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ランニングの意味

前回の記事で、走ることについて少し書いたけど、今回は1,3年生である我が家の子どもたちとランニングすることの意義を書く。

子どもの年齢によって、伸ばす能力というのは最適なものを選ぶ必要があり、基本的に我が家の長男次男の1,3年生においては、神経を刺激するトレーニングがもっとも大事だ。

逆に言えば、単純に走るだけのトレーニングは実は、あまり効果が乏しい。
だからこそ、私が子どもランニングをする際に、意識していることがある。

手段ではなく目的としてのラン

これが一番、大事なこと。
足を速くする(目的)ために走る(手段)ことは絶対にしないことだ。
「ランニング≠手段」、「ランニング=目的」という考えだ。
走ることそのものが楽しいと思えることが大事であり、スピードは後から勝手についてくればよい。
走る楽しさというのは大人も子ども言葉で教えることは難しいけど、晴れた日に川沿いをランニングする清々しさは経験することが一番だと思う。
だから、子どもに楽しさを私が教えるのではなく、自分が体を動かしながら体感する、つまりランニングそのものを目的とすることが大事だ。

走るかどうかは本人の意思を最優先

これも、目的/手段の話と関連するが、ランニングに行く時は子どもから行きたいと言うか、私の質問に対して本人が「行く」と言うことを大前提としている。
これはランニングに限らず、サッカーの練習をする時もそうだけど、特にランニングは本人の意思を尊重するようにしている。
比較的、ランニングを好んでついてくる長男と比べて、次男がこれまで一緒にランニングしなかったのはこれが理由だ。

自己肯定感

最後に、ランニングを子どもとする意義について少しだけふれよう。
サッカーはとても不確実なスポーツで、練習をやっても実はレベルアップしたのか否かがとても曖昧で分かりにくい。
一方で、ランニングや水泳など、タイムを競うスポーツは成長のレベルの可視化が容易だ。
あまり、タイムを速くするためにプレッシャーは与えないものの、走れば程度の差はあれど、自身のタイムは相対的に速くなる。
やればできるという小さな成功体験は子どもにとって非常に大事で、ここにもランニングの副次効果があると考える。(副次的と表現したのは、タイムアップは目的ではなく、あくまで走ることそのものが目的であるから。)
同級生の仲間に速い子がいても比べる必要はないが、自身の最高速度を更新することが自信につながり、自己肯定感が高くなることは人間性の成長にとても良いはずだ。


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