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我が子が可愛いのは当然?娘を可愛いと思えなかった私

特に確固たる理由はないが、早く子どもが欲しいと思っていた私。
結婚も早く子どもが欲しいからしたくらいだったので、妊娠がわかったとき、本当に本当に嬉しかった。

でも生まれてみると、「あれもできない。これもできない。」「しんどい。辛い。」と我が子を足かせのように感じてしまっていた。

そんな私が「娘が生まれてきてくれてよかった!」と思えるようになるまでの記録を書いた。

妊娠を望んだ本当の理由

予定日を1週間すぎ待望の我が子に会えた喜びも束の間、退院の前日に考えていたのはこんなことだった。

「もう夜ぐっすり寝れる日は当分来ないんやな。
こんなに疲れてるのに、マッサージも岩盤浴もいけない。
リフレッシュしに、旅行にもいけないし、友達とも遊べない。
気晴らしに、アマプラで映画を見たり、アニメの一気見もできないんやなぁ。
これからはこの子のために、自分を犠牲にしないとあかんのやな。」

待望の我が子が生まれて嬉しいはずなのに、なんでネガティブなことばかり考えてしまうんだろう?

妊娠する前、私は職場の人間関係に悩んでいた。
「産休と育休がとれれば、しばらく仕事を休めるし、子どもがいたら時短勤務になる。誰がやってもいい仕事をたびたび振られるということはなくなるかも。」と思っていたこともあった。

私はこの子を利用したんじゃないか?
だから、こんな不安ばかり感じるんじゃないか?
だとしたら、最低な母親だ。母親になる資格なんてない。


そんな想いがよぎった。でも、そんなこと誰にも言えない。
「寝不足やから、そんなことを思うんや。」と見ないフリをして、退院前夜は泣きながら過ごした。

心身ともにすり減っていく日々。なぜ可愛いと思えるの?

退院してからも、育児のしんどさばかりを噛み締めていた。

昼も夜も関係なしに授乳しなきゃいけないから、1日が終わりが感じられない一方で、授乳、オムツ替え、寝かしつけに明け暮れているといつの間にか1日が過ぎている。
世間の人々は今日という1日を過ごす一方で、私は今を必死に過ごしているといつの間にか1日が過ぎている。
世の中から切り離されたように思い、孤独を感じた。

子育ては大変だと聞いてはいたし、覚悟もしていたつもりだった。
それでも子どもが欲しいと望んだはずだった。

想像の何十倍も、何百倍もしんどかった。
寝てても3時間おきに起こさなきゃいけないなんて知らなかったし、まとまって寝れないとこんなに感情がコントロールできないのも知らなかった。こんなに手を洗わないといけないなんて知らなかった。

「手を抜けることは、手を抜いたらいいよ。」と言われるけど、
育児本には赤ちゃんは免疫力が低いから、清潔にしろとも書いてある。
手を抜きたいのは山々だけど、どのくらいならサボっても赤ちゃんの健康に支障がないのかがわからない。

なんでこんなに弱々しく生まれてくるんだろう。
なんでこんなに手のかかる状態で生まれてくるんだろう。

考えても仕方がないことに怒りをぶつけるしかなかった。

そんな中親戚からお祝いの連絡がくるように。
「大変だけど、可愛いでしょ!」のオンパレード。
「我が子が可愛いと思うのは当然」と言われているような気がした。

大変だけどと言いつつも、可愛いという想いが前面に溢れ出ている親戚。
それにひきかえ、しんどいから泣かれたくないという一心で抱っこする私。

別に、憎いわけじゃない。嫌いなわけでもない。
でも、可愛いとは思えなかった。

あなたの笑顔が私を母親にしてくれた

こんな調子でこれから20年くらい続く子育てをやっていけるのかと思っていたある日、娘がほんのり微笑んでいる。

その笑顔を見たときに初めて可愛いと思った気がする。
もっと笑ってほしい、喜んでほしい。

笑ってくれたおかげでそう思えるようになった。
無償の愛どころか有償の愛な気がするが、このとき初めて「大変だけど可愛い」「この笑顔で全ての疲れが吹き飛ぶ」の真意がわかった気がした。

それから半年が経つが、娘のことを可愛いと思えないときもある。

夜取り乱したように泣き、何をしても泣き止んでくれないとき。
離乳食を全然食べないで、泣き出すとき。
目の前にいるのに、何が気に食わないのか泣き出すとき。
抱っこしてるのに泣き出すとき。

「もう!何が嫌なん!」と思ってしまうし、夜中だと口に出してしまうこともある。
「寝ない、食べない、ほっとけない」で本当に手がかかるな…とよその子を羨んでしまうこともある。

それでも朝ニコニコしながら起きて、こっちへ寄ってきてくれるとき
遠くにいても私と目が合うと微笑んでくれるとき
嬉しそうにおしゃべりしてくれるとき
「なんて可愛いんだ。」と思う。

退院前夜に考えた妊娠を望んだ理由が「仕事から逃げたいから」だったとしても、この子が生まれてきてくれて本当によかったと心の底から思う。

よく「お母さんは最初からお母さんなのではなく、だんだんお母さんになっていく」と言うが、それと同じで母性や愛情も子どもとの関わりを通じてだんだん深まっていくのだと思う。

きっと、大好きと大嫌いを繰り返しながら、親子共々成長していくのだろう。
今なら「どっちの自分も認めていいんだ」と思える。

嫌いに思ったって、ときに感情的になってしまったって、一緒に泣いてしまったって、あなた1人に振り回されるほど、向き合ってる証拠だから。

まだまだ先は長いけど、一緒に歩いて行こうね。娘ちゃん。

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