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種子島のはなし・その2

2日目。
昨日から、どうも明日は風が強く波が高くなりそうだと言われていたものの、いやいや、みんな遠くから来たんだからちょっとくらい船に乗せてくれとひっそり思っていた。なのに朝起きて外に出たら何やら台風の前のような横向きの風が・・・。次第にこれはちょっと、と素人にも思えるような強風になって雨も時折降るようになってしまった。

雨はまだしも風が強いと漁船は出ない。

種子島で漁船?
と思われるかもしれないが・・・トビウオ漁ではないです(笑)

今回の旅のメイン・イベントは何と言っても種子島で漁船に乗って馬毛島を周回する!ということだった。みんなそのために遠くから集まってきたのだ。

なのに敢えなく強風の前に欠航・・・😭
種子島の和田さん曰く、船長一人だったら漁に出たかもしれないけど、お客さんを何人も乗せてこの強風の中は行けないだろうと言うことでした。もちろんその通りです。知床の事故なども頭によぎる。

でも、、、残念!

今日しか予定的に船に乗れない人もいて申し訳なかったけど、鹿児島に戻る私のフェリーは明日の午後3時なのでひょっとしたら翌朝に乗れるかも!と一途の光にすがる私。(結論から言うとその翌日はもっと海が荒れると言うことで乗れませんでした😭😭)

自衛隊基地の建設地候補となっている馬毛島。(*注:反対運動は激しく、まだ建設は容認されていません)もう一般人の上陸は禁止されている上、漁船が停泊・着岸しやすくするため一部で浚渫工事が始まっている。浚渫工事とは安全な海の道を作るために浚渫船という船を使って海底の土砂をすくい取る工事のこと。そのために漁船は周囲を回って少し近づくくらいしかできない。この先、万が一基地建設が容認でもされたりしたら、周囲を回ることも容易にできなくなるかもしれないので今回は本当に残念だった・・・

ニューヨークに住む私と秀子さんが「馬毛島に行ってみたいよねー」「前後に奄美にも行きたい」と勝手に盛り上がって決めた今回の旅。沖縄の名護からダイビングやカヌーチームとして活躍している小野寺さんが加わって”わーい”となっていたら、あれよあれよという間に6人に増えた乗船メンバー。一同がっくしだったけど、ここは気を持ち直していざ種子島ツアーに!

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まるで台風のような強風

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まずは近くの戦艦大和が沈没したところが見えるらしいView Pointに。と言っても遥か彼方なので・・・

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何も見えない

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付近にはこんな石碑もあった。戦争と共に発展しようと言ってるのかどうかよく意図がわからないけれど、こんな石碑も建っている。地域の有名な方々や有力者が資金を投じあって建てられたそう。火縄銃と宇宙センターを結びつけたい気持ちはわかるが。

それから馬毛島に近いと思われる場所に連れて行ってもらった。曇っていてよく見えないけれどここから大体12キロくらいの位置にあって、写真からはわかりにくいが海岸線はそこそこ長く見える。ウィキによると16.5km、面積は8.20㎢。真ん中あたりにぽこっとした山ようなものが見える。高さ71m。基地が建設される場合にはここを削って平らにするそうだ。

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馬毛島と種子島は兄弟の島で、トビウオ漁で栄えた最盛期には小・中学校も建設されて種子島から馬毛島への定期便も出ていたそう。学校は今もそのまま残っている。船の技術が進歩して種子島から約20分で行けるようになると馬毛島のトビウオ漁舎の拠点があまり必要なくなり、その他の農業も水源が乏しい環境でうまく発展せず次第に人口が減っていったらしい。

馬毛島のほとんどは民有地で、レジャー施設や国の石油備蓄基地の建設計画のために多くが民間企業に買収されたけれども、島の開発計画は頓挫して進まなかった。

防衛庁の名前が出てくるのはその後の1983年ごろ。

かつて島をほとんど丸ごと買収した平和相互銀行(現在は住友銀行に救済合併されている)に大物右翼活動家の豊田一夫氏が馬毛島の土地を自衛隊の超水平レーダー用地として防衛庁に売却する話を持ちかける。そして不正経理で用意した巨額の賄賂を政界にばら撒いた。結局これは馬毛島事件として発覚。平和相互銀行は破綻している。これ以前にもきちんと届けを出さずに森林を伐採した事件、使用済み核燃料の中間貯蔵施設の建設計画の浮上、約五億円もの脱税事件疑惑、などなど、今も島の人たちが「ヤクザのような不正なやり方で島を開発した」と怒る理由である。

馬毛島の開発の歴史は結構きな臭い。不正行為があったにも関わらず、島の森林の多くは伐採されて中央に夜間離発着訓練(NLP)を想定した十字形のでっかい飛行用滑走路も出来上がっているのである。一体、マゲシカちゃん達はどうやって暮らしたらいいのだろうか?

島外の人間である私がいうのもなんだが(しかも実は国外)、こういう開発はたいてい外部の人間によって行われる。もちろん、仲井眞とか佐喜真とか中山とか(あえて敬称なし)地元を売る奴らもいるけれど、勝手に外からやってきてああだこうだ言いながら勝手に土地を買い占めて人を追い出す。これからの時代は先住民族の尊厳と権利を回復していかなければならないのに、現状は全く逆の方向に向かっている。

しかしながら、種子島のお刺身は美味しい。

私は京都出身でうまい魚をあまり食べて育っていない。大学生の頃、屋久島に2週間旅に来て地元の方々にものすごくお世話になり、初めて今そこで釣ってきたというカンパチのお刺身を食べて思わず感涙したことがある。種子島でもバクついていたことは言うまでもない。

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あれ、和田さんがいないよ?

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あら、こんなところに

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復活してまた熱弁を振るわれているの図

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京都人としては「おおきに」文化は見逃せない。同志よ!

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太平洋戦争時には九州海軍航空隊の基地があった

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