客観的だと思ってしまったらそこからは何の進歩も生まれないし止まってしまいます。完全に客観的な人間なんておそらく存在しないですからね。

4番目のグループの発表とディスカッション

発表の要旨: 愛と類似のワードを考えてみた。尊敬、自然体、受容、など。そして愛の技術を習得するには、レベルがあるのかどうかについて話し合った。親子の無償の愛はレベル10(10点満点で)ではという意見が出たが、忍耐が必要で最初から10ではないという意見もあった。また、愛にも理想と現実があり、結婚や恋愛等の契約的な側面もあるのでは、ということも話した。

メンバーやファシリテーター荒木さんからの感想・意見

離婚でなく卒婚という動きがある。社会的契約の概念も変化し始めている(パートナーシップ制度など)
愛の在り方の多様化
結婚は「規律・集中・忍耐」だから愛のレベルを上げるには必要だと思う。
人間は一人で生きられない生物であり、本来は集団性がプリセットされている。だが、集団が大きくなってくると例外が出てくる。つながりたい欲求は食欲等と同じで人間の根源的欲求の一つ。

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愛を語る際には避けて通れないであろう結婚を始めとする社会的制度の問題にスポットがあたりました。愛の在り方が多様化する中でパートナーシップ制度という同性カップルのための婚姻制度が出来たり、離婚でなく卒婚という動きが出てきたり。荒木さんがおっしゃった「人間はそもそも一人で生きられない生き物」であるということや社会的に認められたいという承認欲求がある限り、社会的制度も変化に対応しないということですね。

まとめ


最後は荒木さんからのまとめです!

本来人間は信頼・尊敬でつながっているはずなのにルール・規制に縛られている現代。そもそも本来は会社で働くのも愛がベースにあった上で仕事すべき。でも実際には95%の現実と5%の理想(本質)というべき状態。

では本来大事な愛とは何か?

それは生命(自分の中に息づいていること)を与えること。

フロムの提示する隷属状態に陥らないためのソリューションとは「愛」と「仕事(貢献)」

「あなたに出来ることは課題を分離し、ただ自分から先に愛すること、それだけです」

自分から先に与えよう。そして他社依存でなく自分の人生を生きよう。

それがフロムの提示する「愛するということ」

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今回の気づき

愛、といっても定義すること自体が難しく、人によって捉え方も千差万別なこの難題にチャレンジした読書会。やっぱりいつもより明確なまとまった自分たちなりの結論のようなものは出なかったけど、ただ、読書会は学校の国語のテストではないのでこれはこれで面白くて読書会の醍醐味なんだと思いました。

一方でエーリッヒ・フロムの「愛するということ」でフロムのいう「愛」とは何か、は理解出来た気がします。

愛するためには相手に依存せずに自立していなければならない。そのためには自分を愛してないといけない(自分に自信をがないといけない)。そのためには、過去を振り切り、未来を向いて、自分を愛せるようになるための一歩を踏み出す勇気が重要になる。
また、愛するとは与えることであり、見返りを求めるものではない。ただ、自己が満足するだけのナルシズムとも違う。そのためには常に自負を客観視し、相手の立場に立つ、相手の話を聞くことが大切。

これはインターネットを始めとするテクノロジーの発達でより手軽に「つながれる」ように、そしてより「受動的」な方向に流れている現在の私たちには非常に重要な問いかけなのではないかと心に刺さりました。

最後に

flier book kabo 読書会コミュニティ一期はこれで最後の読書会になりますが、最後にふさわしい壮大で抽象度の高いテーマだったと思います。

一見難しくて歯が立たなそうなテーマにもみんなでチャレンジし、議論を深め、気づきを与えてくれたbook labo メンバーの皆さんに心からの感謝を贈ります。最高の知的エンターテイメントな時間を過ごすことが出来たのは皆さんのおかげです!

そしてbook laboを運営してくださった大賀さん始めflierの皆さん、ファシリテートしてくださった荒木さん、ゲスト出演いただきました皆さん、メンバーをリードしてくれた企画チームの皆さん、このような素晴らしい場所を作っていただき本当にありがとうございました!

文責:りん



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