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余白がないものは旅行ではない

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今日で小学校が修了式を迎え、来週からは春休みとなります。
子どもたちは休みの間に何をしようかと色々計画しているようで、笑顔が止まりません。

前職の市役所職員の時は年度末で、自分の仕事の一年間の後始末に追われていました。
さらに異動内示に名前が出ると後任に引き継いだり、逆に自分が異動先の人から引き継ぎを受けたり、さらに慌ただしい時間を過ごしていました。

今は自分で働く時間を決めれる個人事業主になったので、世間が慌ただしいこの時期の平日を狙って家族旅行に行こうと思っています。

旅行は名所を見に行くとか、名物を食べに行くとか、誰かに会いに行く、といった目的が大体あります。
しかし、目的だけが大事なのであれば、最も早い交通手段を使って現地にたどり着き、要件を果たして、すぐに帰ってくることがベストになります。
弾丸旅行と呼ばれるようなそうした旅行ももちろんあるにはありますが、例えば美味しいものを食べることだけが目的であれば、現地に行かなくてもお取り寄せでもいいはずです。

我々が旅行に期待しているのは、寄り道をしながら目的地を往復する道中であったり、無計画に現地に行ってフィーリングで行き先や食べ物を決めたり、宿舎でたわいもない話を夜通ししたり、交通事故や天候不良など予期せぬアクシデントに対応して後から大笑いすることではないでしょうか。
そうしたことをするためには、旅行の計画そのものに「余白」を持たせることが必要になります。

計画している目的を果たすためには余白は不要でないか、と考える人もいると思います。
もし、人の内面やインターネットに表示されないお店や明日の天気など、世界の全ての事象を把握しているのなら余白は不要だと思います。
しかし、道中の車内の話で仲間の思わぬ面を知ったり、地元の人に教えてもらって地元民しか知らない名物を出す名店に行ったり、突然の大雨に降られた後に名所にかかる虹を見たり。
そんな出来事は余白と呼ばれる時間に起きますし、それに出会うために旅をするのではないでしょうか。

人生はしばしば旅に例えられます。
人生に何か目的はあると思いますが、目的を果たすためだけに一生を送るなら、学校に通うことも、美味しいものを食べることも、遊ぶことも、眠ることさえ不要ではないでしょうか。
また、その目的に向かって一直線に進むことが本当に最短距離なのでしょうか。

マツコロイドなどで知られる大阪大学の石黒浩教授が、ネットの対談番組で「AIが何でも出来るようになった時に人は何をするのか」と尋ねられ「なぜ人として生まれて、人として生きているのか考える」と答えられていました。

ちょうど50年前の1973年に親鸞聖人御誕生800年の慶讃法要が営まれた際のテーマが「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」でした。
何かそこにも通じることを石黒教授が言われた気がしますし、人生という旅の余白の使い方を答えられた気がします。

生まれた意義と生きる喜びを見つける旅のために、私たちはきっと多くの寄り道が必要になると思いますし、そのためにはたくさんの余白が必要になるのではないでしょうか。

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