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大人になると、諦めなきゃいけないもの

大人になったら、もっと自由な世界が広がっているのだと思った。
自由とは、思うがままに生きて行けること。

子供のとき、私達は「親」や「学校」に縛られながら生きてきたはずだ。
親の言うことを守り、学校の規則を守り、その中で日々を過ごしていく。
そうすることで、一定の居場所と安全を得ることができるわけだ。

子供たちにとって、その枷はなかなかの重みを持っている。
お母さんとの約束を破ったら、夕飯が食べられなくなるかもしれない。
学校で校則違反をすれば、先生にこっぴどく叱られるかもしれない。
最悪、「絶縁」や「退学」によって、居場所を失うことになるかもしれない。

だから、私達は私達を守ってくれるものに従う。
付き従うことにより、安住を得るのだ。

そして、コミュニティの中で少しずつ大人になっていく。

一般的に、二十歳を過ぎれば私達は「大人」と呼ばれるようになる。
自らの労働力、時間、財産を意のままに操ることができる。
そう、子供の頃夢にまで見た「自由」という名の権利を得るのだ。

ところが、与えられた権利をはじめから使いこなせる猛者は少ない。

「さあ、大人になったのだからあなたの好きに生きなさい」
そう言われても、実際に迷わず歩み出せる人がどれだけいることか?

だから私達はロールモデルに従って、進学したり、就職したり、「こうすれば安全に大人の道を切り拓いていけますよ」というマニュアルを一通りなぞるのだ。

別に、マニュアルをなぞらなくてもよい。
自分の人生を自らコントロールできるという確固たる自信があるならば、オートマ車を選ばず、左ハンドルのマニュアル車を選択してもよい。
だって、選ぶ権利は私達が持っているのだから。

自由に選ぶ権利。
この、自由に選ぶ権利を実際に行使できる場面は、どれくらいあるのだろう。
大人になれば、自由に選ぶ権利を常に行使できると思っていたのだが、実際はそうでも無さそうだ。

私達の持つ、労働力、時間、財産によって、自由に選ぶ権利をもてるかどうかが決まってくる。
必ずしもそればかりではないが、おおよそはそうだ。

お金があれば、お金で買えるものは手に入る。
労働力があれば、それに見合った対価を手に入れることができる。
好きに使える時間があれば、労働に充てようが、リラクゼーションに充てようが、誰にも文句は言われまい。

つまり、そういうことだ。
大概の人は、使える財産に限りがあるし、一日の労働時間はいいとこ8時間前後だし、自分で本当に自由に使える時間はそう多くない。

これは、誰にでも言えることだと思う。
実際、余力がない場合には何かしらを諦めなければいけない。

お金がなければ、ティータイムのおやつを我慢する。
時間がなければ、読みたい本を我慢する。
毎月フルタイムで働いていたら、体を壊さないようそれ以上無理に働くこともない。

自分の持てる資源で勝負しなければいけない。
そして、それは意外とギリギリの綱渡りになることも多い。
何かが足りなければ、何かを我慢する。

そうして、諦めなければいけないことが必ず出てくる。
たとえ、どんなに大切なものだったとしても。

私自身、今までの人生で諦めてきたものがいくつもある。

言い換えれば、自分自身の力ではどうにも出来なかったこととも言える。

長男を妊娠していたとき、姉の結婚式があった。
姉はプライドが高く、何にでもものすごくこだわる人だ。
姉も旦那さんも神奈川県出身で親戚も神奈川に住んでいるのに、姉はその頑ななこだわりによって、なぜか片道2時間はかかる御殿場の式場を選んだ。

親戚、友人、ほぼ宿泊コースだ。
結婚式は夏で、出産予定は秋だった。
当初、私は出席するつもりでいたが、これには主人が猛反対。

というのも、はじめての妊娠だったし、短期間とは言え不妊治療を経て授かった大事な命だ。
主人にしたら、どうか穏便に妊婦らしくおとなしく妊娠期間をすごしてほしいらしかったのだ。
もともと姉と私達夫婦は不仲で、それも大いに影響した。

