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ひとりぼっちの循環-サーキュレーション-

前回書いたnote
生きると活動を一緒くたにしたいという夢
を読んでくれた人から

「ナガレさんは寂しいって感情が無いのに、どうして『人数も固定しないけれど、少ないとちょっと寂しいかな。』って書いたの?」

と訊かれた。
これは決して悪口を言われているのではなく、僕は本当に1人でいることに全く寂しさを感じない人間だと知っているから。

それに対する答えを返したところ
「書いた方がいいよ!そっちの方が面白いよ!」
と言われたので書こうと思う。

僕は本当に真面目に真剣にひとりぼっちが好きだ。
その点で言えば前回のnoteは確かに矛盾するだろう。
しかしだからこそ『個人の部屋と集まれる部屋と作業部屋』と分けている。
僕にとっての通常は1人であり、シェアハウスのように日常的に誰かと顔を合わせるような生活はできない。

僕にとって他者は
"自分という個では捉えられない情報の塊"
という存在だ。
何かを創作する上で他者の視点や見解ほど栄養になるものは無い。
それが相互作用だろうと一方的だろうと関係ない。
創作する人間は自分にこもって作業をする時間と同じくらい、誰かの世界へ旅に出て交流することが大切で重要な時間なのだ。

表紙の図を使って簡単に表そう。

1つの絵でも3人で見れば3つの視点がある

1人で見た場合、この絵に対しての感想は「海だなぁ」となる。
別の人が見ると「空が灰色ということは曇り…!」という1人目とは全く違う視点になる。最早海が無い。空である。
更に3人目は「砂浜でコートとか不審者かよwww」と全体像と中央の人影に注目している。
3人の視点を知ると

灰色の空の下
コート姿で佇む
謎の男。
彼の真相は如何に…

全員ナガレだよ☆

という文章が作れる訳である。
3人の視点を知った上で『海』『砂浜』は重要ではないと判断して1つの文章にまとめているが、これは僕という創作者が勝手にした取捨選択だ。
しかし海や砂浜という発想が無ければこの1文ができあがることはない。
3人の視点を踏まえた上で初めてこの1文が思い浮かぶということである。

このようにひとりぼっちの循環によって初めて多様な創作活動ができるようになる。
少なくとも僕はそうだし、漫画家や小説家は取材に行くために連載を休んだりしている。
他者の視点、観点、見解。
それらを摂取し咀嚼して、再び自分の物として吸収する。
生身の人間が目の前にいれば、それらを更に深掘りしたり角度を変えて質問したりできて更に高栄養だし、こういう作業の一部は『ブレインストーミング』と呼ばれるよく知られた作業でもある。

また同様に作業を適材適所に分配すれば
イラスト描くよ!
 →じゃあそれを立体にモデリングするよ!
  →よっしゃ、出力されたモデルを塗装するで!

といった2次元の3次元化等もできる。
彼らはそれぞれ
「イラストは描けるけど立体は無理」
「元絵があればモデリングできるけどデザインとか無理」
「組立や塗装はできるけどイラストもモデリングも無理」
というできないことを抱えていても、3人集まればイラストから3DCGから実際に3Dプリンターで出力してフィギュアまでできる。
フィギュアを販売する際にはパッケージデザインとして3DCGやデフォルメしたイラストが利用できるし、そのキャラクターを元にした様々なイラストや3Dモデルを動かした短い動画で宣伝もできる。

『できないことは別の部屋に住んでる仲間にぶん投げる』
が同じマンションやご近所さんで可能になるということだ。
別に100%住民がクリエイターである必要も無い。
こういう活動に興味があるから資金面で援助したい人でも、家事なら得意という人でも、広報は任せろという人でも、興味はあるけど特段何もできないんだけど住んでみたい人でもいい。
占いできるよとか霊感あるよとかでもいいし、話を聞いて企画を立てるのだけは好き!でも全然いい。

変人というのは大体ひとりぼっちであり、大体ひとりの力だけでは生きることに苦労する。
けれどひとりぼっちがひとりぼっちのままで循環を産むことができた時、それこそが
生きていれば生きていける場所
になるのだと思うし、僕はそういう場所が欲しいし作りたいのである。



-どうでもいい独り言。
循環をサーキュレーションって読むだけでカッコいいよね!(小並感)

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