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起業日記

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記事一覧

大企業脱藩日記⑨

大企業を辞めてから1、2年の取り組みについて書いてきた。取り組みというよりも、七転八倒、苦悶の記録だったように思う。今回は、メディアとの関係について書いておく。もしかしたら、テレビやラジオ、そして雑誌等に出たいひともいるかもしれない。

まずテレビというのは、わかりやすい業界で、声がかかると「先日、あの番組を見ました」いわれる。テレビは一発勝負のメディアだから、なかなか新人の文化人を採用できない。

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大企業脱藩日記⑧

大企業を脱藩したのちに、1年ぐらいすると、ポツポツとセミナー講師の仕事が舞い込んできた。セミナー講師になりたいというひとも多いらしい。まず圧倒的に多いのは、アマゾン経由の依頼だ。アマゾンで旬なトピックを検索して、セミナー会社のプロデューサーが声をかけてくる。そして、ベーシックなテーマでも、やはり書籍経由が多い。「ご本をお読みしました」というパターンだ。たいていは、こちらの事務所に来てくれて打ち合わ

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大企業脱藩日記⑦

なんの仕事もない時期がずっと続いていた。しかし、運が良かったのは、1年以内になんとか仕事が出てきたことだった。私の知り合いには3年ほど仕事がなかった行政書士がいる。行政書士の資格をとって看板を立てれば仕事がくると勘違いしていたのだ。もちろん、電話は鳴らない。ただ、私も経験があるのだが、人間とは悲しい性をもっている。どうしても自分の思い込みから脱せないのだ。その知人は、ホームページの「問い合わせ」機

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大企業脱藩日記⑥

ところで、大企業を辞めてから小企業で働きはじめた10ヶ月のあいだ、その期間に振り込まれた給料はいっさい手をつけなかった。何も稼いでいないのに、給料が支払われる。正確には社会保障費がかかるので、マイナスだ。これは精神的につらかった。だから、いつでも返金できるようにしておいた。そのあいだは、別口座にあるお金でしのいだ。

このとき、もっとも執筆量が多かった時期でもある。どんな出版社から持ち込まれた企画

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大企業脱藩日記⑤

それまで月に二回ほどのセミナー講師の仕事以外はしていた。しかし、それ以外は悪戦苦闘するだけで、なんら売上につながる仕事をできていなかった、と前回まで述べた。おそらく、大企業を辞めて、10ヶ月くらいは経っていたのだと思う。10ヶ月ほど、自分の付加価値を社会に示せないわけだからこれは精神的につらい。私の場合は、テレビに出ていたけれど、それも一回5万円だったと記憶している。だから足しにはなるけれども、そ

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大企業脱藩日記④

大企業を辞めてからというもの、テレビなどの出演は増えていったけれど、実際の売上高はまったく伸びなかった。そして、このとき、会社ではじめようとしていた二つのサービスを相次いで取りやめた。

一つは、会員企業にたいして安価な事務用品などを提供するサービスだ。これは、正直、誰もお金を払ってくれなかったからだ。そんなに安くもなかったし、たとえば「見積依頼書」「見積書フォーマット」を提供しますといっても、そ

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大企業脱藩日記③

大企業を辞め、小企業で働きはじめた私は試行錯誤のすえ、月額会員サービスを開始することにした。どういうサービスかというと、月額で一定額を支払ってくれれば、講義などが聴き放題だし、資料なども提供するというもの。

しかし、これも問題が山積した。というのも、ずっとコンテンツをアップしようとすると、できるにはできるのだが、どんどんマニアックな話をせざるをえなかった。たとえば原価計算でも、指数分析とか、誰も

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大企業脱藩日記②

私は大企業を辞めたあと、赤坂で小企業で働きはじめた。「売上をあげる」のがミッションだった。当たり前だ。そうしなければ、私に支払う給料が捻出できない。これが予想以上の重荷だった。想像してみてほしい。何もない空間に、机とパソコンがあって、「新たなビジネスを立ち上げる」というミッションを課される。はたして、いったい、何をすればいいだろうか。もちろん、何をやっても自由だ。しかし、何からやろう。

わからな

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坂口孝則の大企業脱藩日記①

企業で働いていたとき、単純な事実に気づいた。社員は優秀であれば、他社員よりも最大1.5倍ほどの給与はもらえる。日系企業の場合で、外資系はもっと違うだろう。しかし、能力差は10から100倍はある。なぜかというと、能力の低い社員との関係上、せいぜい1.5倍にしかならない。これは不満をもっても仕方がない。苦情をいうくらいなら、独立して辞めるしかない。

大企業を辞めるちょっと前に、幻冬舎から出した「牛丼

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