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福祉×アート 2018-2024


2018年度のこと。
漠然とアクセサリーデザイナーになりたい。
と父親に話した。

父親には、(1人で活動するよりも、会社でみんなと作業する方がいいよ。)との助言があり、B型就労支援移行所というところに配属が決まった。

B型就労移行支援所とは、
(一般企業への就職が不可能な障害を持つ方や難病を抱えている方が利用対象な作業所)のことです。

私は精神障がいを患っており、そこに配属された。いきなり、写真や美術活動を大学時にしていたのに、父親は、(アクセサリーデザイナーになりたい)ということに対して(どうしよう)と思っていたのに違いない。
それに対して困ったようで、たくさんの人に飲み会や集いで話した結果、(元気さーち)という検索エンジンができたと伺った。

(元気さーち)とは

障がい福祉の情報サービスである。

このような検索🔍エンジンがたくさんの人のおかげで出来上がった。

その中でも、私はケアハウスに住んでいるので、(日中活動)をしてほしいとのことで、(B型就労支援所)が与えられて活動していた。

B型就労支援所には、デザイン事業をしている会社がたくさんあり、タイトルである(福祉×アート)分野は、札幌市で花咲かせた。

B型就労支援所は、7年間で約10社ほど関わった。その中で、私は、自分にとっての(武器)が欲しく悩んでいたのである。

2社ほど関わって、(レジンアクセサリー)という(武器)を身につけた。
1番長くいた会社では、1年間続き、組み合わせピアスやレジンアクセサリーの基礎を学び、自由に活動させてもらった。
内容は、ハンドメイド事業だったが、コミュニティとして面白く、作業の合間を縫って卓球などさせてもらったり、仲良くしてもらった。

どこか、社長には、
私の従兄弟のおじさんのような雰囲気があり、旅行やツーリングの話もした。

楽しかった。

その他の会社は、最短でも1ヶ月から9ヶ月スパンでいかせてもらい、サッポロモノヴィレッジやチカホでも出店させてもらい、良き経験となった。

その間、Facebookやインスタグラム、Twitterでは、私の不届きが続き、どうしようもなかったことをお詫びしたい。

申し訳ないです。

SNSについても、(どうしたらいいかわからない)という悩みがあり、何回もアカウントを変えたりしていた。

ネットストーカーや付き纏いやハッキングなど、あったら怖いというのが、あり、何回もやめたり再開したりSNSについては悩んでいた。

これは、精神障がいの症状かもしれないが、メディアと格闘する毎日であった。

どうしても悩んでいることは、B型就労支援所と、学校のコミュニティとの併用ができず、苦しいというものだった。

仕事をすると、全学校のコミュニティから遅れてなくなり、友達がいなくなることが怖いという判断で何度もB型就労支援所を後にした。

今回は、そのB型就労支援を7年間経験して、学校をとったということで、私の悩みの決着は、つけている。もうB型就労支援所で働くことはないと思う。

というのは、やはり、学校の分野で社会に繋がることが(畑違い)なモノであったということを後から感じる。

福祉の分野では、繋がる大学の方はたくさんいたし、すごくお世話になっている。そこは、今いるケアハウスのメンバーの方々で、今後とも関わっていく団体であると言える。


B型就労支援所ができてから(福祉×アート)は、いけるのではないか!?
と輝きや未来をもって父親と話したこともある。

私の大学の後輩でも、陶芸分野で蔓延っていたり、活躍をしている女性や病院の、デイケアで一緒だった女性もパート社員から正社員に、出世して活躍している方もいて、人生のデザインは、それぞれである。

私の中で(畑違い)出会ったと感じるものは、やっぱり、(高校や学生時代の人たちが全部消えてしまう)と感じた。それは、やっぱり、違う社会だったと思うのである。

そんな私に(レジンアクセサリー)を教えてくれた春奈さんには、たくさんのお礼をしたい。

一からアクセサリーを教えてくれた國島さんにもありがとうと伝えたい。

この2人は、女性として、社会の中の先輩であり、綺麗な人だったので、一緒に仕事ができて楽しかった。

ありがとうございます。

逸見社長や田中社長、白石区、大通りと社会経験をありがとうございました。

たくさん、電話をかけたり、相談に乗ってくれたり、体験だけで諦めてしまう就労先も数カ所あり、大変ご迷惑をかけました。

デザインを教えてくれたベストジョイ大通りの方々。

リボンの皆さん。楽しい時間ありがとう。

きゃんびーのフレンズでは、楽しいレクレーションでコミュニュケーションを学びました。

ということで、7年にわたるB型就労支援所の活動を卒業して、

これからは、フリーのフォトグラファーとして活動するので、これからは、会社ありきの繋がりではなく、同じ町に住む人間として、仲良くしていただけたら、かなり嬉しいなぁと思っております。


なかなか
しつこいようですが、今回をもって、厚かましいご挨拶は致しませんので!!

