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四人囃子『一触即発』和製プログレの比類なき代表作


四人囃子プロフィール


四人囃子…1969年、都立鷺宮高校の同級生であった森園勝敏(Gt. Vo)と岡井大二(Dr)により結成。後に中村真一(Bs)、坂下秀実(Key)が加入。

同題の映画の劇伴音楽を担当した『二十歳の原点』(1973)でレコードデビュー。
そして実質的なデビューアルバム『一触即発』(1974)、シングル「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」(1975)、ベースが佐久間正英に代わって『ゴールデン・ピクニックス』(1976)をリリース。

その音楽性は高く評価され、この頃盛んになりつつあったロック・フェスティバルのステージに出演するとつねに高いパフォーマンスを発揮した。
洋楽のカバーも多くこなすことから「日本のピンクフロイド」と称され、その卓越した演奏能力は時に本家を超えるとも言われるほどだった。

もちろん当時、これらのアルバムが爆発的なヒットを飛ばしたということはない。だが、その楽曲と演奏能力の高さから主に洋楽ロックのリスナーからの支持を集め、四人囃子は『ミュージック・ライフ』誌の人気投票「1975年度ベスト・ミュージシャン、グループ・オブ・ザ・イヤー」で第1位に選ばれている。

ギター/ボーカルだった森園勝敏が脱退した後は佐久間正英がイニシアティブをとり、新しい音楽性を模索し三枚のアルバムを発表するも、1980年代初頭にバンドは活動休止状態に。
その後1989年の再結成を皮切りに散発的にライブを行い、2000年代に入ると初期メンバーによる活動が再開し、活発にライブへの出演を行った。

SOIL&"PIMP"SESSIONS、フジファブリックとジョイントライブを行うなど、世代が離れた若手のバンドとも積極的に交流し、2010年にルネッサンス、スティーブ・ハケット・バンドと競演した日比谷野外音楽堂での「プログレッシブロックフェス」が現時点での最後のライブ出演となっている。

この間、ドラムスの岡井大二はL⇔R、ベースの佐久間正英はGLAY、Hysteric Blueをプロデュースするなど、四人囃子のメンバーはJ-POPシーンでも確かな足跡を残した(佐久間正英は生田絵梨花の父の従兄弟であることでも知られている)。

残念ながら2011年に中村真一、2014年に佐久間正英、2022年には坂下秀実が死去し、四人囃子は活動休止状態にある。

『一触即発』全曲解説



  1. [hΛmǽbeΘ] 

45秒間のオープニング。シンセサイザーによる不穏かつ劇的な雰囲気が提示される。
発音記号による表記になっているが、「ハマベス」と読む。
「ハマベス」とは、そのころ森園と坂下が「猫の顎を撫でる行為」や「何ともいえない雰囲気を和らげるふとした行為」をそう呼びあっていた符牒のようなものだとされるが、当人たちはそのことをすっかり忘れているようだ。


2.  空と雲 (5:20)

変わりゆく雲の動き。どこまでも深い群青の空。これは昼なのか、夜なのか。意識と無意識の境界線上にある夢幻の世界へと、メロトロンの響きは誘い込む。
流麗な森園のギタープレイは、彼が日本のロック史において有数のギタリストであることを示している。

「古いお寺」というロックにはそぐいそうにないフレーズが歌詞の中に自然に入りこんでくるのが、なんとも四人囃子らしい。

長く細い坂の途中に
お前の黄色いうちがあったよ
何か食べ物を買ってから
ともだちがくれた犬をつれてった
そのあたりには 古いお寺がたくさんあって
子供たちが楽しげに遊んでいた

「空と雲」


3. おまつり (やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった) 

この曲も「おまつり」という何とも純日本的なモチーフが軸になっている。
男は、ある街のおまつりへと迷い込み、いつのまにか自分も一緒になって踊り出し、祭の熱狂の中へと巻き込まれていく。

