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第39回:超秘教入門1 Livin' on A Prayer 資本主義末期に生まれたトミーとジーナ


神智とは何か・・・

神智とは、言うまでもなく日常生活の中で喘いでいる私達凡夫には想像することもできない「神の知恵」ということになろう。

しかし、敢えて凡夫がこの神智という命題を勇気を持って一言で表わすならば、次の言葉に集約することができるのではないか。

神智とは「この宇宙に存在する生命の進化について解き明かす知恵」であると。

それを改めて簡潔に言えば、神智とは「神の知恵そのもの」である。

現代資本主義|羊たちの沈黙

だが、先のような話をしたところで日常生活の中で喘ぐ私達凡夫はお金を稼ぐ事には意識が向いても、「宇宙の生命の進化に関する知恵」という高尚な哲学である命題に関心を寄せることは全く無いであろう。

言うまでもなく、日々の過酷な生活に汲々とする現代人にとっては、哲学的な命題などに意識をいくら向けたところで腹の足しにはならないからである。

現代人は物質的な暮らしの豊かさを求め、定年を迎えてもなお亡者の如く金子(きんす)を得るべく、ストレス社会の中で汗を拭い半永久機関のように働き続けている。
それは私達が資本主義末期という暗黒時代に生まれてしまったからに他ならない。
そのため馬車馬のように働き続ける事が、この時代に生まれた人類には宿命づけられている。

労働に勤しまなければ、私達人類は現代の過剰な競争社会の中で生活を営み、自らの生命(いのち)を維持することができないからだ。

これはアメリカのハードロックバンド、
Bon Joviの3rdアルバム(1986年)のジャケット。

このアルバムには全米1位、全英で4位に輝いた
有名な曲「Livin' on A Prayer」が収録されている。

この曲は現代社会の中で低賃金で働かざるを得ない
男女トミーとジーナの過酷な生活を歌ったものだ。

何故、私達はこれ程までに馬車馬の如く
働かなければならない過酷な世界を
作り上げてしまったのだろうか・・・。

そして、それは人類の歴史のいつ頃から
始まってしまったのだろうか・・・。

私達現代人は日々の収入を得るために
生活に追われ、いつの間にか摩耗した金属のように
働く事が当たり前のように擦り込まれてしまった。

即ち、そのように擦り込まれた人々にとって、
機械の如く働く事は当たり前のことであり、
「何故、このような世界になってしまったのか」
という根本的「原因」を探ることさえ
忘れてしまっているのだ。

そして、このようにして人類の背後にいる
邪悪な拝金主義者達から、私達は何も考えない
都合の良い「羊」として利用され、
また搾取され続けてきたのである。

だが、その暗黒時代も
遂に終焉が近づいてきたようだ・・・。
(ウクライナの敗北、米ドルの衰退、
イスラエルによるガザへの侵攻・・・。
即ち、ディープステートの崩壊である。)

近代資本主義の黎明

この「働き続ける」という資本主義下の人々の宿命は、白人社会のある出来事の中から起こった。

それは今から約250年前の18世紀後期、アメリカ独立戦争(1776年)とフランス革命(1779年)の封建主義の打倒。
ここから資本主義の暗黒の歴史が始まったのである。

それまで人民はイギリス王家やフランス王家などの統治者には逆らう事ができず、これらの国々の人民は税を搾取され続け、自由な生活を謳歌することは許されなかった。

そのために権力を濫用するこれらの王家を打倒し、「自由・平等・博愛」に基づく社会を求め、民主主義国家体制を目指したのである。

封建主義の時代は、君主の政治力によって
国民の生活水準が決まる。

しかし、民衆の力で革命を起こし、
封建主義から民主主義の時代に移行すれば、
また新たな問題が起こるのが歴史の必然だ。

民主主義では君主の政治力で生活水準が
決まるのではなく、本人の流した汗の労働力で
生活水準が決まるのである。

即ち、その者が豊かな生活を求め自身に労働を
多く課せば、より多くの財を得ることになる。
それに対し、労働に精を出すよりも静かに家族と
共に過ごしたいと思う者との間には、自ずと
労働如何による収入の差が生じることは否めない。

