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いたちごっこ

 今日の放課後なにして遊ぼうかと聞いたら、「もちろん、いたちごっこ!」といって早苗ちゃんはわたしのランドセルをポンと叩くなり駆け出した。一度こちらを振り返って、
「ほな、熊楠公園に十五時な!」
 と叫んで両腕を横に水平に伸ばすと、「キーン」といいながら早苗ちゃんはみるみる遠ざかっていった。

 帰宅するなりママに「いたちごっこって、なに?」と聞いたら、
「二人がいつまでも自分の主張を繰り返して譲らず、埒が明かなくなることよ」
「それを早苗ちゃん、熊楠公園でわたしとしたいっていうんだよね」
「うーん。じゃあ、いたちごっこって子どもの遊びが別にあるのかもね。早苗ちゃんとこ、曾おばあちゃんいるから、昔の遊びをよく知ってるじゃない」
 そういってママはスマホを取り上げて起動した。
 たしかにあやとりやアルプス一万尺を私に教えてくれたのはほかならぬ早苗ちゃんだった。でもわたしはむしろ早苗ちゃんの勘違いのほうを疑っていた。早苗ちゃんは時々とんでもない勘違いをしていることがある。こないだも、前屈みになると背中側のシャツの裾とスカートのウエストの端とのあいだが開いてサーフボードのような形で尾骶骨よりちょっと上の部分の素肌が露出する女子が学年に何人かいて、それを男子たちが陰で忍び笑いしているのを早苗ちゃんは耳聡く聞きつけたもので、
「男子も男子だけど、ぶりっ子が多いのも問題だ」
 とひとりぷりぷり怒っているものだから、
「ぶりっ子って、なに?」
 とわたしが聞くと、「ちょっと、声が大きい」と嗜めてから、そっとこう耳打ちした。
「ぶりっ子ってのは、エッチな女の子のこと。胸とかパンツとか、チラチラ露出する変態」
「じゃあ、ワカメちゃんはぶりっ子?」
「あれは違う。だってあれ、モロ見せだから。でも、注意しないでいる波平もどうかと思うよ」
 このときわたしは早苗ちゃんのぶりっ子の説明を鵜呑みにしたもので、後日、夕食のときに隣りに座る妹のお行儀が悪くてパンツがスカートの下からチラチラ見えたものだから、「そんなぶりっ子のマネはやめなよ」と注意すると、向かいのパパが目を丸くしていったのだった。
「みぃのどこがぶりっ子なんだい?」

「あったわ」
 スマホで検索していたママが、Wikipediaの「いたちごっこ」の項を読み上げる。
「いたちごっこは、江戸時代後期に流行った子供の遊び。二人一組となり、『いたちごっこ』『ねずみごっこ』と言いながら相手の手の甲を順につねっていく。両手が塞がったら一番下にある手を上に持っていき、また相手の手の甲をつねるという終わりの無い遊び」
 さすがは江戸時代後期、デカダンの匂いがぷんぷんだわね、とママは独りごちてから、
「茜と早苗ちゃんが熊楠公園で延々と手の甲をつねり合う……。なんだかちょっと物陰から見ていたいわね」
「わたし、やだよ」
「あら、どうして。なんでも経験じゃない」
「だって、きっと、早苗ちゃん、茜の甲をすごく強くつねると思う」
「そしたら、茜も強くつねり返せばいいじゃない」
「そしたら、もっともっと強くつねられると思う」
「それもそうね。それこそいたちごっこだね」
 そういって他人事のようにママは笑うのだった。

 結局わたしは十五時五分前には熊楠公園にいた。遊びに誘ってくれる友だちがほかにいないという弱みが、わたしにはまずあった。だから早苗ちゃんに不義理はできないのだ。いっぽうの早苗ちゃんはというと、時間通りに来たためしがないし、約束をすっぽかすのだってザラだった。二人でかくれんぼをしていて、二時間経っても鬼の早苗ちゃんがなかなかわたしを探しに来ないので、逆にわたしが早苗ちゃんを探し歩くことになって、もしやと思って早苗ちゃん家を訪ねたら、案の定とっくに帰宅していて夕餉の真っ最中だった! それでいて早苗ちゃんはわたしに謝りもしないで、「早く帰らないと、お家の人心配するよ」なんていうものだから、さすがにわたしは怒って金輪際絶交! と心に誓ったのだけれど、それからはずっと早苗ちゃんもわたしとは距離を取って話しかけてくれなくなって、二週間くらいしてから、何事もなかったように帰宅時に早苗ちゃんに背後からランドセルをポンっと叩かれて「放課後遊ぼうぜ」と誘われたときには、飛びあがりそうになるほどわたしは嬉しかったのだから、とことんわたしは弱みにつけ込まれているわけだった。

