【舞台観てきました】ねじまき鳥クロニクル

感想
少し前に村上春樹作の「海辺のカフカ」の舞台を観た事を思い出した。いわゆる”ハルキスト”と言える程ではないが、同氏の作品はできる限りどういう内容の作品かは把握したかった。個人的には、今日の舞台の方が好みだった。
相変わらず、性にまつわる描写を何の抵抗もなく浴びせかけてくる。現実の世界とは違う架空の世界での事とはいえ、嫌悪感を抱く人も少ないはずだ。(どちらかというと、以前は私もそうだった)

だが、それはなぜだろうか?

「だって、そんなの普通じゃない」

「非常識だ。そんなの人に言うものじゃない」

こんな風に私は感じていたし、似た様な印象をうける人もいるはずだ。
でも、それではこの村上春樹の人気を説明できない。

だからいつもとは違う考え方をしてみた。

みな、そこに正直さ・本当の醜さを見出しているのではないだろうか。
普段は隠しているが、一皮剥けば誰もが持っている渇きだったり、飢えだったりを。

「良くぞ、言ってくれた。」

「そんな願望、そんな考えを持つのは私だけではなかったのか」

そんな風に思えるから彼の作品に惹かれるのではないだろうか。
ひょっとしたら自分だけが異常で、孤独だと思っていた人に対して安堵を提供してくれる、そんな作品が多いから”ハルキスト”なる人々が沢山いるのではないか。

だから、反対に苦手だと思う人は、自分に正直になれていないからなのだろうか。綺麗事で物事を捉えたい弱い人なのだろうか。剥き出しのリアルと向き合うのが怖いからだろうか。
ただ、そんな弱さを持っている事、そしてそれを認めたがらないのもある意味で”リアル”だ。自分が長年守ってきた矜恃だったり、プライドだったりを譲れないのも人間らしさだ。

だから、きっと、最終的には単純な好みの問題なのかもしれない。

・・・あらすじ

会社を辞めて日々家事を営む「僕」と、雑誌編集者として働く妻「クミコ」の結婚生活は、それなりに平穏に過ぎていた。しかし、飼っていた猫の失跡をきっかけにバランスが少しずつ狂い始め、ある日クミコは僕に何も言わずに姿を消してしまう。僕は奇妙な人々との邂逅を経ながら、やがてクミコの失踪の裏に、彼女の兄「綿谷ノボル」の存在があることを突き止めていく。(wikipediaより)

・・・

日常が狂いだすのはいつだって突然だ。それは、小説という架空の世界の事だけではない。勿論、現実は小説ほどではないかもしれないが。

平穏。

私はこれが欲しい。

心理学者の河合隼雄に向かって「『ねじまき鳥クロニクル』を書くときにふとイメージがあったのは、やはり漱石の『門』の夫婦ですね」と述べているそうだ。
毎年夏目漱石の作品を一作は読むと決めてから、数年が経過した。今年はどうやら何を読むか決める事ができそうだ。

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