この問題は民主主義が行われるようになった
当初から危惧されてきた懸案である。

個人の収入の格差は社会体制の歪みを生み出し、
調和のとれない無秩序な世界を作り出す。

革命後、西洋の近代民主主義の実権を裏で
握ったのは、邪悪な拝金主義者達であった。
彼らは富による社会の歪みと不均衡を巧みに
利用し、自身の懐を肥やしてきた悪魔達である。

人類は間もなく、その薄汚い悪魔とも言える
拝金主義者の存在を公に知ることになる。

それがハザール系ユダヤ金融資本主義として
一部の人類に知られてきた、下劣極まる
ディープステート共である。

資本主義が招いたもの

しかし、革命により時の統治者を廃したということは、それまでとはまた別の問題を生み出すことになる。
それは封建主義下では人民に決して与えられることがなかった市民権を、人民が一人一人得ることになるからである。

封建主義下の君主制の統治下では、人民の生活は君主の善し悪しに関わらず、その国の君主に自ずと委ねられる。
要するに、人民の生殺与奪は君主の采配次第ということになるのだ。

けれど、革命により市民権を得た人民の生活は、市民権を手にしてしまったが故に各自の生活の糧は自ら得なくてはならなくなってしまったのである。

即ち、民主主義とは「人民が自由を謳歌することができる体制」を意味するが、それは人民が暮らしを営む上では「自由と引き換えに労働の責任を請け負う」ということにもなるのだ。

要するに、民主主義社会においては各自が自立し収入を得て「生きていくための条件が労働という義務」となったのである。
(これは建前で、実際はいつの世でも人民は常に労働の責任を各国の歴史の中で請け負ってきた。)

人民に労働が課せられたということは、労働とは社会の中で何らかの物質を生産していく生産力も意味するので、労働者は社会を形成していく上での機械の一部分になることも意味している。

民主主義と銘打ってはいるものの、気が付いたときには人民は労働者として社会構造の中における一つの歯車として存在し、その一つ一つの歯車が労働という生産力によって利益を上げ、社会が成り立つ資本制度に置き換わってしまったのが、近代から現代の民主主義社会の実情である。

そのためここでは民主主義という言葉を使わず、資本主義という言葉で表現していくことにしよう。

この資本主義の仕組みは「時間の経過と共に社会が回らなくなる構造」になっているということを看破した人物が、かのドイツ(プロイセン王国)人の学者カール・マルクスである。

彼は資本主義には限界があるため、それに変わる新たな社会構造の仕組みとして共産主義思想を唱えた。

共産主義とは、私有財産を否定し社会階級を廃止することによって、人民が各自能力に応じた平等な生活を享受できることを目指す思想である。

簡潔に言えば、人民は国が共産主義国家になれば、国に養って貰うことができるということになる。
そのような国家体制が共産主義国家なのである。
(これも建前で、現在の中国を見れば共産主義国家などは現代に存在しないことは明らかである。)

現に、マルクスが説いたように現在の資本主義は行き詰まりを見せ、無理矢理経済を強引に回さなければ社会が機能しなくなっており、政治政策での規制緩和などはその典型と言えよう。

そして2008年に世界を震撼させたリーマンショックが彼の理論の正しさを証明している。
やはり資本主義には、賞味期限があるのである。

繰り返しになるが、現代の日本は共産主義国家ではなく民主主義国家であるために、自身の生活を維持するには半永久機関的に心身を酷使してまで働かなければならなくなったことは先に述べた通りである。

これでは神智なるものに人類が意識を向けようにも、先立つ物が無ければ意識を向けられるはずがない。
かの聖人孔子も論語の中で「衣食足りて礼節を知る」と述べているではないか。
簡潔に言えば、「人は腹が満たされなければ話を聞く余裕がない」ということだ。

しかし、何と皮肉なことだろう。
近代資本主義の歴史は、自由・平等・博愛を求めて革命を起こし、封建制度から自由を勝ち取ったものの、今度はその勝ち得た自由を守るために、私達人類は働き続けなくてはならなくなってしまったのだから・・・。

