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クーリエさんの夢




 クーリエさんというひとがいた。

 クーリエさんは宣教師で、世界中を飛びまわっていた。何百人ものひとたちをキリストに導き、洗礼を授けた。誠実な、とってもよいひと。みんなが彼を尊敬していた。

 そんなクーリエさんにも、死ぬときがやってきた。天国の門に着いて、当たり前のようになかに入っていこうとしたクーリエさんを、門番の天使が止めた。

 「待ちなさい、お前の名前は名簿にない」

 クーリエさんは、信じられない気持ちで、天使を見返した。顔は蒼白になっていた。

 「まさか! わたしは宣教師で、いつもイエスのことを人々に伝えていたのですよ?」

 「そんなことは知らぬ。お前の名前など、どこにも見当たらないのだ」

 すべての希望から締めだされたかのように、天国の門が目の前で、ぎいいいっと閉じられた。門番にすがりつき、クーリエさんは必死で抗議した。この門のなかに入れなければ、行き先は地獄しかない。

 「そこまで言うのなら、大きな白い玉座に上訴しなさい。それ以外に手段はない」

 うんざりしたように、天使が言った。するとクーリエさんは、ふわりとどこかへ浮いて昇ったらしかった。それはどこよりも高い領域だった。

 水晶のような、ガラスの海が広がっている、そのなかに玉座があった。あまりに耀かしい栄光の雰囲気に、クーリエさんは気が絶えてしまいそうになった。そこにはさまざまな光に満ちていて、エメラルドのような虹がかかっていた。そのかたは、その真ん中におられた。

 正直なことを言えば、クーリエさんは玉座に座しておられる方を、見ることができなかった。そのかたの方角からは、稲妻のような、目映いものが発せられていて、そちらに目を向けでもしたら、すぐそのまま死んでしまいそうだった。そういえばクーリエさんは、もう死んでいたのだけれど。

 声がした。大海のとどろきのような、永遠の響きのする、それはまさに神の声だった。すべてを揺るがすような、それは恐ろしい声だった。

 「クーリエ、お前は嘘を付いたことがあるか?」

 じぶんは正直な男だと、クーリエさんは自負していた。十戒を守って生きる、善きクリスチャンだと。けれどその声を聞いた瞬間、クーリエさんはじぶんの罪が絡みつくのを感じた。どれだけのうっすらとした嘘を、良心の咎めも感じずに付いてきたことか。

 「クーリエ、お前は盗んだことがあるか?」

 ふたたび声がした。クーリエさんのなかで、また同じことが起きた。盗むなどもっての他だと思っていたのに、そういえば何気ないふうにみえて胡散臭い、さまざまな商売に手を出したことがあった、と。

 あまりにもまばゆい、聖なる神の前にあって、クーリエさんは自らを擁護するのを諦めた。どう足掻こうと、神の水準に達することなど、出来るはずがなかった。お縄頂戴、とでもいうかのように、クーリエさんが両手を前に差し出して、この場から引き摺りだされそうになった瞬間だった。

 「お父さま」

 後ろから声がした。やさしく、そしてクーリエさんには懐かしい声だった。確かめなくても分かっていた、そのひとの手に、釘の穴が残っていること。クーリエさんと大きな白い玉座とのあいだに、彼は颯爽と立ちはだかった。

 「たしかにクーリエは、地上で正しい生き方をしてきませんでした。クーリエは盗み、クーリエは嘘を付き、そして自らを過信していました。たしかに、クーリエは地獄に値するかもしれません」

 彼はそこまで一息に語ると、呼吸することさえ忘れ、真っ白になっているクーリエさんの方を振り向いて、微笑んだ。その目のどこかにユーモアが潜んでいるのを、クーリエさんは遠くなりかける意識のどこかで気付き、そして驚いた。

 「けれどクーリエは、地上でわたしのために立ち上がってくれたのです。わたしのために、ひとびとから笑われ、わたしのために、遠いジャングルの道をどこまでも旅してくれました」

 「だから今こそ、わたしはクーリエのために立ち上がるのです。わたしが十字架に架かって死んだのは、クーリエのためだったのですから」

 彼がそう言い終わった瞬間、無罪放免になったクーリエさんは、目を覚ました。とてもはっきりしていて、そして現実よりもほんとうらしい、ふしぎな夢だった。クーリエさんは、半世紀以上も前のひとで、もうとっくにあちらの住人になっている。

 

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