なにもすることがなくて
なにもすることがなくて
おろしたてのバラ色のシャツきて
おまつりのある街へ
その街にはいつもおまつりがあるのさ

「おまつり(やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった)」


SF(サイエンス・フィクション)が神社・祭りという日本的な要素と融合した世界観は、諸星大二郎と共通のものをもっている。
そういえば、諸星大二郎が「生物都市」で手塚治虫賞を受賞し漫画界に衝撃を与えたのも、『一触触発』がリリースされたのと同じ1974年のことだった。

いったん祭りのクライマックスが果て、キレのあるギターのカッティングが調子を取り、盆踊りの太鼓を思わせるタムの響きから、図太いビートを刻むベースラインが入ると、おまつりの熱狂は最高潮を迎え、祭囃子のリフレインを残しつつ、静かに消えてゆく。

中村真一のベースは決して前へ出てくるものではないが、メロディアスなベースラインを奏で四人囃子のサウンドをしっかり支えている。

4. 一触即発 

アルバムタイトルにもなっている、12分を超える大作。四人囃子の代名詞とも言える名曲。

前曲「おまつり」がフェードアウトすると、シンセサイザーによるせり上がるような爆発的動機から、シャッフルビートの歪んだギターの激しいリフが始まり、暴力性さえ感じさせる狂騒へとなだれ込む。
縦横無尽に暴れまわる森園のギタープレイは必聴。

緊張が解けると、クリーントーンのギターに導かれ、ゆったりと気怠い曲調の中、森園のヴォーカルが歌い出す。

あの青い空がやぶけたら
きっとあの海も
せり上がってくるにきまってる
アー空がやぶけて
アー声も聞こえない アーア…

「一触即発」

空が破け、海はせり上がってくる。
そんな破滅的な世界観が提示されるが、不思議と心地よい夢の中にいるようで、次第に陶酔の中へと入ってゆく。
しかしわずかな静寂は破かれ、ふたたび緊張が張り詰め、冒頭のリフが再び盛大に呼び戻され、曲は幕を閉じる。

攻撃的なドラムスと弦楽器隊の響きの中で、坂下秀美のメロトロン風味のシンセサイザーの音色が浮揚感のある癒やしを与えてくれる。

5. ピンポン玉の嘆き 

一瞬の静寂があり、瓶の中を跳ねるピンポン玉の響きのSEから、この曲が始まる。
ポリリズム調のリズムにギターのアルペジオが重なり、徐々にサウンドはフェードアウトし、アルバムは終わる。
“宇宙空間に浮かぶピンポン玉”という着想から書かれたインストゥルメンタル。

6. 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ

「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」はシングル盤として発売された四人囃子の代表曲のひとつ。2002年に『一触即発』のCD版が発売された際にボーナストラックとして収録された。

「おまつり」や「一触即発」と同じく詞は末松康生による。
内容は夜、兄弟が二人で丘を歩いていると音もなく銀色の円盤が降りてきて、弟だけがそれに乗った、というもの。
四人囃子のもつSFチックな世界観がもっとも色濃く出ている楽曲。

星も出ていない夜に
弟と手をつないで
丘の上に 立っていると
音もなく 静かに
銀色の円盤が空から
降りてきたのさ

「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」


アルバム総評


四人囃子はプログレッシブバンドなのか?

四人囃子は「日本におけるプログレッシブロックの嚆矢」という括りで語られることが多い。

プログレッシブ・ロックの特徴をいくつか挙げると

・既存のポップスの枠組みを越える長大な曲
・変拍子の多用
・キーボード・シンセサイザーの活用
・クラシックなどロック以外の音楽との融合

などがある。もちろんこれらの要素を含みながらも、「プログレッシブ・ロック」に分類されないバンド・グループも数多くある。

代表的なプログレッシブ・ロックグループには

・キング・クリムゾン
・ピンク・フロイド
・イエス
・エマーソン・レイク・アンド・パーマー

がおり、日本では「プログレ四天王」と呼ばれている(ジェネシスを加えて「プログレ五大バンド」とする場合もあり)。

これらのバンドは欧米の音楽シーンの中でビッグヒットを飛ばし確固たる地位を築いたが、それに比して日本のプログレッシブ・ロックは「知る人ぞ知る」存在にとどまっている。