このような観点から見れば、私達人類にはキリスト教でいうところの「自由意志」なるものが本当に存在するのか疑問だ。

恐らくそのような疑問が脳裏に過ぎるのは、私だけではないだろう・・・。

世界最大の共産圏ソビエト連邦は、
91年に突如崩壊した。それにより大国間の間で
続いていた米ソ冷戦は終戦を迎える。

米ソ冷戦下のソビエトは共産国家なので、国民は
自身の意志とは別に統一思想体制下に置かれる。
その体制下では海外の文化の輸入等は許されない。

しかし、当時のソビエトの若者達は、闇市で
敵国であるアメリカの有名なハードロックバンドの
アルバムを入手し、夢中になって聞いていた。

それが世界的なロックバンドにまでに進化した
ニュージャージー州出身のBon Joviである。

国家の思想と国民の趣向は違うということを
私達は理解しなくてはならない。

国家の間に国境は存在するが、私達人類が
生み出した文化においての交流には、
国境は定められていないのである。

外交上の国際間の関係はともかく、私達人類は
民間のレベルでは既にお互いを理解し、
協力し合える関係が徐々に築かれつつあるのだ。

間近に迫った「審判」の刻

以上縷々述べてきたような経緯を経て、人類は資本主義といわれる経済重視の社会の中で暮らさざるを得なくなったのである。

資本主義とは詰まるところ、財を持つ資本家に人民が生活の糧を得るべく自身の心身と時間を労働力として買い取って貰い、資本家は買い取ったその労働力を生産力として収益に繋がる製品を作り出し利益を上げるのものだ。

故に、私達人類は自らの命と家族の命を保つために個人の貴重な時間と労力を売り払い、汲々とした生活を余儀なくされてきたことは先に述べたとおりである。

これではまるで私達人類は、アメリカのハードロックバンド Bon Joviが歌い上げるかの名曲 Livin' on A Prayer の「トミーとジーナ」ではないか。
この曲はある意味、資本主義下の中で貧困に喘ぐ私達人類の過酷な生活を代弁しているかのようである。

しかし、ここにきて世界の情勢はかなり変わってきたようだ。

西洋の封建主義が崩壊し、民主主義を資本主義という形に置き換え、私達人類の気付かぬところで人類に寄生し巨万の富を築き上げてきた闇の勢力、ハザール系ユダヤ人(ディープステート、略してDS)が自らが仕掛けた世界最終戦争により墓穴を掘ったからである。

これを記述すると長くなるので、以下に簡潔に記してみよう。
(なお、これらの世界情勢を詳しく知りたい方は、馬淵睦夫氏やリチャード・コシミズ氏などの信頼できるジャーナリストの動画の視聴をお奨めする。現在、国内の主要報道機関はディープステートに支配されているので、正しい情報が国民に入ってこないからだ。)

① ロシア軍がウクライナに侵攻し、ウクライナが敗北。悪の権化ジョージ・ソロスが手塩にかけた自身の直轄地を失った。

② ロシアが金本位制に基づく新しい経済圏BRICSを形成。そのため米ドルは衰退し、超大陸アメリカは力を失った。

③ ウクライナとアメリカが機能しなくなったため、イスラエルが中東で問題を起こすようになった。

これらの三つの世界情勢の出来事は全て繋がっており、決して偶然に起こった出来事ではない。

秘教の世界では、闇の勢力(ディープステート)には悪の三大拠点があると言われている。
それが東欧諸国、アメリカのペンタゴン(国防省)、中東のイスラエルの三拠点がそれに該当する。
なお、東欧諸国とはウクライナとそれを裏から支援しているポーランドと見なしてよいだろう。

この悪の三大拠点の「3」という数字にも実は霊的な意味があり、「3」という数字は三角形、つまりトライアングルを形成する。

エネルギーの法則では、トライアングルが形成されることによってエネルギーが増幅される作用があるので、ディープステートの邪悪な力もより強力に働くようになる。

悪魔崇拝主義者のディープステートは、このような霊的なエネルギーの作用を理解した上で、この三つの地域を拠点として定めたのだ。
それによって、今述べたトライアングルのエネルギーの作用を最大限に利用し、長きに亘って人類の背後から世界を支配し続け、栄華を誇ってきた邪悪なエリート集団である。