 早苗ちゃんは十五時半に来て、「あれ、十五時半っていったよね」と先に待っていたわたしを責めるようにいう。「いや、十五時って早苗ちゃんがいったんだよ」とわたしがいうと、「それ、早苗の中じゃ、十五時半だから。でも帰らずに待っててくれたなんて、えらいえらい」なんて、相変わらずの上から目線の言いぐさ。でも、そんな遅刻の言い訳なんかどうでも、さっきからわたしが面食らっているのは、ほかならぬ早苗ちゃんの格好なのであって、フルフェイスの獣のお面をつけて彼女は現れたのだった。イタチという動物のことを本当のところわたしはよくわかっていなくって、おそらくその被り物はイタチのそれなんだろうけど、わたしにはどうしたってぐりとぐらのどっちかにしか見えなかった。
「ところで、茜ちゃんはなんですっぴんなの?」
 獣の被り物はやけにリアルで、本物から剥いできたように見える。とりわけマズルの作りが精緻を極めていて、毛穴もそこから生える毛も本物そっくりだった。さすがに目玉はビー玉とわかるものの、その生気のなさぶりがかえって不気味さを醸し出している。そんなイタチにじっと見つめられたわたしは、答えに窮してしまった。
「いたちごっこするって、アタシ、いったよね?」
「……いった」
「じゃあ、なんでイタチの格好してこないわけ? ラーメン屋でお寿司を頼むくらいヘンだから」
「うん。……ごめん」
「もういいよ。じゃあ、あれだ、茜ちゃん、猟師をやんな。それでイタチのアタシを捕まえてみな」
 そういうが早いか、両腕を横に水平に伸ばして、タタタタタ……と早苗ちゃんは駆け出した。(なんで怒られなくちゃなんないの。いたちごっこなんか、知らないし……)さすがに腑に落ちないわたしは憮然としてその場を動かなかったが、公園の端まで駆けていったイタチもイタチで、こちらに向き直るとピタッと動かなくなった。なんなのよ、あれ……と急におかしくなって、わざと上体を前に出してフェイントをかけると、イタチはピッと反射的に背筋を伸ばしてかまえた。フェイントをかけるたびに向こうの反応するのが面白く、こちらが右足を前に出せば向こうは仰け反り、こちらが左足を前に出せば向こうは腹を抱えて屈むので、右足、左足、右足、左足、右足……と見せかけて再度左足ってな具合にステップを踏むと、仰け反り、屈み、仰け反り、屈み、仰け反りかかって……やっぱ屈むと絶妙に呼応して、こりゃたまらんといつかわたしは駆け出していた。滑り台に逃げ込んだイタチは、梯子を駆け上がってはきちんと体育座りをして滑り降り、わたしはわたしで梯子を駆け上がっては同じく体育座りをして滑り降り、イタチはまた梯子のほうへまわってそれを駆け上がるのでわたしも追いかけて梯子を駆け上がる、イタチが滑り降りればわたしも滑り降り、滑り降りたイタチが梯子のほうへまわればわたしもまたそれを追いかける……で、これを延々と繰り返すうちイタチも猟師も滑り台の登り降りにだんだんと熟練していって、呼吸も間合いもぴったり一つになり、サンボを追い回した虎たちがひと連なりのバターとなるのと同じ境地で、頭の中でプシューップシューッとなにかが噴き出すのを感じて、「なにかが頭の中で出てる!」と思わずわたしが叫ぶと、「それよ、それなのよ、アドレナリンの噴出をとくと味わって! これぞいたちごっこの醍醐味!」と早苗ちゃんが応じた。とうとうわたしの指先が梯子を上る早苗ちゃんのスカートの裾を絡め取り、二つの魂と二つの肉体の奇跡の合一が破れると、早苗ちゃんが突然動きを止め、わたしは勢いで鼻先を早苗ちゃんのお尻に突っ込んで、すると早苗ちゃんはすかさず屁をひりた。
