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【考察日記】なぜ私たちは他人を責めたくなるのか?「友情」「努力」「勝利」にバイアスがかかる理由|※勧善懲悪はフィクションです。

なぜ私たちは他人を
責めてしまうのか?

その答えは「不安」だからです。


どうも読書セラピストのタルイです。


突然ですが、
あなたは子供の頃に

「悪いことをすると
 バチ(罰)が当たるよ」

と教わったことがありませんか?


私は子供の頃、
おばあちゃんにそう教わって
育ちましたが

実は大人になるまで
ずっとバチ(罰)のことを
「鉢」だと思ってまして


悪いことをすると
頭に植木鉢が降ってくるような
シュールな場面を想像してました。

こんなの。



えー、そんな私ですが
常々思っていることがあります。


「バチが当たればいいのに」



と、私が思っている「あの野郎」には
なかなか当たらないという
事実についてです。




あなたの周りの
「当たって欲しい人」
どうでしょうか?

パワハラ上司モラハラ上司
むかつく同僚
あるいはモンスター新人

はたまた
マウントとるママ友と…


彼ら、彼女らには、
なかなかバチ(罰)
当たらなくないですか?


もう先に結論を書きます。

これは「公正世界仮説」という

「良いことをした人には
 良い結果が、
 悪い事をした人には
 悪い結果がもたらされる」


と考えてしまう
心理的バイアスなんです。


つまり、

そうあって欲しい
そうでなければならないという
ただの「思い込み」です。


もうあなたも、
うっすらと勘付いている通り


世界は必ずしも
「公正」ではありません。


良い人が
必ずしも報われないように

悪い人にももれなく
バチ(罰)はあたらないのです。

さらに
これだけではないのです。

「努力は必ず報われる」
「友情は大切だ」
「正義は必ず勝つ」

これらも子供のころから
教わった価値観ですが


これらももれなく
公正世界仮説に起因した
「思い込み」なのです。



ここまでを読んで

「別に思っても良いじゃないか!
誰かに迷惑をかけるわけじゃないし!」

なんて思いませんでしたか?


確かにそうですよね。
心の中で思う分には問題ないのです。



ところが
この公正世界仮説のバイアスのせいで

あなたが被害者の方を
責めてしまっている
可能性がある
としたら…

また、他人を責めることで
あなた自身の
「自己肯定感を高めていた」 


としたらどうでしょうか?


