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人生『どうなりたいか』ではなく『どうありたいか』も考える重要性と『中庸』のススメ

今回の記事は、

自分の人生やキャリアにおいて夢や目標がなく

息苦しい毎日を感じている

という方に読んでいただきたいです。


こんにちは。

あなたのキャリアを失敗させない

コンサルタントのタルイです。

note週一更新してます。


私たちは

「夢を叶える」「目標を達成する」

ことを良しと教えられてきました。


あなたは

「やりたいことを見つけましょう!」

先生や周りの大人たちに言われて育ちませんでしたか?


また、ご両親からも

「あなたのやりたいことをやりなさい」

言われて育ちませんでしたか?


そしてあなたは考えます。


将来はどうなりたいか?


しかし、現代はVUCAの時代です。

Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)

つまり、

だれも誰も正解がわからない時代

突入しているのに

夢や目標を持つことに

果たしてどれだけの意味が

あるのだろう?

とも考えたりはしないでしょうか?


これは

私のところにキャリア相談される方に

多い悩みです。


結論からお伝えすると…


夢を叶えようとしなくても、

大きな目標がなくても大丈夫です。


もちろん、夢や目標が叶うことは

それはそれで素晴らしいことです。


ですが、

みんながみんな

それをできるわけではありませんし

ましてや

そうするべきというわけでもありません。


夢や目標がない...

つまり『どうなりたい』がわからないという

悩みをラクにする考え方は...


●人生『どうなりたいか』だけではない

●『どうありたいか』も一緒に考えてみる

『中庸』という考え方も取り入れる


以上3つのキーワードを意識することです。


正解がわからない時代の

ライフスタイルとキャリアプランについて

一緒に考えていきましょう。


◆『どうなりたいか』VS『どうありたいか』


私があなたに

まず最初にお伝えするのは

「どうなりたいか」「どうありたいか」

しばし対立の構造になりやすいという事実です。


「どうなりたいか」を重視する生き方は

目標や夢を立てて

逆算して人生設計を立てるやり方です。



そのために

抜群の行動力や明晰な思考力をもつタイプです。

キラキラと輝いて見える人がいたら、

このタイプかもしれません。


このタイプを例えるならば

山の頂上をゴールとした時に

逆算して一歩一歩登っていく

登山家のような生き方です。

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一方で、

「どうありたいか」を重視する生き方は

夢や目標を達成することよりも

人生の日々をどのようにありたいかを

常に考えるタイプです。


キャリアよりもプライベートを大切にしたい、

自分らしくあることを大切にしたいと考えるタイプです。


あなたのまわりでリラックスして

緩やかに過ごされている方は

このタイプかもしれません。


人生の波において逆らわずに乗る感じ

これはサーファーのような生き方です。

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『転職の思考法』の著者:北野唯我さんは

どうなりたい派を「ToDo型」

どうありたい派を「Being型」

と分類しました。


また

人気Youtuberの中田敦彦さんは

この2つを

どうなりたいか派を『意識高い系』

どうありたいか派を『スローライフ系』

と分類しましました。


なかなか言い得てますよね😊


そして私は

登山家とサーファーと例えてみました...が、

ここで一緒に考えてほしいです。


登山家とサーファー


はたして

本当に対立しなければいけない関係性でしょうか?

私は海も山も

なんなら両方を楽しんでもいいと思います。


◆そして歴史はまた繰り返される


どうなりたいか派VSどうありたいか派

実はこの2元論で考え方による対立は

昔からありました。


古代ギリシャのヘレニズム哲学において

哲学者ゼノンが提唱したストア派(禁欲主義)

エピクロスが提唱したエピクロス派(快楽主義)は

対立による図式になりました。


この二派は理想を

個人の自由と幸せ

に求めた点は一緒ですが

ストア派が

理性による自己鍛錬で

徳を高めていくことが

幸せと考えました。

(ストイックの語源です)

つまり、

「どうなりたいか」重視だったのに対し


エピクロス派は

個人の健康、食事、衣服、住居、友情などの

質素な快楽のみ追求していれば幸せであると

「どうありたいか」重視を考えました。



また古代の中国において

儒教道教も考え方で対立しました。


儒教は

「仁」(人を愛すること、他者への思いやり)を

基本理念の理想とし

個人が「仁」を体現することにより

社会に秩序が保たれると考えました。

先に理想(ゴール)ありき

つまり「どうなりたいか」派です。


それに対し

道教は

「道(タオ)」と

「無為自然(むいしぜん)」を

核とした思想で

自分で何かを

作為的にするのをやめれば、

おのずと良い方向に道がひらく

としました。

作為的になろうとしない。

流れに逆らわない。

つまり「どうありたいか」派です。


また同じ儒教の教えの中にも

「朱子学」と「陽明学」

考え方の違いで対立しました。


朱子学が、

権威と秩序を重んじ

権力者に好まれた「知の学問」として

「どうなりたいか」寄りに傾倒したのに対して


陽明学

権威に盲従するのではなく、

自分の責任で行動する心の自由を唱え

「心の学問」として

「どうありたいか」寄りに傾倒していきました。


どうやら

「どうなりたいか」派はエリート志向の方に

「どうありたいか」派は大衆志向の方に

それぞれに支持される傾向にあるようです。


◆職場の評価「どうなりたいか」とは機能価値、「どうありたいか」は存在価値


どうなりたいか派と

どうありたいた派の存在は

会社の評価制度においても

変化が加えられようとしています。


コーチングやアドラー心理学の影響で

DoingBeingという考え方が浸透してきました。

その結果

Doingとはこの人は会社で

どういう風に貢献して何をしたのか?

