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スギ花粉症について考える

今年もこの季節がやって来た

 スギ花粉症がひどい。振り返れば、小学生の頃(いまから40年ほど前)からこの症状に悩まされているので、いまあらためてどうということではないのだが、今年は(も)ひどい。

 そんなわけで、スギの生える森には近寄りたくもなかったのに、大学はなぜか農学部の森林科学科というところに入ってしまった。まあこの時点で、花粉症と森のこととは別問題、と考えていたわけであるが、この国の森のことを知っていくなかで、花粉症についても考えざるを得なくなった。なぜ、自分も含め、ここまでの国民病になってしまったのか、すこし記しておこうと思う。

花粉症はどうしてうまれたのか

 ”花粉症”といってもさまざまなものがあるようだが、わたしが悩まされてきたのは”スギ花粉”である(ほかにヒノキやブタクサ、イネ科植物などがあるようだ)。そして、日本の山にはこの”スギ”という木が多い。どうしてかというと、それは人間が山にスギの木をたくさん植えたからである。スギは元来、屋久島のように雨が多く降り、比較的、貧栄養な土地に生えるようで、本州においては四国や紀伊半島の多雨地帯、もしくは日本海側多雪地帯の限られた山地にしか生えていなかったと思われる。ところが、現在は町のすぐ裏山からけっこうな山奥まで、全国各地、いたるところにスギの林が見られるようになった。

やや見にくいが、背後にある山の8~9割はスギ・ヒノキの木だ

 では、どうしてスギの木を植えたのかというと、それは木材として利用する価値があったからだ。大きく育ったスギの木を加工して板にしたり、柱にしたりして、おもに建築物に利用する。第2次世界大戦後、焼け野原となった我が国は、人びとが再び生活を営むために家を建て、工場を建て、役所や橋や商店などを建てなければならなかった。そのためにはなにはともあれ、材木が必要だっただろう。そこで、それまでに植えられて育っていたスギやヒノキをはじめとする木々が伐採され、そのあとにはまた、それらの稚樹を植えたわけだ。また、その頃に薪炭林や草刈り場、山畑などに使われていたいわゆる「里山」がその後、利用されなくなるなかで、そうした跡地にこれらの木々が植えられたのである。

 では、どうしてほかの木ではなく、スギやヒノキが選ばれたのか。それはスギ・ヒノキが針葉樹であるから真っ直ぐ上に向かって伸び、大きくなってそれを木材に加工する際、歩留まりが良かったからだろう(板や柱にする際、無駄が少ない)。ほかの木が近くにあったりすると、光を求めて曲がって伸びる広葉樹に比べ、そのようなことなく、ただひたすら上方へ向かって通直に伸びるスギは、やはり通直な板や柱といったものを加工する際に効率がいいのだ。
 ただ、そんな針葉樹であればほかにモミ、ツガ、マツといったものがある。しかし、モミやツガは材質としてスギ・ヒノキに劣るといわれ、マツは針葉樹にもかかわらず、曲がって伸びることが多いし、特有の”ヤニ”というものが出る。そこで、木材にするために植えられる木のほとんどがスギ・ヒノキになったわけである。

 その結果、街から見える山の多くはスギ・ヒノキの人工林に変わり、さらに奥の山村地域へ行っても、その背後の山に多くあるのはスギ・ヒノキの林、ということになってしまった。かつての人たちが苗木を担ぎ、日帰りで行って帰ってこれるような場所のほとんどにスギ・ヒノキが植えられたのだ。

こちらも遠目で申し訳ないが、色がまだらでモコモコとした丸く見える木以外は
スギ・ヒノキである

 あるものが過剰に存在すれば、それに対する抵抗(アレルギー)が生まれる。スギというのは風媒花を咲かせるため(ヒノキもそう)、一本の木でつくられる花粉の量が多い。そんな木が各地に広く植えられたのだから、この国には急激にスギ花粉の量が増えただろう。CMなどでもやっていたが、スギの開花時期に風が吹くと花粉が舞ってあたりが黄色くなる。あれが全国各地、近くの山から奥の山にまで起こっているのだから相当なものだ。ちなみに、ヒノキも近年、花粉症を引き起こすことが言われているが、スギほどまでには聞こえてこない。それは、同じ花粉でもヒノキのものは表面がツルツルとしているのに対し、スギには鉤(かぎ)のようなものが付いていることと関係があるかもしれない(鼻やのどの粘膜に引っ掛かりやすい?)。

