shiro

心、感情、生きること……そういうものを日々考え中。 その先でいつか、人の心に寄り添える…

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心、感情、生きること……そういうものを日々考え中。 その先でいつか、人の心に寄り添える人になりたい元・キャリア/留学カウンセラー。の、自分成長日記。 小説家になろう、で小説になりきれない何かをこっそり(⇒Twitter)。

マガジン

  • 海外に行ってみた話

    2023.5~の海外滞在記。 マルタ→ドイツ(ミュンヘン)→イギリス(ボーンマス+ロンドン)→フィンランド→アメリカ(NY)/予定 観光とか現地情報ではなく、自分の心情しか書いてないことに途中で気づきました。 ただの「海外にいる間に書いたnote」っていう自分整理用みたいになっている。 小心者なので途中で逃げ帰るかもしれない!

最近の記事

私はずっと、石橋を叩き割ってきてたんだな、って!

最近、楽観的ポジティブMAX!みたいな人と関わることが多くて、「それって生きる才能……!!」って実感しています。 彼らは、彼女たちは、前に進むことを怖がらない。 不安がないわけではないし、リスクだって検討するけれど、でもそれは進むための、挑戦するための準備。 いろいろ雑談したりアドバイスをもらったりする中で、自分がいかにこれまで石橋を叩き割ってきていたのか実感しました。 っていうか本当は、石橋を叩き割ってしまいたかったのかも。そしたら挑戦しないでよくなるもんね。 でも、

    • 否定されることが怖かった話と、自己開示とかアドバイスをもらうとか

      私はとにかく自己開示が苦手でした。 例えば… どんな習い事をしているとか、どんな友達と遊んでいて休日は何をしていて、恋をしているとかしていないとか、推しが誰で、今何を考えているのかとか。 ミステリアスとか言われちゃうくらい、自分のことを言うのが苦手だった。 今日の夜ごはんすら言いたくなかった。 本当に何も言いたくなかったの。 いろんなことがあったから、いつの間にか責められること否定されることを極端に怖がるようになっていた。 無意識に「攻撃される」と思っているから、何か突

      • 「生きたなぁ、私。」

        そんな風にたそがれてみた、3月31日です。 今、自分の記事を読み返してみても思うけれど、このnoteを始めたばかりのころって本当に人生迷子だったな、って。 一生懸命考えてる風ではあるし、まぁ実際自分のキモチとしても嘘ではないんだけど、なんか書いてることが上滑りしてる。 「こうじゃなくちゃ」「こうであるべき」そんなのばかりが先行して、全然本心みたいなものが見えない。 そして、全然楽しそうに生きてない。むしろ苦しそう。SOS漏れ出てますけど大丈夫?って感じ。 実際、苦しかっ

        • 今思う、“愛”について

          私の中でずっと、このnoteのテーマは「愛とは?」なんですが、始めたころは「こうかな」という意見すら思い浮かばなかったその答えについて、今思うことを書いてみます。 ……愛って、”愛する”とかも言うけれど、もしかしたらそんなに能動的なものではないのかな、と。 その人らしさをそのまま認め、受け入れ、その人がその人らしく生きていけるように見守る、みたいな。 例えその先にあるものがその人の旅立ち、自分との別れであったとしても、それでも「その人らしく生きる」ことをそっと応援する、みた

        私はずっと、石橋を叩き割ってきてたんだな、って!

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        • 海外に行ってみた話
          18本

        記事

          ちゃんと言ってくれる人、のありがたさ

          先日、新卒の時の上司と数年ぶりに会ってきました。 数年ぶりというか、ほぼほぼ10年ぶりくらいだったかもしれない。 新卒で右も左もわからない私を、見守り育ててくれた人。 親にも紹介したことのなかった私の彼氏(当時)まで会わせた上司。笑 その上司に、私の今後の社会人キャリアについて相談してみたんです。 今は半分フリーランスのような不安定な働き方をしているけれど、また会社員に戻ろうかな。そしたらやっぱり事務職かな、私のキャリアは7割くらい事務職なので。……みたいなことを言ったら

          ちゃんと言ってくれる人、のありがたさ

          幸せになって、いいんだよ

          幸せが怖い、っていう感覚、わかる人いるかな。 あるいは、両手放しで幸せに生きるってことにどこか、うしろめたさや罪悪感がある感覚? それ、取れないよね。なかなか。 こびりついて付き纏って、ずっとずっと後ろから引っ張られてる感じ。 でもそれに負けちゃダメなんだと思う。 幸せになっていいんだよ。 その感覚を持ってしまって前に進めないと、それを飛び越えて行く人のこと、どこか羨ましくて応援できないの。いいないいな、ってやっかむの。 ひどいと足引っ張るの。 もう、幸せになっちゃい

          幸せになって、いいんだよ

          35歳、反抗期。

          あー、もーーー、ほんっと恥ずかしい。 恥ずかしいけど、これが私の現状だよ、って認めて受け入れるために書いてみます。 ちゃんと自分で、自分のやりたいことに手を挙げて、自分の会いたい人に声をかけて、自分のいたい場所、やりたいことを探しはじめたここ数ヶ月。 自分の力で生きること、私にもできるんじゃん。 失敗したってその方が絶対楽しいんじゃん。 それがようやく体感として分かり始めた今現在、絶賛反抗期を取り戻したみたいになってます。気持ち的に。笑 私は今まで歳ばかり大人になって、

          35歳、反抗期。

          それ、本当に必要?