「くっさぁ!」
「ぬかったな。これぞ秘技、イタチの最後っ屁じゃ!」
「やられた!」
「ふん。それでも、まあ、初めてにしちゃ上出来だよ。アンタならきっといい猟師になれる。いつかアタシの屍を越えていくときが来るよ。アンタにこれをやる。これを使うときは、生きるか死ぬかの瀬戸際だけだよ」
 そういって早苗ちゃんは、わたしになにかを握らせるフリをした。
「なに、これ」
「ふん、ビビるのも無理ないさ。その重さをまずは心ゆくまで味わうんだね。それが命の重さってもんだよ」
「命の重さもなにも、これって?」
 空の両の手のひらを突きつけると、
「チャクラをかっぴらいて見てごらん!」
 と早苗ちゃんは怒鳴った。
 早苗ちゃん曰く、わたしに渡したのはイタチを仕留めるために開発されたレミントンM11-85ウィゼルキラーという特別仕様の猟銃で、右利きなら左手で先台をぐっと手前に引いて銃床を右の鎖骨の下の窪みにしっかり押し当てて固定しスコープで狙いを定めた上で右手で引き鉄を引くのだが、アタシたちアジア人はコケイジャンと違って人差し指より中指のほうが長いから引き鉄は中指で引くようにとその使用について事細かに教えた。レミントンM11-85ウィゼルキラーはことのほか軽量だから腰が据わらないと銃口が上がりがちになって下手すると無辜の市民を殺傷しかねないと早苗ちゃんは真顔でいい、棒立ちになって銃を構えるわたしの腰をぐいと後ろに引き、さらにひかがみを膝でついて脚をわななかせた。
「なにするの!」
「膝を曲げて腰を落とすんだよ。ほら、イタチが来たよ!」
 スコープを覗くとそれはイタチではなく近所を決まった時間に徘徊する御年八十いくつのクララさんで、椅子にもなれば荷物入れにもなる押し車を押しながら公園脇の歩道を横切り始めたところで、レミントンM11-85ウィゼルキラーの照準を彼女に合わせて息を詰めるわたしたちに気がつくと、
「おやおや元気のいいこと。きょうびいたちごっことは、珍しいねぇ」
 とクララさんは相好を崩した。
 ご挨拶しなきゃ、と銃を下ろそうとしたわたしに早苗ちゃんは舌打ちして、あれはイタチの化け物だよ、ぬかるな、とささやいた。
「誰がイタチだって?」
 クララさんは思いのほか耳が良かった。
「イタチじゃないよ。こう見えてもあたしゃハタチ」
 そういってクララさんがニッと笑うと、
「死ね!」
 と一喝してから、早苗ちゃんは「バン! バン! バババン!」と叫びながらジリジリとクララさんに近づいていった。
「茜ちゃんは援護射撃!」
 いわれてわたしも「バン! バン! バン! バン!」と叫びながらクララさんに向けて銃を放った。
「ほっほっほっ、若いってのは元気があって、いいこと」
 そういってクララさんは手押し車を押しながら公園脇の歩道をそのままゆっくりと横切っていった。
「なかなかやるじゃん」
 わたしを振り向いて親指を立てた早苗ちゃんは、
「さぁ、いよいよ決戦のときが迫ったよ。アタシを仕留めてごらん」
 いうが早いか、公園の敷地を抜け出すと、電信柱の一つに飛び移って、それを早苗ちゃんは攀じ登り始めた。わたしはレミントンM11-85ウィゼルキラーの照準を彼女の尻に合わせて一撃した。どう考えても命中したはずだが、早苗ちゃんは平気の平左で電信柱を登り続ける。わたしは夢中で「バンバンバンバン!」と繰り返した。
「ちょっと早苗ちゃん。とっくにあなた、撃ち殺されてるってば」
「なんの、これしき」
「いや、これじゃ、埒が明かないじゃん」
 口にするなり、これもいたちごっこだったかと瞠目して、思わず両手で口を塞ぐわたし。すごいよ、早苗ちゃん……。