 さて、そうした森や山の現状に加え、戦後、急激に進んだ”清潔志向”が人の体の中を大きく変えてしまったようである。手洗い、うがいが推奨され、口に入るものはスーパーで売られているような”きれいな”ものへと変わっていった。畑で作られる野菜は人糞や家畜の糞で作られる肥えや堆肥から化学肥料で育つものに変わり、いわゆる”虫食い”を避けるために農薬がかけられ、雑草を生やさせないように周囲には除草剤が撒かれた。そうした”きれいなもの”を体の中に取り入れた結果、人間の体内環境はずいぶんと変わり、そのことによってさまざまなアレルギーが引き起こされるようになった、と確か寄生虫学者のカイチュウ博士こと藤田紘一郎さんは快著『笑うカイチュウ』のなかで言っておられた(その本のなかで、なんと藤田さんは花粉症にかからないためにわざわざ回虫を体の中に飼うようにしたとのことだった!)
 
 したがって、近年、急激に増えた花粉症の背景には、風によって花粉を飛ばすスギの木がこの国に大量に増えたことと、わたしたち日本人の体内環境が変わってしまったことの2つの原因があるのではないかとわたしは思っている(ほかにも、花粉が車の排気ガスの粒子と結合することでより広く拡散するようになった、とかいう新聞記事を読んだ記憶もあるが)。なので、花粉症問題の原因はけっして「スギ」にあるのではなく、わたしたち「日本人」にあることをまずはしっかりと認識するべきだ。そして、問題の解決にはスギをどうこうするのではなく、わたしたち日本人の考え方や発想を変えなければならない。

どうすればこの国民病はなくなるのか

 そこで、まずしなければならないのは、山にスギやヒノキばかりを大量に植えたことに対する反省だ。もちろん、花粉症の原因が戦後のスギ・ヒノキの植林にあるという科学的な証拠はない。しかし、各地のさまざまな森や山を見続けてきたものとして、「さすがに植え過ぎだろ・・」という感は否めないし、上述のように木材とするために植えたスギ・ヒノキがいまや、ほとんど木材として利用されなくなり、山に”放置”されてしまっている現状からして、一刻でも早くスギ・ヒノキを伐り、山にほかの木々が生えるような政策を立てるべきだと思う。

左奥の先端がとがったように見えるのがスギの木

 もちろん、伐った木が二束三文であろうとも、使えるのなら補助金を使ったりしてでもスギ・ヒノキを伐り、木材として利用する。さらに、伐ることで赤字になろうとも、集落の背後にあるような急傾斜な土地にできたスギ・ヒノキの林は強度の間伐をすべきだ。ここ最近、集中豪雨によって家の背後にある傾斜地が土砂崩れを起こし、家ごとつぶされてしまう、ということがよくあるが、それは背後が急傾斜地であるからだけでなく、そこが手入れのされていないスギ・ヒノキの人工林だからではないか、とわたしは疑っている。一度植えられたスギ・ヒノキの苗木はその後、適度に間引いて(間伐をして)やらないと過密状態になり、一本一本の木の根が十分に広がらず、根が土を保持する力が弱くなる。いま、売れない木のために林に手入れをする人はほとんどいないので、各地のスギ・ヒノキの林の多くはこうした過密状態になっているといっていいだろう。土砂崩れの背景にはこうした事情も絡んでいるのではないだろうか(最近の集中豪雨の雨量は飛び抜けているからなんとも言えないが・・)。

 もちろん、今後もこの国でスギやヒノキの木材は必要となるだろう。したがって、なにもスギ・ヒノキをすべて伐ってしまえばいい、と言っているわけではない。伐採し、搬出しやすい場所に植え、育てればいい。そうすればコストを低減して木材として利用することができる。以前のように、植えれる場所にはすべてスギ・ヒノキを植える、という発想をやめればいいだけだ。
 そうして危険な場所は間伐をしたり、木材として利用できる木々は伐採をしてスギ・ヒノキがなくなった土地は、基本的には放置し、後から生えてくる木々の成長に任せればいい。そうすれば、この国では勝手に森が再生する。そこはその土地の気候風土に合った木々が生える森になるはずだ。

 スギ花粉症に悩まされ続けて40年。そんなわたしがこの国の森について知っていくなかで、花粉症の原因や解決策について考えを巡らせるようになったのは、なんの因果か因縁か。わたしはこれから、死ぬまで森とは関わっていくだろうけど、それまでにこの病がこの世からなくなっていることはほぼないだろう。こうなれば死ぬまで付き合うしかない。この国の森林関係者のみなさま、どうか真剣に、この問題に取り組んでいただけないでしょうか!







 


 

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