見出し画像

そこに理由があればいい

私は元来、ものすごい怠け者だ。
日常のあらゆるシーンにおいて、ちょっとやそっとじゃ動こうとしない。

ナマケモノ。
動いてんだか動いてないんだか、わからないくらいのスピードで行動する生物。
薔薇を食べるという、なんかエモい生物。
外敵が現れたときだけは、すばやく動けるとかなんとか。

私も似たようなものだ。
理由が必要。
つまり、そこに理由があればいい。

今日、関東は昼前から晴れてきたので、お昼ご飯を食べてから子供たちと近所の公園へ。

昼過ぎだから、眠い。
お昼ご飯食べて、陽気がよくて、ベンチに座ってたら船をこぐこぐ。
子供たちがきゃあきゃあ駆け回る中、昼寝しにきた主婦とは私だ。

ダメな構図だなー、と思いながらそれでも夢うつつになること5分。
長男がやってきた。

「大縄やりたい」

はあ。
彼の言う大縄とは、子供用の縄跳びを二本つなぎ合わせたもの。
(ジョイントすると繋がる!便利!)

これの片方を公園の柵にくくりつけ、もう片方を回す。
回し手は一人でいいけど、必ず一人必要だ。
半分寝ぼけまなこだろうと、アラフォーの声が聞こえ始めたどんくさメガネだろうと、彼にとっては私が母親だ。
その場にいた大人は私だけ。

「…やるの?」
「やりたい!(目がキラキラ)」

はぁー…やれやれどっこいしょ。
私はしかたなく重い腰を上げた。
やりたくないよ。
やりたくない。

でも、やらねばならない。
だって、子供が待ってるんだもの。

長男がぴょんぴょん跳んでいたら、娘も飛んでやってきた。
さあ、それからがなかなかひと仕事。

どんくさくて八の字跳びができない娘に、タイミングをひたすら教える。

縄をグルグルまわしながら、声をかけ続けること15分。
一向に上達しない(笑)

子供はタイミングをとるのが苦手で、10回くらいまわさないと跳んでくれない。
つまり、圧倒的に縄を回す私が疲れる。

しかも縄を回しながら、タイミングを合わせるために
「はい!いまだ!…ここだよ!遅い!!ちゃんと跳んで!!」
と、常にしゃべりっぱなし。

ついさっきまで夢の中にいたのが嘘のような働きっぷりだが、子供はちっとも気にしない。

「ちょっと休憩!!」
いいかげん腕が上がらなくなったところで、一旦やめにしてもらった。
子供はまだやりたがったけれど、だって回す方は疲れるんだよ!!

子供たちは、また思い思いに遊びだした。
さてさて私はというと、再びまどろみに誘われて半分夢の中へ…(早い)。

しかし、5分も経たずに娘が来た。
「鉄棒やるの見てて!」
「んー?見てるよ(※夢の中で)」

「だめー!こっち来て!」
娘は他人様には引っ込み思案だが、家族にはまったく遠慮しない。
私は鉄棒の横に連行されて、彼女のサポート係をおおせつかった。
娘を鉄棒に乗せたり、逆上がりの練習をしたり、なんやかんや働いていたら、こんどは長男。

「キャッチボールしよ!」

おいおいおい。
私は球技のセンスゼロだぞい。

「あの…投げるの下手だからね…」
「うん!」

否定しない長男。
まあ、もちろん私は捕るのも下手だからね。
そんなこんなでキャッチボールして。
また大縄して。
寝て(笑)

あっという間に2時間が経ち、帰宅。
ちなみに、子供はまだまだ遊び足りない様子だったが、私が限界だったことは言うまでもない。

はっきり言って、自分のためならこんなに頑張らないもの。
子供が望むから、ついつい本気で遊んじゃうわけで。
「やりたくないけどやる」
そこには必ず理由がある。

夕飯を済ませて、私が後片付けをしている間、子供たちはテレビを観ていた。
家族の団らんの時間だ。
きゃいきゃい盛り上がっているのを、横目に見ながら、私は皿を洗っていた。

ところが、皿を洗い終えて一息つこうとみんなが集まるソファへ座ろうとしたら、端に座っていた娘がソファにもたれて眠りそうになっている。
ありゃま!と思って、声をかけてからなんのためらいもなく抱き上げた。

そのまま抱っこで2階へ運ぶ。
子供を抱いて階段を上がるのはとんでもない重労働だが、私はちっとも苦にならない。
だって、それはとんでもなく幸せなことだから。

想像してみてほしい。
普段はくるくる駆け回ってる娘が、ソファの隅で眠気に負かされているところを。
それはそれは、この上なく大切で、かわいらしくて、思わず抱き上げちゃうのが私にとっては当たりまえなのだ。
無垢で、無防備で、ふわふわした子供のからだ。

尊いもの。
私は子供たちのためなら、なんだってできてしまう自信がある。

ライターになったのも。
毎日文字を綴ってこれたのも、子供たちの存在が大きい。

存在意義。
私の生きる道。
私は理由がないと動けない人間だ。
でも、理由があれば何だってできるのだと、最近気づいた。

それは、ある意味最強なんじゃないか。
何かが私を駆り立てる時、思った以上の力を発揮する。
そうやって乗り越えてきた壁も、数知れず。
理由がなければ動かないけど、理由さえあれば底無しのパワーを発揮する。

誰にだって、きっと底無しのパワーは眠っている。
きっと気づいていないだけで。

そこに理由がある限り。
そこに元気の源がある限り。

私は前進し続ける。
そこに理由があればいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?