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私が海外に出てみた、自分でも気がついていなかった理由は

仕事を辞めて日本を出て、フラフラし始めて丸2ヶ月が経ちました。
初めはやっぱり、普通にしているつもりでもドキドキとワクワクがいっぱいで、
どこか落ち着かない毎日で。

だけどさすがに最近では、「自分が別の国に存在している」ということ自体に慣れてきたというか
ようやく普通に生活できている気がします。テンション的に。

そんな中でふと、タイトルの気持ちにたどりついたので
今日はそのメモを。


そもそも海外へ行こうと思ったことに、あまり深い意味はありませんでした。
もちろん勇気というか、思い切りは要ったけれど。

仕事を辞めたい。辞めよう。
辞めて、しばらく何もせずに生きてみたい。
生き急ぎ気味でここまできたけど、一旦、ちょっと止まってみたい。

だけど、それなら同じ家同じエリア同じ行動パターンで過ごすよりは
きっと知らないこと、もの、に触れた方が得るものがありそう。
……「海外で暮らす」、をしてみよう。

「観光」は別に好きでも嫌いでもないけど、出張とか「移動」は大好きだったし
英語できるようになれたらきっと役に立つし!

っていうくらいの感覚でした。

でも…
多分私は、身近にあるたくさんの「ねば」「べき」みたいな価値観から自由になりたかったんじゃないかなって
本当はそれをガッツリ望んでの行動だったんじゃないかなって
今日、そう気づきました。

だって私たちの周りには、いつもすごい数の「ねば」「べき」が転がっている。

大人なんだから、週5日正社員で働かなくちゃ。
きちんと身なりを整えて、きちんと生きて。恥ずかしくない人生を。
おうちも綺麗にね、あれ、自炊しないの?そんなの体に悪いよ。
休日、インドア派なの?外に出ないで暇じゃないの?
お休みだからって引きこもってばかりじゃ良くないと思う。
雇用体系は非正規なの?それで大丈夫?
なんの仕事をしているの?これからどんなキャリアを積んでいくの?
結婚しないの?子供欲しくないの?どうして?
お金は貯めてるの?老後のことは考えてるの?
家族とは仲良くしなくちゃダメだよ。
そんなんでこの先大丈夫なの?

書いているだけで思い出ししんどくなるほど、ただ「生きている」だけで
日々、山のようにそれらを感じる。
別に気にしなくたっていいはずなのに、どこか吹っ切ることもできずに、
いつの間にか誰のための生活なのかわからなくなっていく。


上記の「ねば」「べき」は、実際に言われたことも言われてないこともあるけれど
ハッキリ言われなくたって感じ取れるものもたくさんある。
「一般的」ではないというだけで、嫌になる程「なぜ」「どうして」が降ってくる。
だから多分、私は、一度そういうものを完全にシャットアウトしたかったような気がしました。

もしかしたらどこの国だって、こういう「べき」は大なり小なりあるのかもしれない、って思うけれど
でもその多様さに触れることは、私の触れてきた価値観の中にあった「べき」を緩めることでもあるし
少なくとも旅行者には現地の「ねば」「べき」はものすごく入ってきづらいから。


……それにしても、書いてて本当に
「何それ、そんなの気にしなくていいのに」
「誰の意見?自分が気にしすぎてただけのやつもあるじゃん」
「そんなふわっとした“世間的価値観っぽいやつ”のために生きてたの?」
って思ったな……自分で……

とはいえ何にも縛られずに、一切それらを気にせずに生きる強さはまだ自分にない気がするけど
そもそもそう思っていたことに気づけてそして、
「ああ、少なくともこの期間はちゃんと、その辺から自由だ」
と思えている今日を、残りの旅行期間を
心穏やかに楽しみたいと思います。

残りはあと、約1ヶ月。
この週末にまた移動をしますが、次の国ではダンス教室に行く!
子供の頃、初めて自発的に「やりたい」と言った習い事でした。


より自由に、過ごしたい!



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