残念ながらこれは

バイアス(思い込み)ではなく
不都合なファクト(事実)なのです。


さあ、前フリはここまでです。

ここからファクト(事実)
解明していきましょう。


◆「公正世界仮説」それは都合の良いバイアス

公正世界仮説
(Just World Hypothesis)
とは何かについて

詳しく掘り下げましょう。


公正世界仮説は、
「人々は世界が公正であると
信じたがるという仮説」
です。


まず、公正世界仮説には
2つの概念があります。


一つは人々が
正しい行いをした場合には報われ、
悪い行いをした場合には罰を受ける
という信念のことです。

例えば、
回転ずしチェーン「スシロー」での
迷惑動画が発端となり
世間を騒がせた「客テロ

一刻も早く事態が収束することと

加害者には厳罰を望む心理

これは公正世界仮説によるものです。


もう一つは、
自分が経験する出来事や状況が、
自分自身の行動や選択によって決まる
と信じることです。

つまり、
自分自身が原因である
出来事や状況に対して、

責任やコントロールを
持っているという信念です。

客テロを例にすると

「こうなってしまったのは
 被害者でもある回転寿司側にも
 管理の落ち度がある」

とも考えてしまう心理です。

「被害者にも非がある」

として公平さを信じることで
心の安定を得ているのです。



セカンドレイプと呼ばれるものも
まさに公正世界仮説によるものです。


性的暴力の被害を受けた女性が

それを警察に告訴したときに
「何か悪いことを
 したんじゃないか?」

と逆に警察に疑われたりする。

あるいはそれを友人に話したときに
「あの場所に行くべきじゃ
 なかったんじゃないの?」

と友人に言われたりする。

これはあまりにも
不条理な考えですよね。


このバイアスが無くならないのは

私たちは努力や行動の結果として
報われると信じたい、

逆に報われない人は
自己責任や不運が原因だと
信じていたい。

私たちは不確実な出来事が
自分の身に降りかかるのが
不安でしょうがないのです。


◆「勧善懲悪」はバイアスにしてフィクション

「勧善懲悪」とは、
善を勧め、悪を罰することを
意味する言葉です。

正義や道徳的な行動を奨励し、
不正や不法行為を罰することで、

社会全体がより健全で
公正なものになることを
目的としています。

ただし、現実には、
完全に善悪が分かれるわけではなく、
複雑な事情がからみ合う場合があります。

また、正義や善意にもかかわらず、
不当な扱いを受ける人々や、

法律に縛られない力を持つ人々が
いることも事実です。

「勧善懲悪」は、
しばしばフィクション作品に登場する
テーマの一つとして描かれます。

代表作はなんと言っても
「水戸黄門」でしょう。


しかし、よくよく考えてみると

もしも「水戸黄門」が 
時代劇ではなく
現代劇だったら


印籠で権力をチラつかせて
悪人を従わせるような行為は
現代的な価値観に基づいて見ると、
パワーハラスメントに
当たる可能性があります。

前:茨城県知事兼与党副代表の水戸光圀氏が視察旅行先で、現職の地方公務員(悪代官)に対し、法的根拠なく一方的にパワハラをした疑い

現代だったら
こんなニュース沙汰になりそうです。




この勧善懲悪にも
公正世界仮説に関わってきます。

勧善懲悪は
「悪は必ず罰を受け、
 善は必ず報われる」

という極端な形で表現されます。

これも公正世界仮説同様に
「最後は悪人がひどい目にあう」
と一緒なのです。


▶︎あの勝間和代さんも被害にあっていた

こちらプレジデントの記事によれば

私自身、テレビ出演をしていた数年前まで、今思うと、公正世界仮説の被害者でした。
当時はクイズ番組や教養番組、討論番組などによく呼ばれて出演していたため、知識人として取り上げられることが多かったのですが、これが「女は男よりものを知らない」と思い込んでいるステレオタイプの人たちの不興を買ってしまったのです。
https://president.jp/articles/-/57789?page=2

その結果、
勝間さんの身に何が起きたか?

「えらそう」
「性格がきつい」
「意地悪」

というバッシングの嵐です。

公正世界仮説の被害にあった
勝間さんは自身のyoutubeで
勧善懲悪についても言及してます。



さて、このつぎにお伝えするのは

公正世界仮説の色眼鏡
勧善懲悪の世界を望んでいる人は

「友情」「努力」「勝利」にも
バイアスがかかりやすく

二重にバイアスがかかる危険性が
あることです。


◆「友情」「努力」「勝利」もバイアスを引き起こす原因

https://jumputi.game.line.me/ja/

ご存じ週刊少年ジャンプ
3大要素 といえば
「友情」「努力」「勝利」です。


多くの少年ジャンプの漫画作品は、
主人公が困難な状況に直面して
友情や努力、勝利を通じて
それを克服する物語です。

先に誤解ないようにお伝えすると

「友情」「努力」「勝利」は、
これ自体がバイアス
というわけではないのです。

この3つに対する解釈や評価は、
公正世界仮説の色眼鏡をかけた状態では
バイアスが働く可能性がある
とお伝えしてます。


▶︎「友情の大切さ」は時に同調圧力を生む

友情とは相手を理解し、
尊重し、支え合うことで
形成されるものであり
公正なる人生にとっての
宝物と言えます。


がしかし、
「友情は人生の財産だ」
「友情こそ世界で一番尊い」

までいっちゃうとヤバいです。


「友情」に対するバイアスには
同調圧力」があります。

これは、
周囲の人たちが
同じように考えていると感じた場合に、

自分もその考えに
同調する傾向があることを
示しています。

これは「集団承認欲求」
と呼ばれる心理的な現象です。


例えばグループの中で
特定の考え方に
同調しない人がいる場合、

彼らは排除されたり、
攻撃されたりすることが
あるかもしれません。

これは友情の本質から外れ
公正な世界ではないことになります。



▶︎時に「努力は報われる」ものでもない

前述しましたが
「努力は必ず報われる」
公正世界仮説そのものです。


「努力」
に対するバイアスとして、
「成功者バイアス」もあります。

これは、
成功した人たちの努力や苦労を見て、

自分たちも同じように 
努力すれば成功できる

と考える傾向があることを
示しています。


よくよく考えてみれば

実際には多くの成功者たちが
環境や運などの要素によって
成功した場合もあるのだが、

自分の能力や努力だけで
成功したいと思いたいのです。

その原因は
「努力は必ず報われる」と信じたい
公正世界仮説による影響でしょう。




▶︎「正義は必ず勝つ」の正義とは?

