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韓国ウェブトゥーンのローカライズの歴史、そしてその必要性について語る

現役のPMが語るウェブトゥーン翻訳業界のお話シリーズその1


話の前に

 私は2016年3月からウェブトゥーン(以下WT)会社に入社し、WTの日本語化を担当するプロジェクトマネージャー(以下PM)として約6年間働きました。そして2021年11月に会社を辞め、同月11日にWTの日本語化だけを専門とする会社を立ち上げ、社長兼PMとして今も働き続けています。一つの会社に長く勤めていたため、他社の立場からWTのローカライズ(このエッセイでは作品の背景・人物などを日本仕様に変えることを意味します)について語るのは難しく、ここではあくまで私が聞いて、経験して、思ったことを中心にWTのローカライズの歴史や必要性について語っていきたいと思います。基本的に根拠を持って説明していくつもりですが、場合によっては私見が多く含まれていることを事前にご了承ください。そして、このエッセイではレジンコミックス時代の経験談がメインになっていますが、私はもうレジンコミックスとは無関係の人物であるため、ここで主張するすべての意見はレジンコミックスの公式の意見とは一切関係ありません

いかにしてローカライズは始まったのか

 今は昔、とある大手WT会社の社長がこうおっしゃいました(名前はあえて伏せておきます)。「スラムダンクが韓国で大ヒットしたのは、ローカライズのおかげです。背景を韓国に変えたから読者たちは登場人物を愛せたのです」と。個人的には「スラムダンクが韓国で大ヒットしたのは、面白い漫画だからなのでは?」とは思いますが、いまさら根拠を求めたところで誰も証明できないでしょう。(念のために補足しておきますが、私が以前勤務していた会社とは関係ありません)

 韓国のWTが日本に初めて配信されたとき、WTというものは日本の読者にとってあまり慣れない概念でした。パソコンやスマホで読める電子書籍はすでに存在していましたが、通常の漫画とは違い、縦長スクロール特有のコマ割りと演出、いわゆるWT形式を駆使した漫画はそれほど広く知られていなかったのです。私が初めてWT業界に足を踏み入れた時点でも状況は変わらず、日本の読者がWTを普通に受け入れ始めたのはそこまで昔の話ではありません。
 そのため、最初に述べた「スラムダンク云々」理論をもとに、WTを馴染みやすくするためにはローカライズが必須であるという意見が主流で、当時WT日本語化業界においてローカライズは常識中の常識でした。

 入社して間もない私は、先輩にどうしてローカライズをするのかについて聞いたところ、先程の説明を聞き「ある程度一理はある」と納得し、仕事を黙々と続けていきました。そして数ヶ月ぐらい経ってからもう少し詳しい話を聞くことができましたが、「馴染みやすさのために」という理由のほかにもう一つの理由があることを知りました。それはつまり、「日本の読者たちに漫画の国籍を意識させず、楽しく読ませるためにローカライズをしている」という話でした。
 予めお伝えしておきますが、私は何も「日本の読者は国籍に偏見を持っている」と言っているわけではありません。漫画大国である日本に生まれ、日本の漫画を読んできた日本人の読者にとって韓国のWTとは未知の物であり、しかも普通の漫画では見られない、縦方向にコマを奇妙に並べた訳のわからない代物だったため、慎重な人であればあるほどWTを怪しく思うのは当たり前のことだったのです。よって、読者を安心させるよう違和感を覚える要素をなるべく減らすという目的で韓国のWTはローカライズされてきたわけです。
 実際、運営チームの悩みのタネの一つとして、グーグル検索で会社名を入力すると自動的に候補で「怪しい」や「危険」という検索ワードが出てくるというものがあり、「日本の読者たちは注意深く、安全意識が高い」というのが当時の認識でした。(これは昔も今も変わりはありません)

