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読まずにわかる!「ウクライナ」本

読まずにわかる!「プーチンとロシア」本に続くウクライナ編

プーチン本を読んでいたところ、急にウクライナ侵攻だ。テレビやネットでは(日本で接する限りは)、プーチンの暴走でウクライナが可哀そうという論調がメイン。一方で、ロシアでは太平洋戦争中の日本のように情報操作されているという。

アメリカ軍産複合体の関与、あるいは習近平の中国の関与など、真相は事態が歴史になってみないとわからないのかもしれない。まさに「目の前で進行している歴史は最も鮮明であるはずなのに、実は最も解釈がわかれる」(J・バーンズ)のだ。そこで書いたのが 読まずにわかる!「プーチンとロシア」本です。今回は「ウクライナ」本、読まずにわかるかな?!

もちろん読めばわかるのはあたりまえなので、本を読まなくてもだいたいはわかるをめざしています!

ウクライナ本はプーチン本以前からティモシー・スナイダ―の著作を読んでいた。

「ブラッドランド」

ヨーロッパとロシアの間にある地域の悲劇。淡々と書かれる大量殺戮の歴史
これもまた人間が引き起こしたこと・・表紙写真でさえ、今のウクライナとそっくり・・・

スターリンとヒトラーの狂気が何度も往復した地域、それがロシアとドイツの間の地域、具体的にはポーランド・ベラルーシ・ウクライナ・バルト三国・ロシア西端部。この地域で1930年代から1945年の間に1400万人が実際の戦争活動ではなく殺された。

スターリンの粛清・収容所送り・飢餓政策・ポーランド分割・独ソ戦ではまずはドイツによるそして最後にはソ連による殺戮。これに双方のユダヤ人政策が深くかかわる(この地域がもっともユダヤ人が多く住んでいた地域なのだ)。それぞれ、個別の残虐な出来事としては知ってはいることでもあるが、それらが十数年の短期間に同じ地域で寄せては返す波のように人々の上に降りかかってくるとは・・・。さらに、そうした事実が、その後のこの地域のソ連化で歴史の闇の中でぼんやりとしてしまっていた。

ソ連の崩壊などもあって、綿密な史料の分析ができるようになったということなのだろう。1400万人という具体的で圧倒的な数字が示す、人間の死の歴史である。それぞれの殺戮にはどのような意図があったのか、あるいはどこからがなし崩しだったのか、それもよくわかる。ユダヤ人の苦難、ポーランド・ベラルーシ・ウクライナという双方の草刈り場となった地域の苦難、それは、100年程度で解消されるわけもない。

戦後教育でソ連としてロシア・ウクライナ・白ロシアはほぼひとくくりで語られる教育を受けてきた自分にとっては歴史の真実を知らされた思いである。そして、ソ連が崩壊して、この地域はまた不安定化しているような気もする。プーチンが現代のスターリンにならないという保証はない。(2016.6.18読了)

「秘密の戦争 共産主義と東欧の20世紀」

プーチンのロシアを批判し続ける歴史家ティモシー・スナイダ―の初期の著作が2021年末に邦訳されたもの。

彼の専門領域である東欧(旧ポーランド・リトアニア連合王国地域)史を解読する史料の中から、キエフ生まれのポーランド人芸術家・政治家・地下活動家ヘンリク・ユゼフスキの生涯を通してポーランド・ウクライナの苦難の100年を描く。

この地域(現在の国名ではポーランド・ウクライナ・ベラルーシ・リトアニア)はロシアとドイツに挟まれた地域で、ある時はロシア側から蹂躙され、ある時はドイツ側から蹂躙され、そしてしばしば挟撃されて国自体が無くなり、大量虐殺が何度も発生した地域。

ロシア・プロイセン・オーストリアの三帝国によるポーランド分割で国家そのものが消滅していた時代から始まり、第一次世界大戦で三帝国が敗れそれぞれの民族国家ができるかといえば混住がすすんでいることもありなかなかうまくいかない。そのうちボリシェビキソ連による東からの共産化のため、特にウクライナ西部をめぐってポーランドとソ連の間での紛争が続く。

結局ユゼフスキの思うようにはならずウクライナは共産化する。その後も1932・33の大飢饉などありウクライナの主導権、ポーランドの東側国境をめぐってさまざまな駆け引き(含 暴力)。

そうこうしているうちに第二次世界大戦。ナチス・ドイツの台頭でドイツとソ連によるポーランド侵攻でポーランドが再び消滅。ナチスがソ連と開戦してウクライナまでもナチスの支配下に。ソ連の反抗で次にはベルリンまでソ連軍が進撃。ウクライナ・ポーランド、みんな共産国に。もちろんすべての破壊の波の度におびただしい死者。

ユゼフスキは地下潜伏するも発見され長い囚われの生活。スターリン死去で潮目がかわり釈放される。ポーランドの「連帯」の動きが出始めた1981年に88歳で死去。その後の共産主義の崩壊を見ることはなかった。

時代時代のウクライナをめぐる工作活動の記録が延々と続き、ポーランドとロシア(のちソ連)の駆け引きの長い長い歴史の果てに、突然ヒトラーとスターリンがすべてを破壊蹂躙していく・・・。

スターリンの考え方がプーチンとそっくりなのに驚く。「スターリンは飢饉を逆手にとり、ウクライナ問題を望みどおりの方向に誘導した。何度も繰り返されたように、彼は目的を叶えるために状況を利用した。いくつかの事実を彼の政治的世界観にすり合わせ、現実の世界をその世界観にむりやり引き入れたのだ。(P177)」「スターリンは外の世界に対する独自の解釈を編みだし、そこには敵の分類と撲滅が織り込まれていた。(P182)」

記載通りのことがこの本の日本語版刊行後、日を置かずして起こったことはご存じの通り。(2022.3.3読了)

「物語 ウクライナの歴史」

20年前の本書が予測できなかった未来を眼前にして・・

2002年発刊の「物語 ウクライナの歴史」、プーチンのウクライナ侵攻のせいでだろうか再版されて売れているらしい。しかしこの本に書かれているのは1991年のソ連の崩壊にともなうウクライナの独立まで。その後の20年間に、オレンジ革命だマイダン革命だとやっていて国家としてどこか固まり切れないところがあって、そこをプーチンに付け込まれた格好だ。

その「国家として固まり切れない」という点は、ウクライナの起源であるキエフ・ルーシあたりにまでさかのぼる。黒海の北岸の広大な黒土穀倉地帯で交通の要衝でもあり、ヨーロッパから、アジアから、ビザンチン世界から、トルコからさまざまな侵略があったということはわかる。ゆえに国家が築けなかったということだろうか。

逆説的に、ソ連時代が平和で工業化もすすんだ。そしてソ連から分離して国家となったら、また混乱に逆戻りとは・・・。極東の島国の住人にはそこが不思議ではある。アゾフ大隊のような民兵組織はコサックの伝統なのか。(2022.3.19読了)

ユシチェンコ、ティモシェンコ、ヤヌコヴィッチはどうなったのか・・・?

ウクライナの脱ロシアがうまくいかず、現状ではプーチンのロシアに侵攻されている状態。脱ロシアがうまくいかなかったことの大きな理由は、やはりウクライナ人の中にある「ロシア的」なものの影響を考えるべきかなと思う。

特に、オレンジ革命後のユシチェンコティモシェンコがしりすぼみだったことは大きい。

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