また何かあったらよろしくお願いします!

B型就労支援の皆さん!
ありがとう!!

やっぱり学校のみんなのことを忘れてしまうことが怖い。入院をしてからというもの、学生時代の記憶が吹っ飛んだ。

それからだ。
(なんか悪いことしたっけ?)という記憶がまるでないことが続いた。

そして、また、今回入院の案内がいた。
それに関して調べていると、(こころのお薬だからこころにいる人が全てなくなる)と言う話を聞いたのだ。
それは、私にとって(前向きになりなさい)という両親の考えもあるのだが、私は、(学生時代の人たちを、忘れたくない)という気持ちが入院前にすごくでてきた。

多分、両親は、(過去のことを話して、新しい人たちを覚えようとしない)ということを話したいんだと思う。

でも、SNSでは、学校のみんなと繋がっているし、(学生依存)だと言われることもある。

はっきりいうと、(SNSをとるか)(アナログ社会をとるか)どっちかにしないといけない。

たくさん、時間の勉強をした。
(どうすれば併用できるからなぁ)

しかし、併用は、できないことがなんとなくわかった。

難しい社会であるが、SNSをとることにした。
というのは、青森県にいた頃の友達たちと繋がっていたい。高校時代の美術仲間と繋がっていたい。と言う気持ちが強くでた。

その仲間は、芸術や美術、メディアの仲間たちである。みんなどこかで生きていて、日本全国たくさんの地域に住んでいるが、みんな学校は同じだった。

東北では、東日本大震災という災害があったことをみなさんは、ご存知でしょうか。
その際に、インターネットやメディアが活躍したこと。それがないとおかしな世界になると言うこと。私はそう思う。

札幌の大学では、メディアのことを学び、近頃はメディア教育という科目も出てきて、重宝されているのは、大学の機関だけでしょうか。

かなり熱い話になるが、インターネットでしかできないことはたくさんある。
普通の人から見たら(オタク?)と言われるが、たくさん東北の方々と繋がり、日本各地のカメラ仲間、美術学生の繋がりがあるので、社会で働くことは難しいと判断した。

学生時代、すごく生活に悩んだ。
それもあり、生活についてのデザインやシステムなどを法律の面から掬い上げて、毎日過ごす時間や生活、暮らしについて、みんなで有意義になるようなことに繋げていきたいと思った。

(元気さーち)ができたのは、父親が北海道大学の教育の社会福祉ゼミ出身ときいた。
私は、弘前大学の教育のヴィジュアルデザインゼミである。

たくさん見た目やファッションで遊んで写真に撮ったが、それはヴジュアルデザインゼミの活動の一種であったと後から言える。

と言うことで、

強引に繋げてみた!!

(社会福祉ゼミ)×(ヴィジュアルデザインゼミ)=(元気さーち)

ということで、7年間の勉強や仕事の成果や実績としてあげるとするならば、形に残ったものとして、(元気さーち)が実績として残ると思う!!

私は、(福祉×アート)を卒業するけど、
みなさんたくさん(元気さーち)を活用してくださいね!


7年間、ほんまにほんまにありがとう!
B型就労支援所の世界をありがとうさま!

働く人は、すごいね!

尊敬します。

オフィスルルさんもオアシスクリエイトさんもありがとう!

では、またどこかでね!

町で会ったら気軽に、声をかけてください!!

テーマは、一期一会!!

毎日が冒険!!

ありがとう〜!!

またね!


p.s 入院はあんまりしたくないものねぇ。
皆さんも体調には、お気をつけて、ご自愛ください!!
さらば!


ということで
(元気さーち)は努力のたまもの。

と言いたい。

なんとかニャる!!人生は、そう教わった。

これからはインターネットと写真頑張るんです。

仲良くしてね!

またね〜!!

p.s2
入院は、やめにしました!

あと、これは、コロナ禍の時代の活動記録簿となりました。コロナ禍時代、在宅ワーク多くてね!
(福祉×アート)は、そういった令和のコロナ禍の時代にとてつもなく、需要があり、これからも、日本の災害と付き合っていく社会だと思います。
能登半島や台湾の震災もありましたが、いつどうなるかわからないのが世界ですし、みんなで支え合って、毎日、こころの冒険するように(一期一会)、(今)と言う時間の無駄がないように過ごしましょうね!


まったねー!

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