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心機一転

これまで私は自分の仕事について、身バレを防ぐためにnoteには濁して書いてきました。

ですが昨年の秋、新しい仕事が決まり、仕事程度なら大丈夫だろうという気になり、そして何より、それについて書きたいと思ってしまったのです。

4月から私は、中学校の教員になります。

私は新卒1年目の時も、講師としてですが、中学校で教壇に立っていました。
しかし、ある時自損の交通事故を起こし、それがきっかけとなりそれまでに蓄積されていたストレス、睡眠不足などを含む体調不良が爆発して表に出てきてしまいました。
その結果、私は病院の精神科で適応障害と診断され、学校に戻る事もできましたが、当時の状況から、年度の途中ではあったものの退職をしました。

私の精神状態も当時はとても悪く、とにかくもう学校に行きたくない、というまさに先生の不登校、でした。

退職をし、幸いまだ実家にいたので、家事も仕事もせずに休む、という期間を与えられましたが、私は良くも悪くもとても責任感が強くクソ真面目な性格で、働かなくては…!という念により、退職後2ヶ月もたたないうちに近くのパン屋さんでパートを始めました笑


パン屋さんでのパートは、とても楽しかったです。いろんな年代の人がいて、知らなかった事をたくさん経験することができました。
ですが元気になればなるほど自分の中でやはり、教職への気持ちが捨てられないことに気づいてしまいました。

交通事故がきっかけで出たストレスの中に、同僚や先輩の先生、子ども、保護者との関わりの悩みはありませんでした。クラス担任はもっていなかったものの卓球部の顧問を任されていたので、その子たちを放ったらかしにしてしまった…と、とても後悔していました。


では何がストレスだったのか。
まず、長時間労働。
それによる睡眠不足。
新卒1年目で教壇に立つプレッシャー。
部活の顧問を任されたプレッシャー(しかも前顧問がめちゃくちゃ卓球の上手な先生で、私自身の経験は中学だけ)。
部活の顧問であることによって土日も練習や試合が入り休めない。
講師であることから採用試験に合格しなければというプレッシャー(まぁそれは大学生時の自分のせいではある)(でもこの状況でいつ勉強すんの?とは思っていた笑)。

こうして挙げるとたくさんありますが、今言いたいことは、少なくとも人間関係での悩みやトラブルはなかったということです。

交通事故を起こすまでは、大変だとは思いつつも、仕事をもう辞めたいと思ったことは1度もありませんでした。
朝早く起きて学校に行く。
門を開けて、朝部をして、授業をして、午後部をして、会議にでて、残業をして、翌日の授業準備をして。
帰る時間が22時はザラ、23時にまだ学校にいる事もありました。いつも学校を出る目標時間は20時でした。(それでも3時間ちょい定時過ぎてるけどねー!笑)

でも、それでも、学校や子どもたちのことが好きでした。

パン屋でせっせと働きながらも、“教員でなくても、このままではいけない” “パートでは十分な給料は稼げないし、何かしらの仕事に就かなくては”とずっと考えていました。

パン屋のパートとして働き出してから約5ヶ月後。なんとパン屋が潰れる事になりました。笑
スーパーの中にあるベーカリーのエリアだったため、他の部署に変わるという選択ももちろんありましたが、ちょうどその頃、今現在の仕事の募集を見かけたのです。

常勤で、でも定時には帰れそう、そして子どもと関われる。ここなら、働きながら試験の勉強もできるかも。教員ではないけど、まずはここで働いてみようか、とリハビリのような気持ちで応募をしました。

そして無事採用していただき、もうすぐ4年がたとうとしています。
今の職場はとても好きだし、働きやすい環境だと思います。
ただ、正規の職員ではなく、毎年更新の臨時採用という扱いだし、今の生活を続けていくには不安なお給料です。
そして何より教員という仕事への気持ちを捨てきれていない。

もう1度だけ。それでまたダメだったらさすがに諦めよう。
そう決めて、昨年の夏の教員採用試験を受験しました。

私としては、ダメかも…と思っていたのですが、晴れて無事合格。
4月から、正規の教員として勤務することになりました。


今の気持ちとしては、もちろん、過去のことがあったので不安も大きいです。でも、また学校に行ける、というワクワクもあります。

担任を任されるだろうか。どんな子どもたちがいるだろうか。
20代後半で、こんな気持ちになるとは。


過去の記事を読んでくださっている方はご存知だと思いますが、私はいわゆるLGBTに分類される人間で、同性の恋人と同棲をしています。

果たしてそれを同僚に話すのか。子どもたちには。
このようなまた違う不安もありますが、流れに身を任せて、その時自分が正しいと思う道を選択していけばいいかなと思っています。


学校の先生も色々なんだな、と、この記事をきっかけに気づいてくださる方がいればいいなと思っています。

また過去の教員時代のことも、覚えているうちにここに記したいなあ。





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