君たちは今をどう生きるか

自分の人生で今が一番若いという言葉がある。
私はむしろ自分の人生で今が一番老けていると思う。

私はどこまでいっても、今しか生きることができない。
これを書いているこの瞬間も、今を生きている。

未来を思い描くことはできるが、十中八九それらは実現し得ない。
過去はすべてが事実であり、そこに嘘は混じり得ない。今の積み重ねが過去である。

私は事実に生きている。事実の中で今の私は、一番おじいちゃん。
歳を取るというのは、生きなければいけない事実が多くなるということだ。

事実に生きる私は、事実に悩まされている。

事実というのは残酷だ。そこに情けはない。

私には今年2歳になる姪っ子がいる。
姪っ子の写真や動画が時々送られてくる。
それらを見ると、自然と涙が出るようになってしまった。

ああ、この子は未来を生きている。

そしてなにより、姉夫婦も、未来を生きている。

『そして、バトンは渡された/瀬尾まいこ』という小説が大好きで、あるフレーズが心に残っている。
血の繋がらない高校生の主人公を急に育てることになった男性の言葉。

「自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって、未来が二倍以上になることだよって。明日が二つにできるなんて、すごいと思わない? 未来が倍になるなら絶対にしたいだろう」

ヒトは子孫を残すべきだと思う。それは少子化とか、ジェンダーとか、多様性とか、そういうのは置いといて、子孫を残すというのは非常に意味のあることだと思う。

子孫を残す、子どもを産むというのはいたくエゴイスティックな行為である。生まれてきた子どもに「産んでほしいなんて頼んでない」と言われてもしようがない。だけどそこに頑然とあるのは、親は子どもを産みたくて産んでいるということだと思う。
『利己的な遺伝子/リチャード・ドーキンス』にもあるように、ヒトは、生物は遺伝子レベルで利己的なのだ。

私は婚活をしている。なぜだろうか。
なんで結婚したいのだろうか。

それは、子孫を残したいからに他ならない。

もちろん相手が誰でもいいわけはない。
この人の子どもが欲しいと、二重螺旋構造が私に告げる相手である必要がある。

結婚適齢期に片足を突っ込んでいる。
現実的に考えたとき、母子ともに健康に出産することが可能な年齢があるだろう。
諸々を加味して、向こう5年がリミットだと考えている。
つまり、三十代になっても結婚していなかったら、もう諦める。

母は会う度、私に結婚を焦らせる。
母よ、すまぬ。私みたいな、自意識過剰でひねくれていて、自己愛が強くてパラノイアに苛まれる、そんな遺伝子に結婚は容易でない。

とりあえずは、姪っ子の未来を勝手に生きることで満たされている。

東京に住む私にとって、千葉に住む姪っ子はそう遠くない。
それにかまけて、なかなか会うことがない。
もっとたくさん会おうと思った。そして、姪っ子の未来も二倍以上にできるといいな。

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自分の脳内を色濃く反映していて、なんか読まれるのが恥ずかしいので有料にしました。

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