結局、招待状の返信ハガキには「不参加」と丸をつけた。
ただ一人の姉妹である姉の結婚式に参加しないなんて、考えたこともなかったが本当に欠席した。
私には、どうすることもできなかった。

それから三年後、長女を妊娠しているとき。
長男は間もなく三歳になろうとしていたので、私は何の迷いもなく里帰り出産を選択した。
里帰りとはいっても、実家は自転車で15分の距離だ。
どちらにいこうが、どっちで寝ようが、正直あんまり変わらない。
でも「出産前後の一ヶ月くらいは実家にお世話になろう」とにかくそう決めた。

当時、母方の祖父母は健在だったが、二人共80歳を過ぎていた。
特に祖母は持病があり、母と伯母がかわるがわる様子を見に行っていた。
年に何度かは入院することもあり、「入院」と聞けば親戚一同身構えるような状態だったのだ。

しかし娘が里帰り出産すると聞いて、母もなんとかかんとか都合をつけてくれた。
ならし保育さながら、ならしお泊りを何度か経験し、三歳目前の長男も実家に馴染んできた。
ありがたいことだ。

出産予定日一ヶ月前、妊娠の経過も長男のオムツはずれも順調に進み、ようやく出産の大仕事に向けて荷造りでも始めようと思った矢先のこと。
祖母が急逝した。

穏やかに一日を過ごし、いつもどおり床に就いたきり、二度と目覚めることは無かった。
いつかはその日が来ると知りながら、突然の悲報に誰もが意気消沈した。
特に、祖父と母のショックは計り知れなかったと思う。

数日後、都内で葬儀が営まれたが私は参列しなかった。
臨月の妊婦が行くべきではないと、誰もが思ったし私自身もそう思った。
お腹の子と、長男を守るのが務めであると。
頭ではわかっていながら、割りきれない感情に振り回され、ただただ涙するしかなかった。

特に子供を抱えてから、私は私の人生において「諦めなければいけないシーン」が圧倒的に増えた。
子を守るとは、そういうことなのだ。

子供を守り、育てるためには母が必要なのだ。
母とて人間だが、子を守るためなら自己犠牲を払わなければいけないときもある。
大いにある。

それが不幸だとは思わないし、結果的に「それでよかった」と思えることがほとんどだ。
悔しかったら、もっと強くなればいい。
歯がゆいのなら、もっとできることを増やせばいい。
やるせないなら、次に向けてたくさん努力すればいい。

そういった「諦め」や「挫折」を経験することで、結果的には母として、大人として、成長してきたのだ。
そう、大人になっても人は絶えず成長する。

常に変わらないものは無く、万物は流転する。
何気ない日々の幸せを守る、そのためだけにも私達は成長しなければいけない。
毎日が平凡な日々の繰り返しでありながら、どこかではそのバランスが崩れないように神経を尖らせている。

そうして、手に負えない事態が起きれば何かを諦めることでバランスを保ち続ける。
大人とは、そういう生き物なのだ。

何かを手放すことで、諦めることで、その痛みを成長の糧とする。
そんな不器用な生き物でしかない。

私は大人になってから、いくつもの想いを手放した。
捨てたくなかったものを、たくさん捨てた。
そのかわり、大切なものを手にすることができた。

手放した思いの数だけ成長したのなら、さぞかしレベルの高い大魔術師にでもなれそうなものだが、実際は主婦兼ライターの冴えない女だ。

取り立てて誇れるものなどない。
素手で戦うに等しい、ちっぽけな存在。

それでも人並みの幸せはこの手の中にある。
私にとっては、それが全てだ。

失うことで守れるものがある。
諦めることで手に入れられるものがある。

どれだけ心を裂かれても、感情がちぎり取られても、痛みに変わる何かがあるなら。
私は前に進もう。

書くことでしか自分を慰められないのは、もはや職業病である。
それでも確かに、私が前進するさまを刻み込める。
だから、こうして時折、思いのたけを記すのだ。

小さな幸せを守り抜くため。
自由の名のもと、諦める覚悟を。

私には守るべきものがある。

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