「リーダーかエリートか」というホットトピック
先日弊ボスと電話で、こんな話になった。
リーダーとエリートの違いについて考えている。ウチはリーダーが育つ会社であるべき、と言った話だった。
このリーダーとエリートの違い、というのがボスの中ではホットトピックなのだろう。
ちょうど僕もこの2年ぐらいは特に、エリート主義でもポピュリズムでもない在り方についての思案を巡らせる機会が多く、強く食いついた格好となった。
2020年の3月に書いたnoteでも少し、そうした話題に触れている。
同じくこれもガンダム作中の台詞の抜粋になるのだけれど、エリートと言うと、やはりこのフレーズが自分には、強く刻まれている。
革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激な事しかやらない
しかし革命のあとでは、気高い革命の心だって官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を退いて世捨て人になる
ここでのインテリは、そのままエリートと置き換えてもらって良いかと思う。
ガンダム作品はエリート主義の行き先とそこに慣性力を働かせ埋没させる官僚主義と大衆の有り様を痛快に描いていて、最新劇場作の「閃光のハサウェイ」もそうした要素を多分に含んだ作品となっているので、ぜひ味わって頂きたい…と、ガンダムの話をすればいくらでも話は脇に逸れてしまうのは、ここまでで我慢する。
ボスとまた別の機会でこの話題になり、自動車メーカーを例に考えた。
「EV(電気自動車)に完全に切り替えるべき」と言うに留まるならば、それはエリートであって、「いつまでに、誰がどう動いて切り替えていくのか」を現場に身を置いて格闘しながら道筋を作り上げていくのがリーダーで、というような話だった。
もちろん「EVだよねこれからは」みたいな判断は、わざわざ「エリートかリーダーか」なんて大それたテーマを持ち出すまでもなく、そこかしこで言われているものであって、実際にはあるメーカーでのより具体的な方策も交わしたやり取りだったのだけれど、それは割愛する。
さて、エリートについて、Wikiediaでも調べてみる。
エリート(フランス語: élite、英語: elite)は、社会の中で優秀とされる人間や集団。社会や集団などで、指導的、支配的な役割を受け持つ層。日本語訳は選良(せんりょう)、精鋭など
指導的、支配的な役割を受け持つ「層」。
「層」であって、「個」ではない。
なるほど、Wikipediaでの定義にのっとって考えるとするならば、ここに本質がある様にも思う。
その自らの発信は、層としての意見や代弁になっていないか、個としての血肉の通った発信になっているか。
リーダーの振る舞いを質す問いの一つと、これは言えるのかもしれない。
血肉の通った、というのは、組織も物事も、秩序と無秩序の均衡の中に成り立っているという話で、最近読んだこの本の中でも、人が拠り所とするのはルールよりもむしろ暗黙のうちにつくられた合意、そこから生まれた規範だともされていた。
秩序と無秩序の均衡をどこに置くかの妙、これがリーダーとしての決断であって、エリートの判断というのは秩序と無秩序に明確な線引をするものだ、というのが僕なりの今の、「リーダーとエリートの違い」としての解釈だ。
これまた社内でもよく取り上げられる、「判断と決断の違い」にも近い。
前者の方が、より個人の価値観や在り様に踏み込むニュアンスが強い分、あらぬ形での先鋭化を生まないための配慮は必要そうだ。
とはいえ、このテーマのおかげで、「自分事化する」とは何か、その輪郭がつかめた様な気がする。
こういった話が遠慮なく交わせる環境というのは、有り難い、とも思う。
心理的安全性の上にこそ、忌憚なく交わせるテーマ。
引き続き、思案を巡らせていきたい。
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