「しかもね、今のアタシはね、イタチの道切りといって、イタチが二度と同じ道を通らない、を実践してるんだよ」
 とうとう電信柱のてっぺんにくると、今度は通りの向こうへとたるむ電線に両手両足でしがみついて逆さになり、なりながら渡ろうとした。
「早苗ちゃん! さすがに危ないって!」
 するとバチバチッと鋭い音が立って同時に青い火花が散って、散ったかと思うとしがみついた形のまま硬直した早苗ちゃんが落下した。そこへ折しもトラックが通りがかって、荷台のセメントの砂山が早苗ちゃんを間一髪のところで受け留めた。早苗ちゃんは砂山の上に大の字に仰向けになったまま、ぴくりとも動かない。そうしてトラックはみるみる遠ざかっていった。

 あまりのことにわたしは我に返るのに数分を要した。いや、それは数秒に過ぎなかったかも知れないが、わたしにはひどく長く感じられた。取り返しのつかないことが目の前で起きてしまった。泣け! と本能が即座に命じたが、本能の占める位置が必ずしも最上位ではない年齢にわたしはとっくに達していた。わたしは泣くのを堪えて考えた。トラックを追う、はあまりにも現実的でなかった。熊楠公園までは歩いてきたのだし、タクシーを拾うにもお金はないし、たとえタクシーを拾えたとしてもとうにトラックの行き先を見失っている。交番へ駆け込む? それもいいが、最寄りの交番よりよほど早苗ちゃん家のほうが近いことに思い至る。わたしは駆け出していた。
 早苗ちゃん家の玄関先では、早苗ちゃんのママが薔薇の花の手入れをしていた。
「早苗ちゃんのママ!」
 わたしは叫んだ。
「早苗ちゃんが大変なことになりました!」
「あらぁ、大変なことって」
 早苗ちゃんのママはおっとりしていて、物腰も柔らかで、いつだって穏やかに微笑んでいるような人だった。
「茜ちゃん、落ち着いて。うちの早苗になにが起きたか、時系列に沿って話してちょうだい。主語と述語の対応にはくれぐれも気をつけて。主語がないと大人はイライラして、時に殺意を抱くものなのよ」
 それでわたしは、早苗ちゃんが感電して、トラックの荷台の砂山に落ちて、そのままどこかへ連れ去られてしまった、と早口で伝えた。
「茜ちゃんは相変わらずお話が上手ね。でも安心なさい。早苗なら、さっき帰ってきて、もう塾に行きましたよ。あの子は五分前行動がどうもできないので困ったわ」
 そういって早苗ちゃんのママは、剪定鋏を手に微笑みを絶やさぬまま小首を傾げるのだった。
 驚いたのはもちろんわたしのほうで、半信半疑のまま早苗ちゃんのママと別れ、とぼとぼと歩きながらことの次第を順を追って整理して、でも、とやはり心配になって、その足でわたしは早苗ちゃんが通う塾のある雑居ビルまで走っていった。
 交差点の角にある雑居ビルの一階にその塾はあって、クラスのお金持ちで賢い子たちはみんなここに通うのだった。通りに面したガラスの壁面はいつもブラインドが上げられて中は丸見えで、白熱した授業の光景を通行人はいつでも見学できた。恐るおそる中を覗き込んだわたしは、もはやイタチの被り物などしていない早苗ちゃんが教室の中央にお行儀よく座っていて、講師の質問に対して誰よりも早く反応してすっと右腕をまっすぐに挙げるのを見た。はたして早苗ちゃんは指名された。
「小腸のジュウモウトッキも肺のハイホウも表面積を広げる点で共通しています」
 その立板に水の解答を、教室の一同は拍手をして称えた。

 いたちごっこの首尾について聞いてくるママにも浮かぬ返答をしてしまって、つくづくわたしは悪い子なのだった。こういうとき、ママはわたしをそっとしておいてくれる。ママは本当によくできた人なのだ。ご飯を済ませ、学校の宿題を終わらせてからお風呂に入り、お気に入りのパジャマに着替えて寝床につく。二段ベッドの下で寝る妹は、いつもなら寝る前はお話をしてしてとしつこくせがむくせに、今日はやけに神妙にしている。そっとしておいてあげなさい、とママに釘を刺されたのかも知れない。
