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『シェイクスピア名言集』小田島雄志〈岩波ジュニア新書〉

今回はある名著の紹介。

手軽に読むことのできる新書判の書籍のなかでも、〈岩波ジュニア新書〉や〈ちくまプリマー新書〉といった小・中学生向けのシリーズには、じつは大人が読んでも楽しめる名著が多い。

〈岩波ジュニア新書〉にはウォーラーステイン流の世界システム論をより簡明に描き出す川北稔『砂糖の世界史があるし、〈ちくまプリマー新書〉には誰もが直面する人間関係の悩みを切り抜けていく道を示し、今なおロングセラーを続ける菅野仁『友だち幻想がある。


若い読者のために、専門的なことについてもできるだけわかりやすく書く、というスタンスが、著者のもつ力を引き出し、成熟した大人にとっても魅力的な一冊を生むのだろう。

今回紹介する小田島雄志の『シェイクスピア名言集』(岩波ジュニア新書)も、そんな中の一冊だ。

シェイクスピアの演劇の優れているところは、物語の筋立てだけではなく、登場人物の発する言葉の独特の節回し、そこに込められた説得力にある。
400年の時を経た今でも、シェイクスピアの言葉は洋の東西を越え、わたし達の心に突き刺さる。

著者の小田島雄志は、シェイクスピア翻訳・研究の第一人者。白水社からシェイクスピア全集を刊行し、さらにシェイクスピアについての著作も数多くある。

シェイクスピアに知ろうとすると、四大悲劇と呼ばれる『ハムレット』、『オセロー』、『マクベス』、『リア王』。
あるいは『ロミオとジュリエット』、『夏の夜の夢』から入るのが常道だろうが、それ以外の傑作にも触れてくれているのが、かゆいところに手が届く本書のよいところだ。

もちろんシェイクスピアと聞いてすぐに思い浮かべるような

「おお, ロミオ, ロミオ, どうしてあなたはロミオ?」
―『ロミオとジュリエット』第二幕第二場。

「終わりよければすべてよし. 」
―『終わりよければすべてよし』より

「いいは悪いで悪いはいい. 」
―『マクベス』第一幕第一場。

「このままでいいのか, いけないのか, それが問題だ. 」
―『ハムレット』第三幕第一場。

「……この世界はすべてこれ一つの舞台, 人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ. 」
―『お気に召すまま』第二幕第七場。

といった誰もが一度は耳にしたことのある名言はしっかりと網羅されている。

そしてこの本をさらに魅力的にしているのは、各篇に挿まれるエピソードだ。シェイクスピアの生み出した名文句に合わせて、それぞれウィットに富んだコメントが付されている。

その多くは、小田島がこれまで周りで見聞きしたものだ。
これを読むだけで、小田島が人間関係に長け、物事の本質をつかむことのできる好人物であることが伝わってくる。

本書では劇中から100の言葉が引かれているが、シェイクスピア劇の名言とともに、小田島の語るエピソードをいくつか、ここに紹介しよう。


17)美しいものはたちまち滅びるのだ.

―『夏の夜の夢』第一幕第一場。

坪内逍遥の名付けた『真夏の夜の夢』という題でも知られる本作は、シェイクスピアの喜劇の中でも最も有名だ。

ライサンダーとハーミアは相思相愛の男女だが、ハーミアの父親は結婚を許さず、自身の決めた相手と結婚するか、あるいは修道女として一生を送るかの選択を迫る。
それを聞いたライサンダーは、さまたげられた恋のさだめを嘆いてこの台詞をこぼす。
ほんとうの恋が平穏無事に進むことはない。
うつろいやすく儚いものには、代えがたい美しさが宿るものである。

さて、以下は小田島のコメント。

ぼくが知っているなかで、いちばん美しいとは言えないけれども、とにかくいちばん短い恋は、演劇評論家・旗一兵さんのそれである。山口百恵が引退を表明し、これが最後というステージを見たあと、この老評論家は、「百恵ってこんなによかったかね、おれは今日はじめて惚れたよ」と、うめくように言い、ちょっと間をおいてから、ポツリとつけ加えた、「惚れたその日が別れの日とはなあ!」

37頁

1970年代の国民的な歌姫・アイドルであった山口百恵は1980年三浦友和との婚約を発表し、10月5日日本武道館でファイナルコンサートを開催し、人気絶頂の中でマイクを置いた。

なるほど、山口百恵の去り際は美しく、そして潔いものだった。

66)どんな荒れ狂う嵐の日にも時間はたつのだ.

『マクベス』第一幕第三場。

荒地で三人の魔女と出会い、将来の国王になるとの予言を受けたマクベスは、スコットランド国王ダンカンを殺して王座に就こうと決心する。
この台詞は、迷いの中で自分を奮い立たせるように傍白するもので、「どんな長い夜もいつかはきっと明けるのだ.」というフレーズと対になっている。
傷つき、困難な状況にあっても、必ず事態は好転すると信じることで人は前に進んでゆける。
「明けない夜はない」という励ます名文句の淵源のひとつは、シェイクスピアにあるというわけだ。

ある批評家が、シェイクスピアには「心の傷をいやす力(healing power)」がある、と言った。ある劇詩人は、悲しいときにはシェイクスピアを声に出して読む、と告白した。そういう話を聞くたびに、彼らはシェイクスピア全体にふれて言っていることを知りながら、ぼくはこの二つのセリフを思い出す。ぼく自身、つらいことがあると、このことばをつぶやくことによって慰められ、励まされることが多いからである。

145頁


20)愚かにではあるがあまりにも深く愛した男であった.

―『オセロー』第五幕第二場。

将軍オセローは貴族の娘デズデモーナと愛し合い結婚にいたるが、配下の旗手イアーゴーに唆され、最愛の妻の不実を疑い、嫉妬という「緑色の目をした怪物」に苛まれ、破滅の道を辿る。
オセローは愛する妻を自らの手で絞殺してしまうが、やがてその潔白を知り、彼女の死体の傍らで自害する。

『オセロー』はシェイクスピアの中でも一、二を争う悲劇だが、この名言も小田島の手にかかるとユーモアを含んだものになる。

少し長いが、彼の言葉を引いて本稿の結びとしよう。

Yという男が大学の一年後輩だったW子と久しぶりに再会した。W子は八丈島で高校教師をしており、夏休みで東京に帰ったところだった。
翌年の春休み、Yは八丈島に求婚旅行に出かけた。プロポーズされると、W子は道ばたに咲いていたスミレの花を摘んでYに渡した。それが応諾のしるしだった。嬉しさにボーッなったYの耳に、W子の声が飛びこんできた、「でも私って、ばかなのよ」。Yは胸のなかでつぶやいた、「ばかっていいなあ」
やがて二人は結婚した。新婚時代がすぎたころ、YはなにかのことでW子に「ばかだな」とけなした。W子はそのことばに不満をもらした。Yは答えた、「おれがばかと言うときは、愛情こめて言ってるんだ」。愚かに愛しあうYとW子とは、実は、ぼくと女房のことである。

43頁

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