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初めての野宿ツーリングは能登でした・・


もう35年前の話・・

初めての野宿ツーリングは能登でした・・
野宿(テント泊)が目的ではなく手段だった(ツーリングの費用を抑えるため)。
装備は必要最小限というか揃っていないので借り物多数(テント、寝袋、オフブーツなど)、調理器具なし、明かりは確か蝋燭だったような・・・。
テントを張った場所はキャンプ場ではなくて、どこかの公園?広場?みたなところで、水道、トイレ、灯り無し。

オフロードバイクに乗り換えた翌年、林道野宿ツーリング寺崎勉氏に感化されてのキャンプ(野宿)ツーリング。信州を周り日本海側に抜け海沿いをなぞって関西に戻ってくるルート。まだ林道はまともに走れないから幹線道路がメイン。そしてテントで寝たのは2泊のみ。初野宿は能登半島だった。


信州から日本海へ

松本市から国道148号線を北上して日本海、国道8号線へ。そこから能登半島を目指して海沿いをひた走る。天気も良くて海も穏やかで言うことなし。毎日バイクで走れるのが楽しくて仕方がない。道はどこでも良い。

日本海である 多分ラベンダービーチ周辺
どこかの堤防で一息
神様を祀っている祠が目につく


能登野宿

能登半島東海岸、ちゃんとしたキャンプ場が見つけられないまま日暮が迫っていた。公園?広場?みたいなところで焚き火(キャンプファイヤー)ができそうな場所があった。周りに人気もない。
食料は買ってあったので、まあ良いか・・という感じでテント設営。借り物テントは、吊り下げ式ではなくポールをテント生地の袋穴に通すタイプでめっちゃ面倒・・。一度家で設営していたものの結構時間がかかった。
これまた借り物の寝袋を広げて準備完了。

調理器具はないので調理パン、サンドイッチ、ソーセージなどを食べた気がする。シラフではビビって寝れないかもしれないので、ビールと日本酒ワンカップは必須。

日暮前に木を集めてキャンプファイヤーエリアと思しき場所で火を焚いた。タバコを吸いながら暮れゆく海を見つめる・・。
ここ大丈夫かな〜〜。
夜中に外でガサガサ音がした(気がした)野良犬かはたまた風の仕業か・・。

流木キャンプファイヤー
翌朝テント干し
翌朝 見附島


ランプの宿

なぜ能登半島を周ったのか?それはランプの宿を見たかったからである。泊まれればよかったのだが残念ながら予約が取れなかった。当日の天気は生憎曇りだった。

ランプの宿

なぎさドライブウェイ

能登西海岸をぐるっと周って輪島市を過ぎて羽咋市なぎさドライブウェイへ。
海沿いを走るので時には国道を外れて県道を走る。
砂浜ではサザエを焼く匂いが漂う。ちょうど晴れた。

かっ飛ばしたいが当時は技術が伴わない

この日はうまい具合にテントを張れるところが見つけられず結局芦原温泉(芦原湯町)の今で言うところの健康ランドで深夜料金を払ってソファーで睡眠。お風呂入れて、くつろげてこれはこれでよかった。食料、ビールは途中で仕入れ済み。
当時はコンビニなるものがないので街のスーパーを見つけて買い物をする。

越前岬から丹後半島へ

随分と周りの景色が変わってるもんだ・・今はトンネルができてるのね。

1989年 越前海岸 越前有情 歌碑
Google Map より(2023年) 

国道178号線を淡々と走る。丹後由良海水浴場手前で鉄橋を見つけた。
電線がない鉄道、それは今も変わっていないようだ。
国道148号線から離れ府道605号線で海岸線を走る。島陰漁港鈴島を望む。

京丹後鉄道宮舞線 由良川橋梁
鈴島を望む

この日の寝床は丹後半島の山中、採石場の広場のようなところ・・で野宿。人生テント2泊目である。そこにチャリダーが一人・・せっかくなんでと食材をシェアして一緒に夕飯を食う。焚き火もして、あ〜〜野宿やな〜て感じ。
ここんな山奥に自転車で登ってくるとは、いつの時代も変わった奴が居るもので・・。バイクx野宿の俺も、チャリダー氏から見れば「変わった奴がいるもんだ・・」と思われていたかもしれない・・。

丹後半島山中 碇高原牧場近く 夜の一コマ

旅もそろそろ終わり

チャリダー氏に昨夜のお礼を言って別れる。どこの誰かも名前も年齢もわからない彼。今も自転車乗ってるのだろうか・・自分は飽きもせずにまだバイクであちこち走ってるよ〜〜。

丹後縦貫林道から国道178号へ。西海岸を伊根、天橋立方面へと向かう。当時は観光地に興味がなく・・というか今ほど情報がないのでスルーしてしまったといった方が正しいか・・そのままサクッと通過してしまった。

最終日 天橋立近く

この後内陸を走り繋いで和歌山市まで。高速道路は使わない・・・当時も街中には車が多くて走りにくかった記憶がある。

信州で宿2泊、能登、丹後でそれぞれテント泊、芦原温泉で健康ランド1泊の5泊6日のツーリング。バイクに乗り始めて2年ちょいの自分にはなかなか刺激的なツーリングだった。このくらいだとまだ社会復帰できるレベル。もう少し長くなると厳しくなるかもな・・といった感じだろうか・・・。


1989年春、まだベルリンの壁もあって、中国天安門広場は自転車が大挙して走っていて、湾岸戦争も神戸震災もアメリカ同時多発テロもまだ起こっていない時代。

今は世界も日本も色々あって人々の暮らしも変わってきているが、旅をすることは今も昔もそんなに違わないのではないかと改めて思う。

最後に能登半島地震の一日も早い復興をお祈りします。


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