「どうしたの、みぃ。今日はやけにおとなしいじゃん」
 わたしは二段ベッドの上から声をかけた。返答がないので寝たのかと思ったら、しばらくして、
「あしたになったらいろいろおはなししてちょうだいね」
 とみぃはいった。

 寝つきの悪いわたしのために、寝しなにママが本の差し入れをしにくる。これを読むといいわ、といって勧めてくれたのが、新美南吉の『屁』という短編だった。ちょっと読書する気分になれなくて、それでも勧められたからにはと最初のページを開いて一行目を辿ってみたところが、「石太郎が屁の名人であるのは、浄光院の是信さんに教えてもらうからだ、とみんながいっていた。春吉君は、そうかもしれないと思った」とあり、それからもう目が離せなくなった。
 一気に読み終えて、わたしは泣いた。もちろん屁をひりた張本人として名乗るに名乗れず罪悪感に苦しめられた春吉君のためにではなく、屁こきの犯人として名指しされ先生から懲罰を食らう愚鈍な石太郎のために泣いたのだった。思いがけずイタチが登場して、これが手酷い目に遭わされるのだが、その下手人がくだんの石太郎であるというのも、今のわたしには意味深長だった。
 このお話には非常に重要な教訓が含まれている。春吉君はいかにも罪悪感に苛まれるが、それは道徳の教科書にあるような、屁をしたのは自分であると名乗り出る潔さという美徳を模範生として実践できなかったからであり、まちがっても罪を被らされ、周りから非難される石太郎の哀れな境遇に対してではなかった。むしろ屁っこきの石太郎が学友にいるせいで自分は要らぬ感情を持て余すハメになったと、春吉君は彼を恨みさえするのである。ところが春吉君は最後の最後である啓示を得る。それは、このような経験をするのは、おそらく自分が初めてではないという気づき。小説は次のように締めくくられる。「そういうふうに、みんなの狡猾そうに見える顔をながめていると、なぜか春吉君は、それらの少年の顔が、その父親たちの狡猾な顔に見えてくる。おとなたちがせちがらい世の中で、表面はすずしい顔をしながら、きたないことを平気でして生きてゆくのは、この少年たちがぬれぎぬをものいわぬ石太郎にきせて知らん顔しているのと、なにか似通っている。じぶんもそのひとりだと反省して、自己嫌悪の情がわく。だが、それは強くない」。
 ただ、わたしは石太郎とは違うし、早苗ちゃんは春吉君ではもとよりない。わたしと早苗ちゃんのあいだに横たわる溝は、わたしん家が早苗ちゃん家より貧乏だとか、わたしが早苗ちゃんより勉強ができないとか、そういうことに端を発しているとはどうしても思えないのだった。塾のガラス越しに見た早苗ちゃんの勇姿をわたしは思い出していた。わたしもあんなふうに立板に水で物をいってみたいと思いながら、羽毛のようにふわりと睡魔は舞い降りてきて、わたしは眠りに落ちる寸前、丸めた身を大事そうに抱えながら、わたしのジュウモウトッキもわたしのハイホウも、はたして早苗ちゃんやほかのみんなと同じだろうかという疑問がシャボンのように膨らみかかって、音もなく弾けて消えた。

 翌朝の登校時、いつもなら玄関先まで呼びにくる早苗ちゃんが来ない。なんだか釈然としないままわたしは家を出ると、玄関のドアの外側のノブに、動物の毛皮のようなものが掛けられてあるのを見つけてギョッとなった。恐るおそる覗き込むと、それは昨日早苗ちゃんが被っていたイタチの面にほかならなかった。とんだ嫌がらせだとわたしは腹立ちかかって、なぜかそれを無性に被りたがっている自分がいることに戸惑った。あるいはどこかで早苗ちゃんがこちらの動向をうかがってるかも知れないとは思いつつ、わたしはとうとうその衝動に抗えず、イタチの被り物を被ってしまっていた。
