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心を見てみぬふりするな。

些細なことかもしれないけれど、心を無視するのは良くない。
心。

感性を頼りに世界を見れば、人も、自然も、きらきら輝いて見える。
朝日に歓喜し、晴天に心躍らせ、夕暮れ時にほれぼれと足を止め、夜にほっと一息つく。
どうも、そんな感情を忘れてはいまいか。

noteでロジカルな記事を連発したのも、感情から逃げていたからではないか。
私の中の私が、ようやく心の傷口を晒してくれそうなので、すこし振り返ってみようと思う。

思えば、一年前の今頃は心身ともに疲弊していた。
昨年はおそらく人生で一番、天地がひっくり返りそうな激動の日々を過ごしていたからだ。

一昨年前の夏頃から、自宅を売る・売らないでマンションデベロッパーと揉めに揉め。
その件で主人とさんざん議論を重ね、義母とも話し、なんとか話に決着をつけたいがために奮闘した。

全ては、一家の大黒柱たる主人の気持ちに迷いがあったせいで意見がコロコロ変わることに家全体が振り回されていたのだけれど。

半年に及ぶ交渉。
思えば、相手はよく付き合ってくれたものだ。

その結論がようやく見えたと思ったのが、昨年の1月頃。
その頃から、義母の様子がおかしくなった。

自宅に関しての話し合いは、義母の心身を蝕んでいた。
長年暮らした自宅。
先祖の代から託された土地を手放さなければいけないというプレッシャーと、生活が一変するかもしれない不安。
家庭内で巻き起こる意見の食い違いや衝突。

既に認知症状があったため、義母に七面倒臭い不動産売買に関するあれこれを説明するのは困難だったため、余計に話は混乱した。

その場の感情で「先祖の土地を売るなど言語道断」と言ってみたり「次の代を考えれば、売るより仕方ない」と言ってみたり、コロコロと意見が変わる義母。
人間だし、忘れっぽいのだから仕方がないと思うけど。

イライラを募らせた主人は義母に憤慨し、度々衝突した。
そんな日々が耐えられなかったのだろうと思う。

義母は腰痛を訴えて急激に動けなくなり、階段が使えなくなり、部屋から出られなくなり、あっという間に寝たきりになってしまった。

「ウソだろ。冗談だろ」
そう思ったけど、それは紛れもない現実でしかなくて。

自宅の売却が正式に決まり、契約等の手続きが着々と進む中、私は義母の介護という新たな課題に真っ向から向き合うこととなった。

正直、この辺の記憶は思い出したくないことばかり。
主人にさんざん振り回され、私も義母も疲弊した。
子どもたちは、家の話で大人が揉めているのを横目に見ながらやはり不満を募らせていたに違いない。

売却の交渉のため、マンションデベロッパーと交渉を繰り返す。
並行して、新居を探して不動産会社を行脚し、土地探しからのハウスメーカー巡り。
すぐに話が飲み込めなくなる義母に説明を繰り返しては「私を蚊帳の外にして、勝手に話を進めるとは!嫁の分際で何様のつもりだ!!!」と、怒鳴られ。
介護がスタートし。

この時期、私には感情が必要なかった。
いちいち感情の相手をしていたら、毎日泣いて過ごすしかなくて何もできなくなってしまう。

子供は放っておけないし、誰だって等しくお腹はすく。
自宅に関しては決定をくださないわけには行かず、動かなければ何も変わらない。
義母には世話になっているので、万が一の場合には私が身の回りの世話をすると家族みんなで決めていた。

人生において、やらねばならぬときというのは誰にでも訪れるだろう。
多分、昨年は後厄だったのかな。
気にもしていなかったけれど。

とにかく、私の感情をいちいち挟んでいたら何もできなくなる。
だから、義母の介護がスタートする前後から私は感情を封印した。

目の前で起こる出来事は、すべて客観的かつ効率的に処理すればいいのだ。

他の誰が感情をあらわにしても、私に感情は必要ない。
感情論では何も解決しない。
目を背けたい現実を前にしては、感情はもはや邪魔なだけ。

そう思った。
だから、感情に蓋をした。

自宅を売却し、引越し先が決まった。
義母がなんやかんやで入院した。
ハウスメーカーが決まり新居のプランが出来た。

ほら、感情を抜きにしたらこんなにも簡単に説明できる。
そこにどれだけの葛藤が秘められていても、わざわざほじくり返すことでもない。

ハウスメーカーとの打ち合わせが終わり、新居の工事が始まった頃、ようやくすこし落ち着きが戻ってきたのかと思う。

それが昨年の6月頃。

WEBライターを始めたのは一昨年の12月。
現実で報われない私のアイデンティティーを取り戻すための、もう一人の私。

仕事も順調にはいかなくて。
作業時間が確保できず、作業環境を整える余裕もなくて悔しかった。

でも一年間でなんとか格好がつくくらいの実績は残せた。
まだまだ足りないながらも、場数も踏めた。

秋に引っ越して、家の中を片付けたり手続きに追われたりしながら年末を迎えて。
年が明けてとうとう確定申告までなんとか済ませた今、ようやくふと思い出した。

多分、私は一年前に私の心をどこかへ置き去りにして、忘れてはいないかと。

心に蓋をされたまま、真っ暗闇で震えているのではないかと。

傷口を見ないように見ないように、していた気がする。

感情を押し殺すようなことをしたら、どこかに歪みが生じる。
一年間で私はずいぶん歪んだ。

家族の感情より、気持ちより、やるべきことを優先する冷たい女になってしまった。

笑いたいときに笑って、泣きたい時には泣く。
怒るときもあったっていい。
喜ぶときもある。
悲しむときもある。

それが自然なのだから。

いい加減、ボロボロの私を認めてあげよう。
ケアしてあげよう。

このまま走り続けたら、いつか倒れて動けなくなる。
その前に私が私を助けてあげなきゃなあ。

noteに何度記しても、どうしても昨年の出来事ばかり振り返ってしまうのはそのせいだと思うから。
今度こそ立ち上がろう。

自身を見つめ直すその時が来たのだと、認めよう。
そして前進するんだ。

今度こそは。

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