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病気との闘い㉒生死を彷徨った時の夢 その2

みなさん、こんにちは!こんばんは!おはよう!


ふたつの痛みの病に侵され、痛みに呪われたflutist_umakoです。


さて前回は私が2007年5月に起こした重症肺炎のお話を順を追って話しました。

さて、今回はお待ちかねの、


「人は生死を彷徨う時本当に三途の川を見るのか?」


についてです。



どこまで覚えていて、いつから記憶してるの?


以前もお話しましたが、私は休学中のECT治療により、逆行性健忘と、前向性健忘を持ち合わせているので、正直よく覚えていません。


倒れたその日私が図書館に行っていたことですらすっぽり抜け落ちています。


その後は挿管され鎮静されていたから、ICUにいた時の事は全くもって覚えていません。

ただ、まだ幻聴や幻覚に悩まされた時の事はうっすらと覚えています。

多分、点滴の落ちるのを見てか、幻覚で、母に足の上の空間を指さしながら、


「お母さんあそこキラキラしてるね~」


と、ろれつが回らず、さらに挿管チューブを無理やり抜去したため声帯が傷ついて嗄声(させい)になりながら言っていたのは夢か現実か覚えています。


私の記憶がクリアになったのはIUCを出て3~5日してからで、母に、



「お母さん、良い鼻をつけてもらったね」



と言った事です。

「良い花」ではなく「良い鼻」、いったいどういう意味なんでしょう?

でも、私の中では続いたお話の延長上にあった発言だったのです。


どうですか?この意味、気になってきたでしょう?



私が生死を彷徨っていた時の夢・上


前回の記事に書いたように私は挿管されていて、チューブや点滴を抜去しないためいつもの姿勢ではない体勢で寝かされ鎮静され、さらに手には医療用ミトンをつけられ、拘束されていたそうです。

そんな苦しくて痛くて仕方がない時に見た夢は、なぜかドクターヘリに乗せられているところから始まりました。

私の主治医のいる病院には実際にドクターヘリがあったことから、救急車で搬送されている時の想いなのでしょうか?


夢とは絶対変なもの。


だから、ただのドクターヘリのはずなのにその中は建物の様に広く、私は救命救急から手術室に運ばれていきました。

何の手術?

確か足の手術でしたが、そこへ来たのは皮膚科兼、美容整形の悪徳医師でした。

その医師はいわゆるサイコパスと呼ばれる類の医師で、私にとっては中学の時の医師を彷彿とさせるような横柄で、一旦怒らせてしまったら収拾のつかないような人でした。


中学時代の思い出と入り混じったのか私の手術は失敗。

しかし、悪徳医師は認めませんでした。

それどころか、私の家族を人質に、



「お前がガタガタ言うなら家族をぐちゃぐちゃにすることなど私にとっては朝飯前だ」



と、私に迫ってきました。




私が生死を彷徨っていた時の夢・中


私は自分が病棟のベッドに横たわっているのをどこか違う視点から見ていました。

そして、その悪徳医師が陰で手術の失敗を認めているのも聞いていました。


私は悪徳医師に手術の失敗を詰め寄りましたが(私は意識がない状態なのに誰が詰め寄ったのか...)、彼は激怒するだけで手術の失敗を認めませんでした。

そしてセカンドオピニオンを求めると彼の怒りは頂点に達しました。

私の父は彼に捕えられ、母も同じく連れられて、しばらくの間(1週間くらい)私の前から姿を消してしまいました。


痛みだったのか、苦しかったのか、とにかく私はしんどくてたまらない日々を過ごしていました。

不潔な病院内で手術の傷口から感染症を起こして高熱でうなされている時、本当に久しぶりかの様に父と母が私の前に姿を現しました。

その姿を見た私は絶句しました。


なんと私の父は両足を切断され、車いすに乗っていました。

そんな父の車いすを押す母の顔は以前の優しい顔ではなく、顔の皮をはがされ、鼻を切除されていました...!!



私が生死を彷徨っていた時の夢・下


両親への酷く、残酷な姿に私は父の顔も母の顔も見られないまま泣いていました。

そんな私を天井か空かどこかで見ている本当の私は、感染症の治療も受けられず、日々衰弱し、痛い・苦しいが分からない状態、つまり意識がなくなっていました。



...そして私の心臓は鼓動が止まり、私は死にました。



私はようやく痛みや苦しみから解放されました。


気づくと病院内だった景色はがらりと変わり、ニュージーランドのとてもとてもきれいな湖に私はいました。


大好きな従姉妹の住むニュージーランドには以前から行ってみたかったのですが、この時の私はすでに骸の状態でした。

私は大好きな家族や、叔父叔母、従姉妹に讃美歌を歌ってもらいながら、その遺灰は美しい湖に散骨されました。


ここでもおかしな事に、私は死んでいるのにどこかからその風景を見ているのです。


私の身体がすべて湖に散ったその時でこの夢は終わりました。

三途の川ならぬ、三途の湖でした。



終わりに


私の目が覚めた時、私が母の鼻を触りながら言った、


「お母さん、良い鼻つけてもらったね」


は、この夢を見たからで、私にとっては現実だと思っていた夢の続きがその時だったのです。


私の状態が安定すると父は仕事のために山梨に帰りました。

しかし、母がいくら、


「umaちゃんはICU症候群っていう夢を見ていたんだよ」


と説明しても、私の中では父は両足を切断されているから納得できず、


「お父さんは義足がまだできないから私のところ(病院)に来ないのだ」


と、本気で何日もそう信じていました。


今だから笑ってこの話ができますが、家族や周囲の人を心配させてしまうのはもうこりごりです。

...なんて言って実は私この何年か後にまた重症肺炎で倒れたのですが。

その話は今度ここに書き留めたいと思います。


私の命を張った検証「人は死ぬとき本当に三途の川を見るのか?」の答えは、


私の場合は三途の川ではなく三途の湖だった。


という事です。

ではまた。

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