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死者からの便り #3完

【前回までのあらすじ】死者から送られてくる図像に翻弄される多満田マチコ。それは己の欲求不満を見る鏡のようなものだった。

これはなんなのと娘に問われて、なんと答えればよかったでしょう。
「じょ……女性自身……」
「雑誌の? そんなわけないじゃない。バカなの」
親に向かってバカとはなんですバカとは……とこちらがいいかかるより早く由香はもんどり打って海老反りをキメましてね、しばらくうんうん唸ってから、ひらめいたとばかりに立ち上がってまたもや仏壇を指差しまして。仏壇には、あれ以来献立の変更された白飯とソーセージと味噌汁の仏飯が供えられている。
「これ、ママ、バゲットよ! いままで気がつかないなんて、とんだオマヌケだわ!」
白飯にソーセージなんて無粋もいいとこ、ソーセージがオカズなら主食は当然パンでしょうよ、と得意満面でいう娘でしたが、いわれてみればたしかにそうで、牛に引かれて善光寺参りとばかりに買い置きしておいたミニバゲットを籠から取ってきて白飯に代えてみたところ、たちどころに画面は暗転してことなきを得たのでした。

死後もこんなに食い意地の張るものか、なんともいぶかられるところですが、それをいうなら性的なほのめかしを二度までしてくるほうがよほど成仏し甲斐がないわけで、そうとは知らずよほどわたくしも溜まっていたものと見え、そんなことを図らずも自覚させられて、バツが悪いったらありゃしません。

そうこうするうち三度めのお告げがありまして。こんどはバゲットとソーセージが画面の中央に縦に並びましてね(バゲットが上でソーセージが下)、バゲットの切れ目にソーセージが潜り込むような塩梅となりまして、こうなってはどうあっても申し開きできません。その日はたまたま日曜日で、家にいた夫がわたくしがなんとか両手で漏れ防いだはずの悲鳴を耳ざとく聞きつけたもので、なにがどうしてどうなったと騒々しく駆けつけたものですから、画面をオフにするのも間に合わず、わたくしはただただ赤面隠して泣くばかり。どれどれと夫が覗き込んだ折もおり、一刻者の由香が遊びから帰ってきまして、二親の取り繕う暇もなく走り寄ったものですから、すかさずここで夫が「悲しみのダイブ」ならぬ「慎みのダイブ」をかまして由香の視界をさえぎるつもりが、勢いあまって襖を破って仏間を飛び出して、居間のソファーさえ飛び越えて、見えなくなったあたりから、しんと静まり返った。
「これは……」
画面に見入って愕然とする娘。死人になってもこんなものを送りつける義父こそ恨めしいが、それを年端もいかない娘の目から遠ざけられず、親としての責任をまっとうできなかったことこそ不甲斐なく、もういっそ死んでしまいたいとさえ思うのでした。
「これは、もう、海老反りするまでもないわ」
「由香ちゃん、もう、いいの。放っておきましょう」
「だって、ママ、これってすごく簡単なメッセージ……」
「いいったら、いいのよ!」
ホットドッグがどうのといいかけた由香には皆までいわさず押しのけて、足元の黒コードを引っつかんでコンセントを抜きにかかると、「ママ、それだけは、やめて!」の叫びを最後に、わたくしの耳にはあれからなんの音も届かないし、わたくしの目にはいかなる光も差すことはないし、匂いもなければ味もない、寒いも暑いも痛いもないような世界に漂って、生きているのやら死んでいるのやらよくわからないことになってしまいました。

先日、どこぞの川端の土手に腰を下ろした義父を見かけました。土手には一面、レンゲやらシロツメクサやらタンポポやらが咲き乱れておりまして。同じ白装束着た同輩のようなおふたりにはさまれて、なにやら楽しげに談笑している。……「I」と送れば、魚の切り身がソーセージに変わり、「O」と送れば白飯がバゲットに変わり、「Q」と送ればホットドッグがどうのと騒動となって、息子の家もああ見えて腰が据わらないというか、なかなか平穏無事とはいかないようで、なにが大事って平凡であること、それに加えて平凡に甘んじていられる心のおおらかさだなどと、達観したようなことをいって両脇から深々とうなずかれている。すると、右のほうからは、「うちなんかもWXYと縦に並べて送ってやったら、教育ママの嫁が孫たちを呼んで、お祖父様がアルファベットの勉強をするよういっていなさる、となって、PCの前でダブル、エックス、ワイ、ダブル、エックス、ワイ……とはじまったものだから、まったくいたずらのし甲斐もない」などと聞かれ、左のほうからは、「歳を取ったら昔話と自慢話と説教だけはするな、それをしたらますます歳が寄ると人にいわれて実践したらすっかり無口になってしまって、脳が小さくなっちゃった」などと聞かれて、この御仁、頭を振ってみせるとたしかにカラカラ乾いた音がする。三人とも楽しげにまたひとしきり笑ってから、まあ、いずれ、こんなこともじき飽きるて、と誰からともなくいって寂しげな風が三人の頭上に逆巻いたものですから、励まそうとしたものでしょうか、もうわたくしはわたくしがなにをしたいかさえわからない境地、お義父様、と上から呼びかけたつもりが、それが息の長い雲雀のさえずりとなりまして、
「やあ、揚げ雲雀ですな」
「ほんとうに」
「あのように喜びを全身で表せたなら、さぞかし爽快でしょうな」
お義父様たち三人の姿がみるみる遠ざかってはや点となり、やがてわたくしは雲を突き抜けて、ずいぶんと空気の薄いところまで一直線に舞い上がったようなんでございます。

高みから見下ろせば、下界のことなど大概はなにほどのこともございません。というわけで、書いているうち、なにを悩んであなたに打ち明けようとしたかさえわからないようになりました。

それもまた一興。近々お誘いいただければ、これ幸い。

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