          最近、単発の仕事に多く出ていました。 そこで出会う方々の、まーーーー素敵なこと! 気さくで明るくて、視野が広く仕事ができ、私のこともよく気遣ってくれて、とても優しくてコミュニケーション上手。 ただただ、「すごい」と敬服です。 ……そこでね、また私は「それに比べて私は」「周りみたいに仕事も人間関係も、上手にできないし」「呼ばなきゃよかった、って迷惑がられてたらどうしよう」って、勝手に比較して落ち込んで卑屈になったり、みんなを羨ましく思いかけて。(なんて面倒な人間なんだ)

          それ、本当に必要?

          んー、真面目に生きるの、もうよくない?

          自分でずーーーっと不思議に思っていたし、コンプレックスでもあったし、改善したいと思っていたことがあります。 それは、「なんかイマイチ地に足がついてない」ということ。 自分なりに一生懸命考えて生きている。 自分なりに一生懸命考えてこのnoteを書いている。 それは間違いないはずなのに、私が書くだいたいの記事はどこかフワフワしていて地に足がついていない感じがする。 いろいろ考えた結果、思考のみが膨らみすぎているというか……妄想に一歩踏み込みかけているというか。 そんな感じ

          んー、真面目に生きるの、もうよくない?

          強かに生きろ。

          というのは、何年か前に(心が)路頭に迷った時に占い師さんに言われた言葉です。 もはや占いでもなんでもない人生アドバイス。 昔から私は「賢く生きる」みたいなことが苦手で、まして「強か」なんてとんでもない……って思っていました。 それを聞いた時も、全然受け入れられなかったな。 なんというか、「強か」って、周りを蹴落としたり、出し抜いたり、正々堂々としてない生き方のイメージがあったんですよ。 でも最近いろんなことを経験して、自分なりに考えて行動して…… いや、結構大事なのでは

          強かに生きろ。

          なぜ、「生きててごめんなさい思考」になってしまったのかって話

          ひとつ前の記事でも、それ以前にも、何度か「生きててごめんなさい思考」があるのは書いたのですが…… なんでそうなっちゃったのかな、そしてなんで抜け出せなかったのかな、っていうことを整理してみます。 【実家で】 ・褒められなかったから。 ・いつも、誰かと比べられていたから。 ・周りのような「すごい人」にならなければ、愛される価値は、ここにいていい価値はないのだと思ってしまったから。 ・両親の仲が悪く、存在していいと思えなかったから。 などなど…… 【自分の心理】 ・「自信のな

          なぜ、「生きててごめんなさい思考」になってしまったのかって話

          正しい自信と、トライ&エラーと

          私は長年、自己肯定感など持ち合わせていない、自分に自信のない人間でした。 でも最近いろんなことがあって、いろんな人と関わって、凹んで学んで、だけど進むしかなくて……みたいな日々を過ごした中で、 「いや、私頑張ってるじゃん」 「失敗から、ちゃんと学んで復活してる。それって成長じゃない?」 「今までみたいに卑屈になって閉じこもって……ってしてない。やるじゃん」 そんなふうに思ったりもして、ちょっとずつ自分に自信もついてきた。 そうしているうちに、「正しい自信や自己肯定感が

          正しい自信と、トライ&エラーと

          「生き方」のレッスンを受けたみたい、っていう話

          好きな人にフラれそうな気配を感じて、「自分改革しなきゃ」って人生1、2を争うレベルで必死になって試行錯誤した去年の冬。 案の定フラれて、でも自分改革をやめちゃダメ、尊敬していた彼の「生きるスタンス」みたいなもの、私も1㎜でもいいから見習うんだ、ってもがいたその後。 気がついたらもう2月も下旬でした。 多分それらの影響の延長なんだけれど、最近ちょっと頑張ったよ。 ▫️勇気を出して、会いたい人に「お会いしたいです」って連絡した。 ▫️勇気を出して、「その仕事、私やりたいです

          「生き方」のレッスンを受けたみたい、っていう話

          自分で、選ぶ。

          今日は早起きして、往復40分歩いて神社へ行ってお参りして、帰ってきて朝ごはんにフレンチトーストを作りました。いい休日! さて、引き続き絶賛婚活中の私ですが、なんか婚活って人生そのものに通ずることかもしれないよなぁ、なんて思ったりしています。 今、素敵だなぁと思っている方が2人いて、でもそのお二人は年齢も性格もバックグラウンドもものすごく違って。 この人のいいところ、あの人のいいところ。 全部取りなんてできなくて、その中で自分は何を選択し、あるいは選択しないで、どう生きる

          自分で、選ぶ。

          大丈夫。私がわたしを全肯定するから、だからいいの

          本当は、いつだって怖い。 某呪いの漫画じゃないけど、生きてていいって思えたことがあんまりなくて、誰かに必要とされたくて。 だけど、誰もわたしのことなんて必要としてくれないんじゃないかって。 必要だって言って欲しくて、この世界に生きてていい理由が欲しくて、生まれてきたことが間違いじゃなかったんだって思いたくて、誰かに、何かに、縋るように存在してた。 自分の足元が不安定で、心許なくて。 でも、誰かに必要とされなくたって、例えいらないって言われたって、別にもう、いい。 生き

          大丈夫。私がわたしを全肯定するから、だからいいの

          悔しいけど、自分のカラーを突きつけられた感じというか

          先日、「二人並んで順番に自己PRをする」という機会がありました。 その時ご一緒した方が、あまりにも私と真逆なタイプの方で笑っちゃった。 彼女は、明るく元気でお話し上手で、「ザ・ハキハキした人」という感じ。 かたや私は、おっとりのんびり、穏やか系で声も小さめ。 これ、仕事のオーディションだったので、まーーーーー完敗です。 私はこれ系の仕事に向いてないな、って確信したし、でも悔しさもあって。 だけどそこにもう、しがみつかないでおこうって思ったんです。 いや、本当、めっち

          悔しいけど、自分のカラーを突きつけられた感じというか