しかし状況は変わった

 そして時は流れ、ここで思わぬ問題が発生し始めました。まずは新作の供給問題です。業界においてローカライズは不変の真理であり、日本配信の選定基準の一つとして「韓国要素が強すぎる作品は配信できない」というものがありました。それゆえ、朝鮮時代を背景とする時代劇や韓国の軍隊が主な背景の作品など、ローカライズに向いていない作品は日本での配信は望めず、作品選定の難易度が飛び上がってしまったのです。第一、原作(韓国語)の数には限りがあり、毎月新作が作られるとしてもそのうち日本向けに配信できる作品はほんの一握りしかありませんでした。そしてもう一つ。私は当時、趣味として一日もかかさず毎朝ツイッターのようなSNSで会社の評判や作品の感想などを漁っていましたが、読者たちの反応や意見が当初と少し変わってきているのに気がついたのです。最初は作品に対する感想がメインだったのですが、いつの間にか「ローカライズのクオリティーが高い。国旗を丁寧に消したり、警察の制服を日本のものに変えたりと日本の読者のために色々頑張っているようだ」みたいな意見が増えたのがわかりました。「おい、褒めてもらってるんだし、素直に喜べば?」と言われるかもしれませんが、実はそんなにシンプルな話ではありません。読者たちが作品そのものの内容より、ローカライズのクオリティーに触れるということは、先程述べた「安心させる」という戦略は今になってはもう意味を成していないと解釈できるからです。とはいえ、この段階で私が「ローカライズはやめるべき」と判断したわけではありません。(根拠にするにはまだ早かったのです)

「褒め言葉」は「批判」へと…

 私が入社して1年が経った2017年。今も語り継がれている大ヒット作「キリング・ストーキング」(以下KS)が連載スタート。2016年、レジンコミックスが開催した「世界マンガコンテスト」という大会で大賞を受賞したKSは「世界」というタイトルがついているため、作者の国籍を全面的に公開することが許された珍しい作品でした。そのためKSはローカライズされず、韓国の背景そのまま日本語化した最初のBLになりました。もちろん、KSがメガヒットを記録してからも他の作品は相変わらずローカライズされ続けました。
 しかし、ここで私はもう一つの異変に気がつきました。KSのヒットにより、SNS上においてのレジンコミックスの作品に関する言及が爆増し、ローカライズに対する「褒め言葉」は減り、「批判」が増えていったのです。
 実はというと、当時のレジンコミックスの主力ジャンルは「メンズ」、いわゆる大人の男性向け漫画であり、BLはほとんど売れず、配信もあまりしていませんでした。しかし、メンズの場合、どういうわけか作品に対する感想を書き込む読者がほとんど存在せず、無言のリツイートやいいね以外、作品に対する反応は一つの作品につき、1〜2個だと多いほうでした。ところがKSの連載以降、※BLジャンルの新連載が増え、意見を積極的に表明する読者が増え、ローカライズについて触れる読者も自然と増えたのでした。作品に対する意見が100だとすると、そのうち2割はローカライズについての話でしたが、以前よく見かけた「よくできている」という言葉はあまりなく「ローカライズのせいで話が頭に入ってこない」「みんなKSのように日本語化すればいいのに」「どうせ韓国の漫画だって知っているのに意味あるの?」「大学生が主人公だと必ず誰かしらが2年ぐらい留学に行っててウケる」という批判のコメントがいつの間にか増えていたのです。

※補足
 事実関係を確認するために、少しだけ調べて来たが(配信が終了した作品もいくつかあるため100%正確な数字ではありませんが、信頼度はかなり高いと思います)以下のような流れだった。
 1) 2017年、KS大ヒット後 レジンにてBLの配信が増え始める (以前は約80〜90作のうち2作しかなかった)
 2) 2018〜2019年にかけてBL:メンズの割合が7:3まで変化
 3) 2019年、「夜画帳」の大ヒット後、2020年はおよそ50作以上のBLが配信される

うん、やっぱローカライズやめよう

 ローカライズは普通の翻訳に比べてカロリー消耗が激しい作業です。背景や人物を日本・日本人に変えるだけでは成立しません。連載中にあまりにも韓国要素の強いエピソードが出てくると、言い訳を用意しなければならなかったし(引っ越し祝いにお隣さんにお餅を配る・主人公が突然入隊するなど)、食べ物から制服(警察など)、車のデザイン(パトカーや救急車、そしてハンドルの方向など)まで作中の色んな要素を変えなければなりませんでした。
 そんな中、KSの大ヒット・読者のローカライズに対する批判という二連鎖で、私を含め、レジンで日本語化をしていたみんながこう思いました。「うん、やっぱローカライズやめよう
 もちろん、最初からすぐやめることはできませんでした。ローカライズをしなくても問題がないという確証を得られるまでは迂闊に全工程を変えるわけにはいかなかったのです。そこで好機が訪れました。2018年、もう一度「世界マンガコンテスト」が開かれ、「手話:スファ」という作品の日本配信が決定されたのです。これはもう「世界」だからローカライズはまずいよね〜?ということで韓国の背景でそのまま配信。そして結果は…大当たり! それからは「しかし状況は変わった」にて述べた作品の供給問題を理由に「もう配信できる作品があまりないから、場合によってはローカライズを諦めよう」という流れまで持っていくことができました。