正義や公正といった価値観を重視し、
それに基づいた行動を取ることは

社会をより良い方向に
導くことにつながる可能性が高いです。

しかし
「正義は必ず勝つ」という言葉も
やはり公正世界仮説に基づいています。

「勝者は正義を行い、
 敗者は悪事を行った」


という誤った信念です。

このバイアスにより、
勝者側は自分たちの行為や
意見を正当化します。

敗者側は「悪事を働いた」
非難されることがあります。

しかし実際には
勝利や敗北は単なる結果であり、
その結果だけで善悪や正当性を
判断することはできません。

できるわけがないのです。

公正な評価を行うには、
勝者側も敗者側も、
それぞれの行為や意見について
客観的に分析する必要があります。



以上のように、
「友情」「努力」「勝利」に対して、
人々が持つ評価や解釈には
バイアスが働く可能性があります。


以下には

もしも公正世界仮説の
色眼鏡をかけた人が

昨今の流行から
「自己肯定感を高める」
行動をとっていた場合


そのとんでもなく恐ろしい
危険性があることを警鐘します。


◆他人を責めることで自己肯定感を高める

自己を肯定することは、
精神的な健康にとって
非常に重要な要素です。

本来は自己肯定感を高めるためには、
他人からの批判やフィードバックを
積極的に受け入れて
自己改善につなげることが重要です。

公正世界仮説は
自分が成功しているのは
自分自身の努力や能力のおかげで

失敗や不幸は
運や社会的な要因によるものだ
と考える傾向があります。

このような思考パターンから
失敗や他人からの批判に対して
敏感になり、

自分自身を守るために
他人からの批判を受け入れなくなる
こともあります。

その結果、自分自身の価値観や
行動基準を強調するために
他人を責めるのです。

私たちには他人を責めることで、
自分自身を守ろうとする
本能的な傾向があると言われています。

つまり、
自分自身が何か間違いを犯した場合には
他人を責めることで自分を守り

自己防衛することができるという
心理的なメカニズムが働くのです。

これでは、
自己成長や改善をするために必要な
自己批判反省を妨げてしまうのです。


◆〈解決策〉ちゃんと「自己批判」をしよう。

私たちは自己肯定感を
持つことが大切である一方で

自己批判も必要なのです。

そのバランスが重要なのです。


「自己批判」とよく似た言葉で
「自己否定」があります。

自己否定は
自分自身を否定することです。

自己否定的な考え方は
問題解決につながらず、
かえって自己肯定感を下げる
可能性があるのです。

一方で、

自己批判は
自分自身を客観的に評価し、
改善するために反省することです。



私が今までに対話された方の中で
自己肯定感を大切にする方の多くは



「自己否定」と「自己批判」を
ごっちゃにされてます。


私たちは自身の成長のために
自分自身を客観的に見ることや、
自分自身を適度に評価することが
必要です。



また、
他人からの批判や、
自らの失敗に対して、
建設的なアプローチを
持つことも大切です。


▶︎「バチがあたればいいのに」と思う自分を批判しよう。

私も一丁前の人間なので、
ムカつく野郎は多々いますが、

公正世界仮説を知ってから
「バチ(罰)があたればいいのに」
と思うことはやめました。

その理由は意味がないからです。


やるなら堂々と
合法的にバチ(罰)を与えることが
大切です。


▶「世界は公正であれ」と思う自分を批判しよう。

この世界が
完全に公正であること
期待することは難しいです。

ですが、私たちが
自分自身や周りの人々を
より公正に扱うことで


少なくとも小さな範囲では
公正な社会を構築することはできます。

このように小単位で公正なグループが
増えることでしか世界は公正になどなり得ないです。



▶︎世界を勧善懲悪で考える自分を批判しよう。

勧善懲悪という
対立軸しか持てないのは危険です。

政治家に官僚に大企業は悪vs市民は善


もし、この善悪にはまらない
現象が起きると、

どう考えていいのかわからなり
思考が停止します。

世の中は白黒つかない
グレーゾーンが9割です。

スカッとしないのが普通です。


だからこそ
私たちがスカッとするためには
物語というフィクション
必要なんです。


イスラエルの歴史学者
ユヴァル・ノア・ハラリ

人類は社会を維持し、統合するために
フィクション(虚構)が必要である
と主張しています。


フィクションは、
国家や宗教などの
共通のストーリーを通じて
私たちをつなぎ合わせて
大きなグループを
形成することができます。


その一方でハラリは、
フィクション(虚構)に
振り回されることで
幸福を追求することができないとも
指摘しています。



▶︎自分を肯定するために自分を批判しよう。

自己肯定感と自己批判は、
密接な関係があります。

適度な自己批判を行うことで
自己肯定感が向上することがあります。

なぜならば
自己批判
を行うことで、
自分自身の課題や改善点を見つけ

それに向けた行動を
起こすことができるからです。


そして、
改善ができた場合には、
自分自身を褒めたり、
自分自身に対して肯定的な感情を
持つことができます。


▶︎真の大人になるために自分を批判しよう。

私の知りうるかぎりで
自己批判能力向上のためのお手本は
楠木健さんの「絶対悲観主義」です。

「どうせうまくいかない」
最初から自己肯定を断って
失敗を想定しながらも
「とりあえずやってみる」


この構えだと
自分自身を客観的に見つめ、
自分の感情や行動に対して
批判的な目を向けやすくなります。

自分自身が感情的になることなく、
他人との問題を
解決することができます。


つまり、大人になれるのです。


自己批判能力は大人になることに
欠かせないものであり

自己成長や
社会的なスキルを磨くためには
重要な役割を果たすのです。


大人に成長することを
止める理由など
どこにもありません。



参考文献一覧


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