この三つの拠点うち、ウクライナとアメリカは既にディープステートの思うように機能しなくなっており、彼らは中東のイスラエルまで後退せざるを得なくなった。

つまり、追い込まれたディープステートは、イスラエルを基点に世界の火薬庫と言われる中東で「第三次世界大戦」を引き起こし、失地回復を企んでいるのだ。

これが現在のディープステートの実情である。
しかし、イスラエルは日本の四国程度の国土しかないので、ここを基点に勢力を巻き返す事は現実的にはかなり厳しいであろう。

新時代と神智の必要性

この中東での邪悪な企みが失敗すれば、ディープステートは自ずと崩壊し、滅亡の道を辿る事は必至である。

そのような事になれば、今まで人類を影から支配してきた邪悪な拝金主義者達はこの地上世界から消え去ることになるので、人類は資本主義という過酷な生活環境から解放されることになる。

とは言うものの、資本主義が崩壊すれば世界経済の破綻を意味するので、人類は未曾有の混沌期に突入する事は避けられない。
即ち、人類は資本主義から解放された瞬間に地獄の底に落ちることになるのである。

その地獄を人類が無事に乗り越えられるまでは、私達はBon Joviの Livin' on A Prayerの「トミーとジーナ」の物語をまだ演じ続けなければならないのだろう・・・。

けれど、新時代の光は朝日が昇るように徐々にではあるが、確実にこの地球上に差し込んできているのだ。

そしてその新時代を喜びを持って迎えたときに、私達人類に必要になるものの一つが「秘教の科学」である。

秘教の科学。
その膨大且つ複雑な教えをここではできるだけ噛み砕いて、皆と共にその神智について触れていきたい。

推薦動画1|Bon Jovi | Livin' On a Prayer(KTstiletto 洋楽和訳さんの素敵な和訳/Youtube)

84年にデビューした当時のBon Joviは
実は大変貧乏なロックバンドであった。
彼らは国内では見向きもされず、いつ解散しても
おかしくない状況に置かれていた。

当時、彼らが売れなかった理由の一つは、
アメリカ人はLED ZEPPELINのようなラウドな音を
好み、Deep Purpleのようなメロディアスな音を
あまり好まないからだ。
この2つのバンドはイギリスのロックバンドだが、
Bon Joviの音は後者の音の方だった。

もう一つの理由は、当時ロックの舞台はアメリカの
西海岸であり、ここではMötley Crüeを筆頭とした
LAメタル勢が人気を博しており、それに対して
Bon Joviは東海岸のニュージャージー出身もあり、
国内からは意識を向けられにくい環境にあった。

そのような境遇の中、青天の霹靂。
Bon Joviは海の向こうの極東アジアの日本で
人気を博し、この日本を足掛かりとして
世界的なアリーナクラスのロックバンドへと
成長していったのである。

何故、日本で人気が出たのか。

それは日本人がグルーヴ感が強い
ラウドな音よりも、美旋律に彩られた
メロディアスな音を好むからである。

そのため、Bon Joviは日本のファンに対して
非常に恩義を感じ、日本を大切に
思ってくれていることはとても有名な話だ。

我が国とBon Joviが共に歩んできた
歴史は長く、私達の絆は深い。

推薦動画2|Bon Jovi | Livin' On A Prayer (Youtube)

これはBon Joviが86年にリリースし、大ヒットした
Livin' On A Prayerのビデオクリップである。

80年代中期を迎える前の海外のハードロッカーの
ファッションは「デニム&レザー」が定番だった。

けれど80年代中期になると、当時世界的に
エアロビクスが流行っていたせいか、
「レオタード&ヘアーバンド」の姿で
ハードロックをプレイするようになる。

今ではハードロッカーがレオタード姿でステージに
立つなどとは想像もできないことかもしれないが、
時代の変遷とはこのようなものである。

仏法を説いたお釈迦様も「諸行無常」と
言われたではないか。

この世界に変わらないものなどは一つも無く、
ありとあらゆるものは変わり続けるのだ。

ロックの業界もその時代に応じて、音も
ファッションも生々流転し続ける。

そして今、私達人類も「古い時代」から脱却し、
「新しい時代」へと向かい出しているのだ。