四人囃子のほかにも、美狂乱新月KENSOなどプログレッシブ・ロックとされるバンドがいくつもあるが、どうも音楽マニアが好むコアなジャンルとしてみなされているフシがある。


だから、もし四人囃子を日本の音楽史の中に位置づけるとするならば、スモーキン・メディスンや頭脳警察、カルメン・マキ&OZ、あるいは紫などのように70年代ロックの大きな流れの中で解釈するほうが適当であるかもしれない。
四人囃子のメンバーも、「プログレッシブロック」という狭いカテゴリーの中に押し込められることは嫌っているようである。

だがそれでも私はやはり、四人囃子の『一触即発』を「プログレッシブ・ロックの名盤」と呼びたい。

たとえば普段J-popやK-pop、洋楽のヒットチャートに乗るような音楽を聴いていて、最初から四人囃子の音楽にハマる人はなかなかいないと思う。
ただ、どこかに「なんだこれは?」というとっかかりができる。
そのとっかかりをもう一度聞き返すか、聞き流すかが、その後の分かれ道だ。

だって彼らは、わかりやすい美しいものを求めていない。

美を模索しつつ、探求しつつ、そうしてできた音像が、どうか。

そんな、勝負をしている。

街中でふっと聞いて身体に入り込んでくる音楽もあれば、聴き込んで自ら斬り込んでいく姿勢がなければ、フィットしない音楽もある。

四人囃子の音楽はまさにそのようなもので、だからこそ私は彼らを「プログレッシブバンド」と呼びたいのだ。


独特な四人囃子のもつ世界観


四人囃子の音楽性は欧米のロックの潮流の中にあるが、単なるフォロワーではない。
確かにピンク・フロイドやディープ・パープルからの影響は色濃くあるものの、やはり四人囃子には洋楽からの影響よりも、日本的な印象の方が先立つ。

それは四人囃子がプログレッシブ・ロックのように長大な構成の楽曲を得意にしているとはいえ、やはり日本語による歌モノであることが大きく寄与している。

この豊かな情感の世界は、このころ四人囃子のほぼ専属の作詞者であった末松康生によって生み出された。そして森園の淡白でハスキーな歌唱は、バンドサウンドの中で際立ち、しっかりと一語一語のメッセージを投げかけてくる。

そしてアルバムの中盤、「おまつり」から「一触即発」への流れはひと続きになっているが、ここは絶対に聴き流せないポイントだ。

「おまつり」のエンディング。森園のエレキギターがキレのあるカッティングを掻き鳴らすと、祭囃子を思わせるタムの連打から、ベースが跳ねたリズムを奏で、さらにセカンド・ギターのブラッシングがそれに拍車をかける。
おまつりは最高潮の熱狂の渦の中に入っていくが、その音像は次第に遠ざかっていき、打ち寄せる波の音と、ウミネコの鳴き声の中に消えていく。
そして海の彼方から天変地異が現れるように、おどろおどろしい「一触即発」のテーマが開示される。

この劇的な展開は、日本の音楽史上でも他に類を見ない至福のひとときであると思う。

個人的な思い入れになるが、四人囃子が2000年代になって旺盛にライブ出演に繰り出した時期と、私がこのバンドに興味を持った時期とが一致したのは幸運だった。高校時代TSUTAYAでCDを借りてはMDにつっこんでいた私だったが、四人囃子の存在は大学に入って先輩に教えられてようやく知った。

それまで洋楽邦楽のメジャーシーンを中心に聴いていた私にとって、四人囃子の音楽はいったん立ちどまり、よく嚙み砕かねば理解できないものだったが、繰り返し聴いているうちに魅了されるようになった。

そうして四人囃子のライブへと足を運び、志村在籍時のフジファブリックとの競演、そしてプログレッシブロックフェスをこの身で体感することが出来た。

そういえば、去る2月29日は佐久間正英の誕生日であることを友人から教えられた。
存命であれば72歳ということになる。

日本のロック、ポップスを築き上げてきた人々も次々に鬼籍に入っているが、彼らの遺した音楽は永遠に消えることはない。

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