 唾の匂いがツンと来て、これは昨日早苗ちゃんが使ったままだからだと思うと、ちょっと気持ちは萎えかかった。驚いたことに、口の穴もなければ目の穴もなく、被ってはみたもののただただ真っ暗なばかりだった。おののいて面を外そうとすると、これが取れない。取れないどころか、映画のスパイダーマンのスーツのように、キュッと顔にフィットする感じに面全体が締まって、たちまちわたしは窒息してその場に倒れてのたうち回った。(このままでは死んでしまう!)そう思った瞬間に呼吸が急に楽になり、どういうわけか面を装着する以前より空気が肺の隅々に渡って、酸素が細胞レベルで染み渡っていくのが実感された。
 先ほどの真っ暗闇が嘘のように、視界もまた良好だった。良好どころか、これまで経験したことのない明澄感を得ていた。まず降り注ぐ太陽光の、煌びやかで美しいこと! 裸眼では世界はふやけて見え、メガネをかければ世界はなんだかミニチュアめいていたのが、嘘のように広々と開けて、色という色が鮮やかに迫り、物と物の輪郭がくっきりと洗われたように浮き立った。往来に出ると、排気ガスの微粒子までその輪郭をあらわにし、一キロ先を走る車の運転手の後頭部の毛髪一本一本まで数えることが可能だった。聴覚もまた研ぎ澄まされて、家の中の物音どころか食堂にいるママの息遣いや心臓の鼓動まで聞こうと思えば聞こえたし、今誰がどの方角に向かってどのくらいの速さで遠ざかる、ないしは近づくか、声と靴音だけで判断できた。するとこれまでに味わったことのない、なんといえばいいのか、世界を知るための情報が殺到して、周囲が屹立してくるというか、多角的に広がっていくというか、あえていうなら圧倒的な開放感に満たされていくのだった。たとえば目の前に壁があれば、壁の向こうへ五感を働かせるなんてこと、当たり前のように諦めるのが以前なら、今この瞬間は諦めるもなにも、壁の向こうが見えるというか、聞こえるというか、視覚情報に劣らぬ確かなものとして感じられるのだ。そして匂い。世界はこんなにもさまざまな匂いに満ちていたのかとわたしは驚愕する。土や水や木々の匂いは甘やかで懐かしく、強烈に誘惑してくる。そのいっぽうで、自動車をはじめとする機械、電気、電磁波の類のいっさいが、卒倒しかねない悪臭として感じられた。そして人間。この、とてつもなく穢らわしい諸悪の根源。

 わたしは歩き出した。イタチの被り物したわたしに道ゆく人々は足を止めて奇異の視線を送った。いや、足を止めているのではない、彼らはいかにも歩いているのだったが、今のわたしには止まっているも同然なのだった。なぜといって、わたしの目にする運動のことごとくがスロモーションのように見えていたのだから。それは今にもわたしが追いつきそうになっていた徐行の車(じっさいのところ徐行どころか法定速度をやや超えて走る車だったのだが)がアスファルトの窪みに溜まった水をはねたさいにはっきりしたのだが、その水飛沫がまるで花火の咲き終わりのような緩やかさで宙に投網を広げたからだった。徐行するように見えた車のリアバンパーに足を掛け、そのまま天井を飛び越えて追い抜きたい衝動に駆られたが、わたしは我慢した。それでも傍目には時速四十キロ強の速さでわたしは「歩いて」いたのだから、それだけでも人の耳目を集めるのに十分だったのである。目前の歩行者用の信号が赤なのに気がつかず、あわや横から来たダンプにはねられそうになって、わたしは地を舐めるように身を屈め、すんでのところで車の床下を潜り抜けた。俊敏に動けることの悦びに覚醒したわたしは、もはやイタチの面を見咎められるスキを誰にも与えずに、あれよという間に学校にたどり着く。正門から先に足を踏み入れるなり、わたしはやおら神妙さを取り戻し、寸分の息の乱れも見せずに静々と歩いたもので、突然背後に現れたイタチ少女を見て、登校したばかりの子どもたちは、ある者は二度見をして呆然となり、ある者は指差して笑い、またある者は驚惶して叫び声をあげた。いずれにせよ周囲はにわかに騒然となって、大人が誰か駆けつけるのは時間の問題だった。

