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今日も『next to normal』振り返り。(注!内容に触れています!)

今年も顔を出してくれたクロッカスを眺めながら、『next to normal』のことを考えています。

観劇直後は、ナタリーサイドで考えることが多くnoteにもつづりましたが、少し時間が経って、思うところも出てきました。今日は、そのことを。

ダイアナは、ドクターとの診察の中で自分について話をしていました。確か、幸せだった瞬間について質問されて、過去を振り返る場面だったかと。ダイアナは、大学で建築を学び将来のキャリアを見据えていた。ダンとは同じ建築を学ぶ学生で恋人同士だったけれど、当時を振り返るダイアナから、私には、ダンとの結婚や家庭を築くことに消極的というか、何も決めていない感じに見えました。しかし、妊娠がきっかけとなり、ダンからのプロポーズを受け、少しずつ自分の思い描く人生プランが現実とズレていって、それでも懸命に自分を納得させながら生きてきた。授かった息子を育むことに、諦めたキャリアを重ね合わせ、心の支えにしていた。それなのに、その息子をも失う。後に、娘を授かっても抱くことができなかったと語るダイアナ。息子の代わりはいない。私の息子は私の中にしかいない。ダイアナが、自分の内側へ内側へ向かう中で、ダンは、ダイアナと共に過去にも未来にも向き合えず時間が過ぎたんだな、と感じました。家を何軒か建てた話もしていたし、家族という形式を維持すること、働くこと稼ぐことが最優先だったのだろう、と。ダンがナタリーに結構酷いことを言っていたのも印象的でした。(ママを支えよう、お前の気持ちはどうでもいい、みたいな台詞)

『next to normal』を通して、噛み合わなくなった家族がそれぞれの光を見出すまでを現実的な世界として感じました。ただし、単純に希望の光と言い切れないところも感じて、繰り返し作品について考えてしまいます。

あのラストシーンの後、ダンとゲイブはどのように心が解放されていくのだろうか。ダンは治療やナタリーの支えがあるけれど、ゲイブは、、、。ゲイブは、ダイアナやダンによって創造された存在で、ゲイブ自身の意思はあっても、(劇中はゲイブの強い意思が存在していた)ダイアナやダンの心の持ちようでその存在も変容するだろうし、生きている側が救われるだけでは「救い」にはならないだろうし。本当に、舞台で観たその先を考えさせられます。

東京公演も残りわずかとなりました。最終の地愛知まで、どうか無事に公演が続きますように。そして、気が早いですが再々演があることも願っています。

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