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バスビー・バークレーのミュージカルは説話に寄与しない――マーヴィン・ルロイ監督『ゴールド・ディガース』(Gold Diggers of 1933,1933)

 1933年当時、まだ人々にとって生々しい記憶であり人によっては現在の苦難である大恐慌の影響で、多くの劇場は閉鎖を強いられる。かつては栄光に浴した3人の女性もまた、安アパートで厳しい生活を送らざるをえない。ここでは観客と呼ばれるスクリーンを見つめたであろう人々とスクリーンの中の登場人物とは、同じ現実を生きているかのようだ。とはいえそれはさしたる問題ではない。「良識派」というより、ショーガールへの偏見を持つ上流階級の男性をあっけなく改心させものにしてみせる女性たちのパワフルさというべきものも、やはりさしたる問題ではない。やはり何より重要なのは、バスビー・バークレーBusby Berkeleyがその手腕を発揮したミュージカルパートであろう。


 短くなった煙草を男が捨てようとする。女はそれをとめて自分の煙草の火を点けて男にくわえさせてやる。そのように始まる映画の掉尾を飾る“Remember My Forgotten Man”は、その圧倒的なまでの視覚的強烈さゆえにわれわれは目を離すことができないが、物語るという点においては、すでに3人の女性はそれぞれ上流階級の男性と結ばれており、これ以上語るべきことなど持ってはいない。だから、最後のミュージカルパートが始まる前にエンドマークが打たれても、物語上はいささかの問題もないはずなのだ。
 映画が音声を得たとき、映画は物語るという行為のあり方を変えた。つまり、サイレント映画までは、物語るという行為のほぼすべてを視覚的情報に依拠していたがゆえに、画面に造形的な特異性を持たせることも少なくはなかった。視覚的な強烈さによって瞳に訴えかけるという手段を取ったのである。しかし音声を得たことで、視覚的な強烈さは影をひそめ、効率的な画面の連鎖により物語る方向に舵を切ることになった。映画は音声を得て間もないころ、たとえばセルゲイ・M・エイゼンシュテインSergei M Eisenstein的なものとデヴィッド・ウォーク・グリフィスDavid Wark Griffith的なものとの二者択一があるとするならば、グリフィス的なものを選んだといえるかもしれない。


 話を戻そう。いずれにせよ、バスビー・バークレーのミュージカルパートは、効率的に物語ろうとするトーキー映画初期のあり方――特に30年代アメリカ映画のあり方とはやや異なる場所に位置づけられるように思う。バスビー・バークレーのミュージカルパートは、あってもなくても、物語るという行為においてはさしたる意味を持ってはいない。だが同時に、これはバスビー・バークレーのミュージカルパートが魅力的でないことをいささかも意味してはいない。バークレーショットをはじめとするバークレーのミュージカルは、舞台では決して再現できない視点の独自さによって今なお特別な位置に存在しており、たとえばティム・バートンTim Burton監督の『ダンボ』(Dumbo,2019)といった作品までその残響をとどめているが、バークレーが60年代末に再評価の対象となったのは、映画が視覚的スペクタクル化にふたたび舵を切り始めたころに重なっている。そして同じとき、ヘイズ・コードが廃止されることとなる。バスビー・バークレーがその注目を集めた初期がプレ=コードの時期であり、再び注目を集めることになったのがコード廃止後であるというのは、きわめて意味深長な事態というべきかもしれないが、今はそれを語ることなく、この文章を終えたいと思う。


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