 わたしは教室に入り、何食わぬ顔して自席に腰を下ろした。いつになく背筋をシャンとして目を閉じると、始業ベルの鳴るのを明鏡止水の境地で待った。
「チャクラをかっぴらいて見てごらん!」
 天の声が届き、わたしはおもむろに両の目を開いた。目の前に大人の男女が二人いて、二人とも腕組みをして、わたしになにか語りかけている。いや、語りかけているというより、怒鳴っているというに近かった。この耳障りな音を葬り去るには喉笛に噛みつくのが一番だとにわかに萌した無双感がわたしに教えるが、わたしは微動だにしなかった。
「茜さん。そのお面を外しなさい。自分で外さないなら、こんなことしたくはないけれど、あなたを押さえつけてでも外しますよ」
 わたしは周囲の音を、匂いを、空気の乱れを、拾う。全身の毛穴という毛穴から触手が伸びて、半径二十メートル圏内にあるいっさいを隅々まで撫ぜるように感知する。人々のおびえ、怒り、蔑み、そしてそれらが収斂する先にある殺意。すべてが手に取るようにわかり、わたしはこの無双感、この全能感において、これまで聞いたことも使ったこともない言葉でいつからか思考していたし、やがて思考はヒトの言語の文法の制約を超え、ただこうして剥き出しの感覚として世界とコネクトしてあることの悦びを伝えようとして発した言葉が、自分でもおぞましいような獣の咆哮にほかならなかった。わたしはそれが誤謬でないことを確かめるために、二度三度と立て続けに咆哮した。そしてその一つの音声の含む情報量の多さにわたしは愕然となった。ああ、これを獣の咆哮としか解さない人の耳の哀れさよ! 人の言葉の貧しさよ! 二人の大人は腰を抜かしてその場にへたり込んだ。子どもらは恐れをなして泣き叫び、椅子を蹴って立ち上がると教室から我先にと逃げ出した。わたしは立ち上がった。大人たちが地に尻をついたまま後ずさる。喉笛から噴き上がる鮮血が見たい。それを心ゆくまで飲み干してみたい。わたしは二人を交互に見下ろした。若い女と初老の男。女は未経産で、男の精巣はすでに枯れかかっている。女、と見定めた刹那、廊下側から「バン、バン!」と音が立って、一発はかわしたものの、もう一発は左肩に命中して僧帽筋を貫いた。見るとレミントンM11-85ウィゼルキラーの銃口が半分開いた引き戸の横から覗いて、やがて引き鉄とそれにかかる人差し指もとい中指が見えた。再び銃口が火を噴いて、わたしはもんどり打った。
「バン! バン! バン!」
 撃ち手は容赦がなかった。もんどり打つ度に教室の子どもたちの机が倒れ、椅子が倒れして、右往左往するうちついにわたしはその山にはまり込んで身動きが取れなくなった。
「イタチよ、とうとう追い詰めたよ!」
 ブルマを履いた早苗ちゃんがレミントンM11-85ウィゼルキラーを構えて教室内に躍り出た。照準はしかとわたしの額をとらえ、腰を落としてジリジリと躙り寄る。
「覚悟しな!」
 そういって引き鉄を引くと、撃鉄の振り下ろされる音ばかりがカチャリと立った。
「ぬかった!」
 そのスキにわたしはどうにか机と椅子の山から脱出すると、窓のほうへ向かって全力で走り出した。新たに早苗ちゃんのレミントンM11-85ウィゼルキラーに銃弾が装填される前に、わたしの身は軽々と飛び上がった。マズルの前で両腕を交差すると、そのままガラスと桟を突き破る。
 わたしが全身を放ったその刹那、背後で早苗ちゃんが叫んだ。
「茜ちゃん、いけない! ここは建物四階だよ!」
 そんなこと今更いわれてももう遅い。ガラスは粉々に弾け飛び、わたしは虹色のレースのような空へ飛び出した。この、指先にまで充満した無敵感、全能感、否、偏在感を、もう放ってはおけない。
 光、風、枝葉のさざめき、土の芳香、虫どもの忍び笑い……世界は今、イタチとして生まれ変わる新生わたしを全力で受け留め、そして言祝ぐ。

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