第二波、来る

 そうやってちまちまノンローカライズを試しているうちに時は流れ、2019年夏、KSに次ぐ大ヒット作が爆誕しました。その名も「夜画帳」!夜画帳は瞬く間に売れ始め、SNSなどで作品に関するコメントもまた爆発的に増えました。それからはもう「ローカライズは売り上げになんら影響がない」という認識が芽生え、「不都合がなければ、とりあえずBLはノンローカライズでOK」という体制に切り替わったのです。

 ここで私が思ったこと。
 1) ローカライズは2019年の時点ですでにその目的(馴染み・安心感)を果たし、必要なくなった。
 → ノンローカライズが主流になってからは、作品の内容以外の感想(翻訳や写植のクオリティーなど)がほとんどなくなったのがわかる。つまり、すでにWTは浸透がある程度進み、読者たちは作品そのものに集中し始めたと捉えられる。

 2) ローカライズの有無が売り上げに与える影響はほとんどない可能性が非常に高い。 → もちろん、客観的に比べられるデータは取れない。まったく同じ条件を用意して実験するのは現実的に考えて不可能に近いからだ。しかし、レジンコミックスでは全社員が売上データを閲覧できるが、当時ローカライズ作品もノンローカライズ作品も売り上げトップ10に均等に入っていることを確認した。 → もう少し掘り下げると、※2020年からはノンローカライズが主流となり、トップ10に鎮座する作品の殆どがノンローカライズ作品となった。「それはただノンローカライズの作品が増えたからなのでは?」と言われるかもしれないが、それだとレジンコミックスの売り上げが年々伸びている理由が説明できない。(売り上げの規模が大きくなったのはローカライズを捨てたから?という一次元的な解釈しかできなくなってしまう)

3) よって、読者たちのローカライズに対するヘイトが高い今、売り上げとの関係性も証明できないのに(むしろ売り上げは上々なのに)制作費と労働力を無駄に費やして、内容的になんら問題もない作品をローカライズをするのは、(少し過激な言い方ですが)もう時代遅れな行為である。

※補足
2020年は約50作前後のBLが連載され、そのうち「キャラの名前などの都合上仕方なく、もしくは最初から背景が外国」という作品を除いてローカライズの対象になった作品は15〜17作しかなかった。

 夜画帳のヒット後、ローカライズが大嫌いになった私はなんとかして止めさせたかったので、SNSでローカライズに対する反応を調べて集め、売り上げのデータも定期的に収集しました。そしてその努力が実を結んだのか、2020年からは読者の反応がいまいち分からなかったメンズ作品もローカライズしないで配信できる機会が増え、2021年からは本格的にローカライズ作業から脱却できました。

最後に

 こうは言っていますが、自分で翻訳会社を立ち上げた以上、背に腹は代えられません。クライアントのほうからどうしてもローカライズをしてほしいと言えば、我々は従うしかありません。(もちろん説得はします)しかし、ローカライズをしなくてもいい作品までするというのは今になってはもう制作費がかさむだけの無駄な仕事であることを認識してほしいです。
 個人的には一連の事件を経験して一応納得できる根拠を持ってローカライズの不必要性を述べたつもりですが、それでも全作品のローカライズを押し通すつもりでしたら、これだけは覚悟しなければなりません。

 「下手すると日本の読者を舐めていると勘違いされるかもしれないですよ?」

ボーナス:必ずしもローカライズ=悪というわけではない

 ここからはボーナスという名の蛇足です。実はローカライズが必要な作品は一定数あります。「第二波、来る」の補足で少し触れた「キャラの名前問題」がその一例です。例えば、名前自体が韓国人にしか理解できない仕様だったりすると、その作品の魅力をそのまま伝えるにはローカライズが必須不可欠になるのです。もちろん、韓国の背景をそのまま残し、キャラの名前だけエセ韓国人の名前に変えることもできますが、それだとのちのち不都合が出る可能性が経験上高かったし、翻訳のハードルだってローカライズより高くなることもありました。
 そんな作品を見極めてローカライズ有無を慎重に決定するのがWTの日本語化を担当するPMの大事な力量の一つではないでしょうか。



 今回のお話はここまでです。最後までお読みいただき、ありがとうございます!初めての投稿ですので緊張しています。できれば2〜3週に一回のペースで投稿したいと思っていますが、もし書いてほしいテーマがありましたらコメントで教えてください。知っていることでしたら色々書けるかもしれません。


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