どんな営業成績をあげたか?

という機能価値について評価する指標になります。

この場合は

Doingがどうなりたいか派を評価する指標です。


一方で

Beingとは

この人が会社にいることの在り方

共通意識や仲間との協働意識、

心構えや姿勢を評価する指標

つまり存在価値です。

この場合

Beingはどうありたいか派を評価する指標ですね。


もうお分かりの通り

いまは会社にわかりやすい数字で

機能価値として貢献するだけではなく、

まわりにハラスメントをしないで

会社の生態系を壊さない環境に優しい

存在価値も重要なのです。


◆アリストテレスは『中庸』を唱えた

私が次にお伝えしたいのは、

そもそも、この2つは対立の構造ではなく

そこに第三の解が存在するということです。


古代ギリシャの哲学者アリストテレス

魂をより良いものにするにはどうすれば良いのか?

という命題に対し

アリストテレスは

魂を「知性」と「感情」の

二つの要素に分けました。

そしてこの二つを高める必要があると考えたのです。

これがアリストテレスが考える中庸という考え方です。


知性や理性に重きを置くのは

どうなりたいか派でしたね。

そして

感情は心に重きを置くのは

どうありたいか派です。


▼中庸をイメージしやすいようにベン図を作成しました。

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どちらかに寄りすぎて考えるのではなく

両方の視点から考えましょうが

アリストテレス版中庸です。


●中庸の比重ポイントはちょうど真ん中ではない

アリストテレス版の中庸は

平均点の真ん中という意味ではないです。

VUCAな時代では不確かな「どうなりたいか」より

いまここを重視する「どうありたいか」が

重要視される傾向になりました。


よって中庸の比重としては

「どうありたいか」が大きめだとイメージしやすいでしょう。


●孔子版『中庸』との違い

儒教の開祖である孔子も中庸を唱えてますが

アリストテレスに比べて、道徳観念がプラスされてます。

つまり「仁」(人を愛すること、他者への思いやり)です。


●仏教の『中道』とも、ちょっと違う

中庸とよく似た言葉に仏教の「中道」があります。

私なりの定義の違いですが

中庸とは偏(かた)よることなく変わらないこと

つまりバランス感覚のことで

中道は物事に対して、より高い視点から客観的に観る事。

つまり目的思考のことのようです。


以上の意味も加えて中庸を再定義すると...


◆中庸とは『ワークライフバランス』のこと


中庸とは「ワークライフバランス」と

置き換えられると考えます。

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ワークライフバランスは仕事と生活を両立し

どちらも充実したものにすることです。


そもそもキャリアと生活は相互に作用していて

切り離して考えるものではありません。


自身のキャリアだけを重視して

家庭をないがしろにしてしまったり、


逆に家庭や生活ばかりを重視して、

キャリアがいい加減になってもダメです。


中庸なライフスタイルの事例としては

デュアルライフ(二拠点生活)があります。

平日は都市部で暮らして働き

週末は田舎の拠点へ移動してリラックスする。

このように

二拠点を行き来するライフスタイルは

中庸的な考え方ですね。


また、田舎に住んでリモートで働くのも

ワークライフバランス的。


多拠点に移り住みワーケーションするのも

ワークライフバランスですね。


ワークライフバランスはこのように多様化していて、

どれが唯一の正解ともいえません。

また、カスタマイゼーションしやすいことからも

VUCAな時代の考え方とも

言えるのではないでしょうか。



◆まとめ 人生で立ち止まって悩む時間は必要だけど、悩み過ぎはもったいない。


ここまでをまとめます。

●人生『どうなりたいか』だけではない

●『どうありたいか』も一緒に考えてみる

『中庸』という考え方も取り入れる


以上もって

自分の人生で夢や希望がなく

息苦しい毎日を感じている方は

ワークライフバランスの視点で

夢や目標を設定することを提唱します。


中庸でかつVUCAな時代の考え方であり

最優先に考えてプラン実行に向けて

準備することが最適と考えます。


悩むことはけして悪いことではありません。

悩むとは考えるための予備動作のようなものです。


ただ、

できるだけ立ち止まる時間は少なくして

行動に移ることは大切です。


情報社会によって

現代人が1日に受け取る情報量は

江戸時代の1年分になったそうです!


常に脳を酷使し

脳への負担が増大した結果

現代人は悩みすぎる問題をもたらしました。


ネットの世界では

極端なことを言ったり

極端なことをする人が

注目されます。


・極端な夢や目標を掲げる人

・極端にミニマリストでスローライフな生き方をする人

彼らが承認欲求を求めて発言を繰り返します。


そして極端な意見ばかりが目立つ結果

ネットの世界では中庸な考えをする人

発言を控えてしまう傾向にあるのではないだろうか?


最近になって私はこんなことを考えてます。


できれば

ワークライフバランスについて

ネットでもっと議論が盛り上がることを期待します。


ネットの世界が最盛を迎え

現代が情報社会と呼ばれて久しいですが

そろそろ終焉を迎えております。


これからは

いよいよ機械と人が共存する社会がやってきます。

※次回のnoteはこの本の読書日記を書く予定です。


ライフスタイルやキャリアについて悩みだしたら

一旦立ち止まれのサインです。

俯瞰でみてワークライフバランスを目的として

中庸を考えてみる

良い機会が到来したのだと

プラスに考えてみてはいかがでしょうか。


最後までお読みいただきありがとうございます。


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この記事は、私の記事をご紹介いただき

中庸についての考えるヒントをくれた

Akkoさんに捧げます。


トークで相談-2


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