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「なぜなぜ」を5回繰り返しても真因はわからない。(アドラー心理学と問題解決)

フロイトやユングと並び「心理学の三大巨頭」と言われ、

「道はひらける」「人を動かす」(カーネギー)
「7つの習慣」(コヴィー)

など、私も何度も読んだことのある名著に多大な影響を及ぼし、

精神科医ながら、アウシュビッツ強制収容所に収監され、
奇跡的に生き延びた体験をもとに著した

『夜と霧』(こちらも名著)

の著者として知られるヴィクトール・フランクルが師と仰ぐアルフレッド・アドラー (1870-1937)という人物がいます。

そのアドラーのエッセンスを物語形式で書いた「嫌われる勇気」(2013)というベストセラーがあります。

なんとなく読む機会がなく、現在に至っておりましたが、先日たまたまNHKの「100分で名著」で再放送されているのを見て、改めて興味を持ったのが今回のコラムを書いたきっかけです。

▼NHK 100 de名著「アドラー」


まだまだ関連書をいくつか読んだ段階ですが、初めは親交のあったフロイトとアドラーが袂をわかつ要因になった決定的な考え方の違いがあります。

まずは、それについて考察しましょう。


●「原因論」と「結果論」

フロイトは悩みの原因を、過去に遡って考える「原因論」的な立場を取ります。

一方アドラーは「目的論」的なアプローチを取るところに、両者のスタンスの違いがあります。

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(引用)
「アドラー心理学の特徴は、「すべての悩みは対人関係の悩みである」とした上で、フロイト的な原因論を根底から覆す「目的論」の立場をとるところにある。

たとえば、「子どものころに虐待を受けたから、社会でうまくやっていけない」と考えるのがフロイト的な原因論であるのに対し、アドラー的な目的論では「社会に出て他者と関係を築きたくないから、子どものころに虐待を受けた記憶を持ち出す」と考える。

つまりアドラーによれば、人は過去の「原因」によって突き動かされるのではなく、いまの「目的」に沿って生きている。」

http://book.diamond.ne.jp/kirawareruyuki/aboutadler/

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別にどっちが決定的に間違っているとも思いませんが、アドラーの目的論は、これまでの常識にくらべてあまり一般的ではない分

「なるほど」

と思わせるものがあります。

特に

「悩みを解決する」

という視点から見た場合、過去のトラウマを云々するには結構大変そうですが、

その人の「目的」に着目し

「それを達成するには別のやり方もある」

ということに気づけば、クリエイティブな解決法が出てきやすい印象を受けます。

で、実は私がワークショップでよくやっている

「ジレンマ解決型の問題解決」

にすでにビルトインされている考え方なのだと改めて気づいたのです。


●すべては対人関係=ジレンマ

アドラーは「すべての人の悩みは対人関係」と喝破しますが、これは言い方を変えれば、

対人関係において、

「理想」(本当はこうであってほしい状態)
「現実」(理想とはかけ離れた状態)

が存在していることを示しています。

ギャップがあるからこそ悩むわけですが、「現実」からその理由を探ろうとするとどうしても「原因論」に走りがちです。

例えば、こちらのコラムをご覧ください。

▼小学生の答案をバツにしてしまった先生のジレンマ


まだ教えていない掛け算を使った生徒の回答を「X」にした先生の”現実”をベースに、他人が「なぜ」「なぜ」「なぜ」を繰り返すと自然に

「原因論」

になってしまいます。

もちろん質問攻めにあった先生は

「自分は責められている(尋問されている)」

と感じるでしょう。

トヨタ式問題解決では「why ×5回」で真因を探れとよく言ったりするのですが、これは工場で不良品が起こった原因を導き出すような機械的な問題には大変有効な一方、

人間の心理が絡む問題解決については、あまり得意ではありません。

というのは、”なぜなぜ式”問題解決は、原因論に引っ張られやすい欠点があるからです。(その意味ではフロイト的な解決策には向くかも知れません)

特に、自分が相手を批判的に見ている場合、「なぜなぜ」にはバイアスがかかります。

で、結局は

「お前がやる気のないのが悪い」

的な予定調和といいますか、決めつけ的な「なぜ」を導き出してしまいがちです。

このように「人のせい(人の性格)」に原因を求める問題解決は成功しませんし、むしろ反発を招きます。

また原因を人の性格に求めるのですから、解決策として「その人の人格を変える」形のアプローチに陥りがちです。


●「原因論」→「目的論」に切り替える

これに対し、アドラーの提唱する目的論に切り替えると、その人の本心が見えやすくなります。

つまり

「Why」(なぜ)ではなく
「What for」(何のために)

を明らかにする。

先ほどの例でいえば、

まだ教えていない掛け算を使った生徒の回答を「X」にした先生に、「なぜ」を問うのではなく、「なんのために」を聞いた方が、よっぽど本心が分かるということです。

彼(彼女)は、その本人なりに合理的な目的があった、だからその行動をとったと考え、そこを見極めようとするわけです。

で、面白いのは、その目的を達成するために本人がとった手段は、経験則による思い込みの要素がかなりあって、

そのことに本人すら気づいていないことがあるということ。

だから、本人も納得する「目的」に基づいて、その目的を達成するためには
別のアプローチもあることを提案するのですから、本人も納得しやすいでしょう。(別に目的は変えないのですから)

。。。上記は一例ですが、アドラーと問題解決については、今後もう少し考察したいと思います。

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