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【本の要約】 2023年のマイベストセラー 「リセットの習慣」 - 人との繋がりの手綱を楽しもう


リセットの習慣


2023年のMy Best Book です。

今のところ。



自律神経の専門家が書いている一冊で

メンタルおよび行動のパフォーマンスを上げることで幸福度を高める

そんなGoal地点にしっかり連れて行ってくれるような書籍です。


内容をざっくり切り分けると

・定量的な行動ベースでの改善策
・定性的な人間関係の改善策

という感じですね。


まだ未読部分を数ページ残しているのですが

この投稿では「人間関係の向き合い方」について

言い換えれば「人間関係のリセット」について

わたしなりの「噛み砕き」をしたいと思います。


✏️__________


「人間関係のリセット」と聞くと

「これまでの人間関係を断ち切る」

みたいなことを連想しがちだと思います。


「でも、そうじゃないんだよ」

ということを書いている本なので

その辺はぜひ読んでほしいと思いますが…


わたしのこれまでの経験や、失敗を踏まえると

繋がりの手綱をどう持つか

という表現が、しっくり来る気がしています。


✏️__________


わたしのnoteを読んでくださる方は

「人間関係は、深く狭くあるべきだ」

「人間関係は、広がりを持つべきだ」

に代表されるような、二元論的な思考をしない方だと想定しています。


そんなのは人によるし、場合による。

基本的には深い方がいいけど、浅いと楽なときもある。

狭くて十分と思えることもあるけど、広いといいこともある。

人それぞれに経験があり、捉え方がある。


したがって、深浅狭広の単体の是非をしても仕方なく

場面に応じて、どうするのがヘルシーなのか

再現性のある考え方や、人間関係の理とはなんなのか


そういったことをわたしたちは考え(るべきで)、あらゆる書籍はその一つの解(納得感を得やすい表現やイメージ)を伝えようとしています。


( 人は「理解」では変わらないが「納得」すると行動が変化する。私がこれまでの人生で学んだことの一つです。)


で、わたしが著者のメッセージに納得し、さらに変換したのが

繋がりの手綱の持ち方 」です。


✏️__________


まず前提として、人間関係は「 自分に主導権 」があります。

言い換えると「他者との距離感をどうするか、を決める権利」がありますね。


ただ、それに対する他者の反応は自分では決められないし

そもそも「他人から無尽蔵に影響を受けまくる」のが人間の定めかなと思います。


※「無駄に反応をしたくない(影響されたくない)」という方にはこちらの書籍もオススメです。

>> 反応しない練習


なんかこんな書き方をすると「ネガティブ」な人間関係ばかりを考えてしまいますが

(きっと書籍はその方がリーチしやすいから、そうするんだと思いますが…)

わたしは基本「陽」の性質が強いので、陽キャらしく書きます😊


というかマジメに書くと(人によっては嫌味に捉えるかもしれませんが…)

わたしが「陽キャ」か「陰キャ」なんてわからないし

そもそもそんな曖昧な話ではなくて


わたしは本当に素晴らしい友人に恵まれてきた(と思っているので)

わたし自身、自分の人間関係のことを「明るい」「誇るべきもの」と思っています。

それを「陽キャ」と呼ぶならそうでしょうし、運が良かったと言えばそれまでな気もします。


話を戻すと、わたしには大切にしたいと思える友人(人間関係)がそれなりにいますが

常にその関係が維持されているか」と言えば、そうではないです。



高校時代は


○ --- ○

これくらいの近さ(強さ)だったけど


社会人になると


○ -   -   -   -   -   -   - ○

これくらい遠くなり


また、ちょっとしたことから

○ === ○

強くつながり合う


そんなこともザラにあります。


だから「自分からわざわざ手綱を手放すことはしなくてもいいんじゃないかな?」というのがわたしの考えで

わたしが「人間関係で大事だと思うこと(大切にしたいイメージ)の一つ目」がこれです。


ちなみに、わたしにも許せない人間が何人かいて(いや、けっこういるかも?意外と根に持つタイプなので笑怖)

そういう人とは表面的には普通にしますが、自分からアクションすることはないし

相手から過去の遺産に対するアクション(謝罪または弁解)がない限り、手綱を持ち直す(距離を詰める)ことはないです。


たまに時間が怒りを鎮めてくれて、どうでもよくなることはあるけどね(笑)


✏️__________


次に、これは自戒であり、出来るなら起きてほしくないことなんですが

自分の意図しないところ(本意ではない言動)で人を傷つけ、相手の握り方をテキトーにさせてしまったり、手放させてしまう

というケース。


先ほどもちらっと書きましたが、他人の考えなんて理解はできても納得(共感)はできないことも多いです。

むしろ、理解さえしてもらえない(自分もできない)こともザラにあります。(今日えらいZARA出てくるやん)


人間が「言語」を扱うようになってから何年経ったのか知りませんが

未だに戦争をして殺し合ったり、SNSで罵倒し合っている。

愚かだけど「それが人間という生物の本質の一つ」なんだと思います。


わたしも、無性に戦いたい(人を否定したくなる)ときもあるしね。


でも、それを抑えるのが大人であり、幸せで賢い生き方であり、良い人間関係の基本だと思います。


つまり、ここで言いたいことは

それくらい人間ってわかり合う(手綱を強く握り合う)のって難しいのに、不用意な言動で相手を傷つける(手綱の握り方を変えさせてしまう)のはもったいない」ということ。


わたしも人生で「その瞬間は意図してなかったけど(良かれと思って言ったけど)その後、後悔した」と思うやっちまった言動が、今パッと思い出せるもので一つあります。

(他にも3,4個あったはずなんですが、ある一つの出来事の後悔の大きさが比べ物にならないくらい大きく…)


その出来事、もしかしたら相手はとっくに忘れているかもしれないし、その瞬間さえ気にしてなかったかもしれないんですが

仮にわたしが言われた側だったら「一生わたしのことを嫌いになるだろう」と思ってしまうので、いつか彼にあったら、そのことをお詫びしたい…

(と思ってから、かれこれ20年近くが経ちます…)


そして、これはわたしが「気づいた」からまだマシなんですが

もしかしたら、わたしが気づいていない「本意ではない手綱緩め・手綱切り」をさせてしまったこともきっとあるので

それは極力、ないようにしたいなと思います。


ただ、あくまでも「本意ではないことに限り」です。

人を傷つけない」なんて無理な話で

そこへの忖度が過ぎると「自己表現」ができなくなります。


わたしは例えば、自分のnoteの投稿を見て傷つく人がいたとしても

(理由を聞いてみないとなんとも言えませんが)基本的にはわたしの「本意の範疇」です。

それはちゃんと考えた上で言葉に変換しているし、おそらく立場の違いや認識の相違なだけなので、それは致し方ないかなと。


メンタルが弱っていると、何を見ても傷ついたりするしね。


そんなわけで、少し話が膨らんでしまいましたが

・繋がりの手綱は無駄に切らないで、その強弱や遠近さえ、楽しんでいこうね(時間の経過による移ろい、ひょんなことをきっかけに強くなる関係性、そういうのも楽しいよね)

・本意ではないところで、相手の握り方を変えさせることがないように、気をつけようね(はい。マジで気をつけます💦)

と、だいたいそんな話でした。



最後まで読んでくれてありがとうございました。


では、また✋

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